お久しぶりです、らぷらすです。初の武道館ライブは、感動の嵐だった。事前の楽しみも全部混ぜ込んで、自分の気持ちをブログにしたいと思う。ライブに行ってない人には行った気持ちになって欲しいし、ライブに行った人は思い出にして欲しいと思う。連番してくれたりと(@Tele_Rito_irune)を始めみんなありがとう!!そしてかなりうろ覚えなので、その辺はご愛嬌ということで。長くなりすぎたのでこれは前編です。

 

このブログは盛大にネタバレを含んでいます。セットリストも書いてあるので、今後箱庭の灯に行く方はご注意ください。

Setlist

-movie-

01.カルト 02.ホムンクルス 03.夜行バス 04.Véranda 05.初恋 06.誰も愛せない人

- movie-

07.クレイ 08.鯨の子 09.花筏 

10.ロックスター 11.私小説 12.金星 13.ことほぎ 14.comedy 15.バースデイ 

16.花瓶 17.箱庭の灯

en01.アンダルシア en02.生活の折に

 

Support Band Menbers

Bass 森夏彦

Keyboard and Band Master 奥野大樹

Guitar 馬場庫太郎

Drums 森瑞希

 

 

1. 武道館到着

 東京都心、皇居外苑にある北の丸公園。ザ・ビートルズが最初にライブを行った日本武道館は、長い間音楽の「聖地」として親しまれてきた。これまで全てのワンマン公演をライブハウスで行ってきたTeleにとっては、びっくりするくらい大きな会場であった。到着した頃には、見たことないのない長さのグッズ待機列ができていて、ワクワクが止まらなかった。

 筆者はこの武道館公演で、横断幕へのメッセージ企画を執り行っていた。多くのファンの人が書いてくれて(ざっと数えて200人は余裕で超えていたと思う)嬉しかった。ふわくん(@huwaurito)の写真企画も、びっくりするくらい人が集まってて(100人は超えてたよね)、Teleファンが増えていたことを実感した。この時点で楽しいことこの上ないなって思った。こうしてできた、でっかくて美しい愛の結晶は、確実にTeleに届いてると思う。

 

 

2. 開場

 ついに武道館が開場し、ステージお披露目の時間だ。大きなステージをどう使うのだろう?というワクワクが最高潮、下を向いて会場に入り、3.2.1...のカウントダウンとともに頭をあげた瞬間、目に飛び込んできたのは凹凸があり、みたことのない動きづらそうなゴツゴツしたステージのだった。全体を見渡すと、室外機があって、リンゴがあって、信号機があって、壊れたベッドがあって、、と作り込まれているステージに感激し、コンセプトを妄想する時間に入った。室外機だからカルト、リンゴだから初恋、信号機は鯨の子、ベッドは花瓶かな?とか。そして注目したいのはステージだけではない。アリーナを見渡すと黄色いタオルがたくさん。2022年に売っていたこのタオルからは、懐かしさと愛を感じる。うしろを振り返ると、当日券らしき立ち席が武道館のどの方向にも存在した。本当に、武道館の満員を超える人たちがTeleを目当てに集合していると考えると、感慨深い。

 ふと武道館の時計を見ると、17:58という表示。あと2分、心臓があと150回、いや200回くらい鼓動を刻んだらライブが始まるのだろうか。ここでアナウンスが入る。"演出の都合上、非常口の電灯は消させていただきます"。この文言は、ライブの素晴らしさを予期するには十分だった。

 

 

3. 谷口喜多朗の"人生"を描いたライブ

 ライブ会場が暗くなった時、心臓の鼓動のBPMは120を超え、ワクワクは最高潮に達した。そこで始まる映像。背景にはだだっ広い砂漠の中を走る列車の中で話す、おじいちゃんと孫がいた。「箱庭の灯」をさがす。だだっ広い"箱庭"の砂漠の中には永遠の時間が流れていて、いくら列車が走ってもオアシスにはたどり着かない。僕は、この"灯"を探す列車は喜多朗の人生を表現したものなのかなって思った。列車の運行は順風満帆にはいかない。大きな雷鳴とともに、画面に表示された「Tele カルト」の文字は涙腺を崩壊させるには十分だった。

 「カルト」は決意を描いた曲。その情熱を表現する赤照明が、とても素晴らしい。「夏の夜がすぎていく 僕は愛を待ってやる」から「夏の夜がすぎていく 僕が愛になってやる」に変わって行く感情は、初めての武道館ワンマンライブを始める覚悟で、それは僕たちファンを、もっと美しい世界へと引っ張って行く、そのための緞帳を一気に開けて行った。Teleがどこまでも大きくなるのを確信し、自分自身も愛になって行こうと思える幕開けだ。

 次の「ホムンクルス」のイントロで目にはせき止めきれない涙が浮かんだ。この流れで聞くと「ホムンクルス」は「カルト」に対するアンサーに思えてくる。「ホムンクルス」は取り繕った僕がいるけどそんな自分を愛して行こうって曲で、「カルト」の決意を現実世界を生きる自分に投影している気がしている。特徴的な青とピンクの照明は、どこか冷静に取り繕う姿と、抑えきれない情熱を表現しているんじゃないかと思える。

 「夜行バス」のアレンジは本当に毎回進化していて、今回のイントロのアレンジはどの曲よりもライブ映えをしていると思う(3度目の涙腺崩壊)。夜行バスにたとえて、自分の理想と現実のギャップに苦しむ人に勇気を与えているこの曲は、これまたホムンクルスに対するアンサーだと思う。「眠い時に眠りたいとか 楽しい時に歌いたいとか 旅に出る意味はそれだけでいい それだけがいい なんならなくってもいい」と「夜行バス」の一節にあるが、これはまさに砂漠からオアシスを探す、「箱庭の灯」を探す旅の本質なのではないかと思った。人生の目的を探すなんて、好きなこと、やりたいことに猪突猛進でいいんだなって勇気付けられたし、Teleがその突き進みかたをしているのが大好きだなって再認識した。セトリの中でこの位置に「夜行バス」があるのまじで素晴らしくって、大好きだなって思う。

 ギターフレーズのカッコいいアウトロの後、特徴的なリズムが刻まれていた。Teleのライブに行ったことがある人にとっては聞き馴染みのある「Véranda」のリズムだ。1サビの手を振る部分はこれまでの知っているどのライブよりも美しかった。曲中に「愛はここにあんぜ」とあるが、ライブ会場は「愛」の塊でだなっていつも思う。そして、「Véranda」は「夜行バス」で描かれている「人生」の経由地点だなって思った。僕が思うにこの曲は失恋を書いた曲で、ライブ中では「箱庭の灯を探す中で、ちょっと後退して過去を振り返る」みたいな感じだなって思う。

 続く「初恋」は前回のツアー「祝/呪」で初披露された曲。彼の一挙手一投足が感情表現となっているこの曲はいつまでも進化し続けるだろう。この曲は、初恋に捕らわれている(="呪われている")姿を克明に描いた曲だと思う。「Véranda」と同じ感じで、過去を振り返る曲だと思うし、この過去の呪いは、一個前のライブの祝/呪のメインテーマで、Teleの思考の基幹をなすものなんじゃないかなと思う。

 「誰も愛せない人」はnai ma zeの頃からのファンにとって、本当に待望の一曲。nai ma zeの東京以来の演奏であった。スマホに打ち込む演出で

「ハロー日本武道館🇯🇵ネクストソングイズ次の曲は『誰も愛せない人』」

と出てきたときは、本日4度目の涙腺崩壊だった。そして、スクリーンに移されるスマホのメモに歌詞を打ち込んでいく演出に見とれていた。「穴の空いた緑のネット。焦げた花に降る小雨。難破船への救難信号。それが君への愛。」意味のないものを羅列したこの表現は、過去一に心に響いた。今回のセトリの中でこの曲を聴いて「初恋の"呪い"によるフラストレーションを一気に解放する感情」を感じて、心にグッと来るものがあって本当に好き。「誰も愛せない人へと今は何よりも愛を。一人きりで生きるには君は優しすぎるよ。」「誰も愛せない人でもどうか許される愛を。それが君でいいんだよ。ずっと、気づいてたでしょう。」あらゆる"呪い"に苦しむ人へ送るこの曲は、確実に1万人の心に響いていた。この良い歌詞を最大に生かしているあの演出が大好きだ。喜多朗のことを一度も見れないくらいに歌詞に見とれていた。

 その後、また砂漠の中を走る列車の映像に切り替わった。陽は暮れて、夜になっていた。そしてすごい雷の中であった。孫はここで、電車から降りて、おじいちゃんから離れて、箱庭の灯を探す旅に出ることを決意する。ものすごい嵐の中、「箱庭の灯」を探す旅は、暗くて荒いものだけど、電車に乗りつづけては見つからないといつか気づくことになる。おじいちゃんの電車に乗り続けても、いつまでも見つからないものなのだ。いつかは自分を守ってくれる"Home"から離れて、自立しなければならない。その決意をする瞬間が必ずある。これは、人生で行ったら初めての一人暮らしに相当するのではないかと思った。

 ここで「クレイ」を演奏するのは本当に天才だなって思った。「クレイ色のビルディングは東方へ消えてゆく。各駅も速度でも。」ゆっくり自分の足で箱庭の灯を探すのを始めた人が、眠れない夜を過ごす雰囲気を感じた。「ほら朝が平等に 眠たい瞼を押し上げる。」かなり湿度の高い朝がにおやすみをする、この寂しさに感動する曲だなって思う。この曲もnai ma ze以来で、本当に念願だし、進化していて大好き。

 さらに「鯨の子」は「クレイ」のように孤独に朝を迎える人の背中をポンと押す曲なので、この曲のつながりが本当に好きだなって思う。「眠れない夜は君のせいじゃない。それは多分外の風が強すぎるだけ。」1人になると、世間の雑音が鮮明に聞こえて来るときもある、守ってくれる"Home"がなくてさみしいこともある。「君のタフさに全てを委ねないで。自由を愛することをやめないで。...」畳み掛けて来る、ぼっちの味方をしてくれる歌詞が素晴らしい。観客が「灰になって〜の合唱の裏で、喜多朗が落ちサビの「君のタフさに〜」を高速詠唱するところの感動は、何度聞いても薄れないし、涙腺はがけ崩れを起こす。

 ライブの直前にリリースされた「花筏」はnai ma ze以来ワンマンライブの定番曲だったがリリースされてこなかったので、念願のリリースだった。「雨の続く5月の暮れに、僕は湿気った最中を飲み込んだ。」ジメジメする季節に何かひとりぼっちを嫌がる主人公の中に、「たまには1人生きようよ。そして、たまには会って話そうよ。」と、これ以上ないくらいあったかい言葉をかけている。喜多朗くらいの年代の人の心情を克明に表現してるなって思う。「AM5:00の明治通りは、風に乗るにはちょうど良いのだ。」とある。「カルト」のAM5:00に切符を持って街を出るところよりは元気がだいぶなくなってしまっている。これも、人生で無邪気さが減って行くことを表現している気がする。後半の魂の叫びも合わせてこの曲は、まさに「箱庭の灯」を探す若者がもがいている、美しい姿を表現していると思う。それは、2回目のmovieの後の3曲に込められた、「若者 谷口喜多朗」の最高級の表現だと思った。

 

 ずいぶん長くなってしまったので「パーティー編」は次のブログに書こうと思います。ここまで読んでいただきありがとうございます。ぜひ読んでください。(6/8時点未更新)