こんにちは♪錦ちゃんです(‘-^*)/
仏教には「托鉢(たくはつ)」
という修行(行)があります。
笠をかぶったお坊さんが、手に鉢を持って
家々をまわり、お布施を頂くという修行です。
お釈迦様より前の時代から
この行はあったそうです。
その当時は、家々をまわって
鉢にその日食べる分の食べ物を頂いていました。
こういう話を聞きました。
お釈迦様は、托鉢に向かうお弟子さんたちに、
こう言っていたそうです。
「お金持ちの家ではなく、
貧しい人たちの家をまわって托鉢をしなさい。」
と。
多くの物を持っているお金持ちのところへ行けば、
たくさん食べ物がもらえるだろう。
普通に考えればそうなります。
ではなぜお釈迦様は、
貧しい人たちからお布施を頂くように
仰ったんでしょう?
お釈迦様は「貧しい人がなぜ貧しいのか」
を考えられたそうです。
そして気づかれました。
貧しい人は自分のためにしか行動していない。
そして他人のために与える
ということをしていない。
その人たちに「与える」という布施(良い行い)
をしてもらうきっかけを作るのが、
托鉢の目的だと。
つまり、托鉢をする側も修行だし、
お布施をする側も修行なんです。
ただ「与える」という経験をしたとしても、
それをどういう風に捉えるかで全く意味が
違ってくるのではないのかなと思います。
せっかく与えても、
「托鉢の坊さんが来たから、しょうがなしに
与えてやった。坊さんに取られてしまった。」
という捉え方をしてしまうと、お釈迦様の想いが
うまく通じていないことになります。
むしろ生活に余裕のない人、
こころに余裕のない人は、
そう思いがちになるのではないかなと思います。
少なくとも、自分の経験からすると、
そういうことが多いです。
子育てを例えにあげると、
子どもに時間をとられると考えるのか、
それとも、子どもとふれあう時間を作っている
と考えるのか。
税金を例えにあげると、
税金で取られていくと考えるのか、
それとも、自分の税金が世のための役に
立っていると考えるのか。
後者の方がいいと頭ではわかっていても、
なかなかそういう風に思うことができません。
「せっかく稼いでも、税金でとられていく」
とつい思ってしまいます。
「自分の税金が世のための役に立っている」
とこころから思えるようになれる日が、
1日でも多くなっていけるように、
日々修行していくしかないよね
と思う今日この頃です。
でもやっぱりもらう方が嬉しいな。