回想・2005年 ~ 五月 | 中華の足跡・改

中華の足跡・改

中国から帰り、北海道に暮らしつつ、台湾とつながる生活。

マジメな話からくだらないネタまで、国籍・ジャンル・多種多様。

いざ、情報発信~!

最後の学期も後半に差し掛かり、そのせいかどうか、ともかくやたら忙しい月だった。


重大イベントの一つは、親友の結婚式。

大学時代のサークルの友人だが、俺の男の友人連中の中では、結婚一番乗りだ。

もちろん結婚式は日本でやるのだが、俺も当然のように一時帰国して参加した。

むろん、バカばっかりの連中が集まって、何もしないはずがない。

式の余興については、2月から着々と企画が進行していたのだった。

その結果、数人で氣志團を歌って踊る、ということになった。

合同練習に参加できるはずもない俺は、プロモを見ながらひたすら部屋で練習を重ねる日々。

時には同居人に奇異な目で見られたり。

実際に歌ってみないと、と思って、アナログ録音したテープを持ってカラオケで練習したり。

・・・とまあ、数々の涙ぐましい(?)努力をしたわけだ。

他の連中も、普通に仕事しているサラリーマンだから、時間的に言えば留学生の俺よりもはるかにキツかったかもしれないが。

だからって放棄するような連中でもない。

結婚式当日は、友人の計らいで式のトリにまわされたが、見事に完成版を披露。

大歓声と笑いを勝ち取った。


さて、イベント、といえば、日中交流会方面。

この月は、二回の開催。

山登りと、日本文化発表会ともいうべきもの。

もっとも、当初は二つもやる予定はなかったから、準備の方で相当苦しむことにもなるのだが。

ま、自分も楽しめて他の人にも楽しみを提供できるなんて、そうそうできるものでもない――などといろいろと理屈をくっつけながら、仲間とワイワイ企画を進めた。

文化発表会といっても、はじめは一人の女の子に日本舞踊をやってもらおう、という冗談から始まったのだが。

それだけじゃ寂しいから、と、俺らも合唱でもやろうか、と、また冗談のようなものがくっついて。

・・・つまりは、冗談が冗談でなくなるのが、このときのメンバーの通癖とでもいうべきものか。

やるからには中途半端は大嫌い、というのも、俺の性格の一つ。

最後までバタバタしつつ、どうにか無事に二つのイベントを乗り切ったのだった。


そんなイベント目白押しの月の中にも、留学生として避けて通れない――こともないのだが、実は――HSKという試験が待っていた。

俺としては、別にこの試験結果が必要なわけでもなんでもないのだが、やはり一年の勉強の成果を数字として計っておきたい、という気持ちもあった。

挑むは、HSK高級。

むろん事前に問題集も購入したのだが――、一冊買って、その10分の1くらいしか使わなかった。

そんなわけで、ほとんどあきらめムードの中で受けた試験だったのだが、どうやら俺は、相当本番に強いタイプと見える。

あるいは、ここ一番でカンが冴える。

もしくは、日ごろの行いがよほどいいのだろうか。

本人が一番驚いたのだが、10級を取得したのだった。


性質の異なる三つのイベントと一つの試験が混ざり合ってアタマを悩ませてくれる中、肉体的に俺を苛んでくれたのが、急成長してきた親知らずだった。

徐々に痛みを増してきたのだが、ついに我慢の限界を突破。

中国で親知らずを引っこ抜くという、できればあまり体験したくなかったことをやるハメになった。

・・・ただ、今思えば、少なくとも技術的にはさほど問題がなかったような気がする。

標準を超えて巨大だった俺の親知らずをどうにか片付けてくれたのだが、施術中は全く痛みはなかったし、その夜の痛みもまあ薬無しで耐えられるものだった(というか、薬なんかくれなかったのだが・・・)。

抜く前に、いろんな人にさんざん脅されたので、ちょっとばかり拍子抜け。

まあ、痛くないのに越したことはない。