「東瀛文化の夜」 | 中華の足跡・改

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まず、「東瀛」という言葉、聞いたことがあるだろうか?

中国の言葉だが、もともとは「東方の大海」という意味があり、転じて、日本のことをさす言葉となった。

日常的に使う言葉ではなさそうだが、小説の中などで時々見かける。また、多少文学的な色彩を帯びているように、俺は感じているのだが。中国のことを「中華」と呼ぶこともあるが、ある意味似ているかもしれない。


さて、それで。

俺が通う大学は「浙江大学」だが、この杭州には他にもたくさんの大学がある。

そして、そのうちの一つの大学で、日本語学部の学生たちによる日本語劇や歌等の発表会があったので、のぞきに行ってきた。

その会の名前が、タイトルの「東瀛文化の夜」、というわけだ。


会場は、なんとなく小学校の体育館を思わせるような作りだった――というか、前方のステージを見ただけでそれを連想してしまったのだが。

観客はざっと80人くらいだったかな。

ちょっとした(けっこうな?)ツテがあったので、なぜか最前列のど真ん中に着席。


プログラムは、全部で10項目。

まず、歌が、ええと5つ。独唱もあれば合唱もあった。ちなみに曲は、「未来へ」「それが大事」「幸せなら手をたたこう」「time after time」「世界に一つだけの花」。

このうち、「未来へ」などは、実は中国で非常に有名である。正確に言うと、中国語カバーの「後来」という曲が有名で、歌手は劉若英という、やはり有名な女性歌手。この歌手は、「長い間」もカバーしていて、こちらも相当に有名である。


合唱といえば、数日前に俺らもやったばかり。もっとも、人数は比べ物にならない。こちらの学生たちは、20人以上はいたようだった。俺らがやったときは、たったの6人・・・。

「このくらいの人数で合唱やってみたいですよね」と、隣の先生に話をふると、「そうね、絶対おもしろいよね」と、ノリノリのご返事。さすが。


それから、日本語劇が二つ。

菊池寛の「父帰る」と、ちびまる子ちゃんの「世紀の大予言」と、なんだか全くテイストの違う演目。

それぞれ30分くらいずつ。

中国人学生が日本語劇をやるということは、まずクリアしなくてはならないのが、日本語のセリフをおぼえなければならない、ということ。

その点では、今回の劇、がんばったなぁ、というのはまず思った。特に「父帰る」など、かなり長いセリフもあり、苦労がしのばれる。

ということで、この際演技力やら演出やらは二の次。

ただちびまる子のほうは、なかなか演技のうまい子もいたし、ちゃんとギャグも考えてあって、それなりに楽しめた。

ただ一つ気になったのが、観客。日本語が理解できないのかどうか、はじめからずっとザワザワと、話をやめない。やめる気配もない。一番前に座っていたにもかかわらず、うるさくてセリフがきこえないこともしばしば。

自分が理解できようができまいが、上演中静かにしているのは最低限のマナー・・・のはず。少なくとも日本では。演じてるほうも、客の反応はけっこう気になるものなのだ――経験上。


それから、民謡の踊りもあった。12人で浴衣を来て、盆踊りのような曲にあわせて踊る。それなりにきれいだった。ただ俺はむしろ、和太鼓と三味線で演奏される曲の方になんとなく郷愁を感じてしまった。「桜井さんって民謡好きなんだっけ?」と訊かれたけど・・・さて、普段はほとんど聞かないけど、案外聞いてみたら好きになるかもしれない。


さらに、剣道クラブの練習風景ってのもあった。日本人の経験者二人が指導しているようだった。それで、打ち込みなんかを舞台上でやったのだが、学生がみんな女の子で、かつそんなに経験もまだないようで、あまりうまいとはいえないものだった。が。

それはそれで、普通の練習風景である。はじめからうまい人などいるわけがないのだし。

ただ、どうやら中国人観衆の目には、それが相当に滑稽なものに映ったようだ。なんでかしらないが、何度も笑いの渦が。

うーん・・・なにがおかしいのやら。少なくとも舞台上の女の子たちは別にウケ狙いでやってるわけじゃないのは明白であって、それを笑うってのは、ちょっと・・・。

まずいなこのままじゃ日本剣道が誤解されナメられたまま終わってしまう、と、ちょっと危惧したのだが、幸いに――というべきか、その二人の経験者が模擬試合のようなことをやってくれ、観客も多少は剣道の迫力なりすごさなりをわかってくれたようだった。


そんな感じで、約二時間。

あちこちに不手際や段取りの悪さも見えたけど、それはそれ、なんか学生の手作り感も感じ取れて、いいのかもしれない。

簡単にまとめるとすれば、

「俺もなんかやりてー!」

と、そういうことになるのだった。