イタリアにいったい何があるのか?
私の友人にイタリアのサッカーファンがいて、紀行文を同人誌で出版している人がいる。
聞けば、どことなく大阪に似た空気があるらしい。
私は行った事がないのでわからないが。
最近、五木寛之と香山リカの「鬱の力」という対談本を立ち読みしたら、やっぱりイタリアの話が出てきた。
気になる。

というのは、思いつくのが19世紀、産業革命以後のイギリス。
どういうわけか、PRBとその周辺は、盛んにイタリアに行っている。
それはもちろん、フィレンツェやローマが芸術家にとって憧れの地であるから。
ミケランジェロやラファエロに学びたいから。
いや、技法ならイギリスでも学べたはずだ。
学ぶというより、どこか逃避行の意味合いも多く含んでいる気がする。
芸術家としての自分を確認するため、とでも言おうか…。

そもそも、英国の王立美術アカデミーには、ラファエロ専門家が多くいて、ラファエロの美は模範であり、それに学べとばかり、「古典」をやっていた。話を少しさかのぼる。
古典派を至上にして学ばせたのは、肖像画ばかりでやや遅れた感のある英国絵画が、なにかとフランスをライバル視して(1851年のロンドン万博もそういう部分があった)フランスではすでに次の時代になりつつあったのに、新古典主義の「先生」達が権威をふるっていたからもある。
 私が見る新古典主義は、どうしても権威主義的で堅苦しい。しかし、生まれた当初、若かりし頃は、誰もが夢に満ちているように、保身も権威も関係無かったのではないだろうか。
 
 グロは、ダヴィッドの弟子だが、古典主義の教え、つまり画家として、世間的に仕事をして、生活して、きちんと食べて行くという、社会の枠に組み込まれた絵画と、それを言うなら反社会的になってしまうダメな自分との矛盾に苦しみ、自殺した。

 イタリアというと、もう1人思いつく。ヴァン・ダイク。17世紀オランダ出身の画家だ。
チャールズ1世に気に入られ、英国の宮廷画家になった、ルーベンスの弟子だ。
 彼は、先代のジェイムズ1世から、1000ポンドの年金だか奨学金だかをもらった。にもかかわらず、その税金を持ってイタリアに渡る。「修行」という名目だが、その割にその後、故郷に戻ってしまっている。1000ポンドの持ち逃げ、の所をチャールズ1世が呼び戻したらしい。
 その、彼の時代の背景を見る。丁度、去年の京都のルーブル展は、この時代がテーマだったのだが、17世紀のオランダは、王制ではなく市民で繁栄した国だった。
チューリップの球根への投機でバブル経済、てのもあった時代だ。その反面、貧困層と富裕層とに格差は広がった。

 その17世紀オランダと、19世紀大英帝国と、現代の日本を照らし合わせてみる。
光と影のシルエットが重なる時、画家が、時代の中で何に苦しみ、何を求めたかわかる気がするのだ。

おそらく、こういう格差の時代、整えられた「正解」であるはずの社会にとって、詩人や画家は
成功すれば尊敬されるべき存在だろうが、成功するまでは。
虚しく自らの機能不全を責める、鬱々とした状態になるのではないだろうか。
 画家や詩人の価値観は、世間一般とは違う。しかし、どこまでも不確かなものについて、理解を示してくれる者は少ないだろう。
 権威にひれ伏し、正解に屈して職人となる事を肯定するべきか。職人は確かに素晴らしい。
だが、一握りの天才達は、知っている。自らが時代を切り開く先鋒となるべきならば、自由でなくてはならない事、そしてまた、それゆえに孤独であり、時としてそれは「狂気」と捉えられる事を。

 ガチガチに固まってしまった、一方向の思考や社会から見ると、どうもイタリアという所は
「それほど気にしていない?」
 ものを感じるのである。
この社会でもし、上手くやっていけないヘタレであっても、別にいいじゃない、
誰かが目くじらたてて何か言おうが、陽気、どーでもいいし、でも温かい…

と、ここまで書いて結論が出た。

「そうか、"ヘタリア"だ!」

感性を最大限に発揮させるための自由さ。画家達は、自由を求めてイタリアに焦がれたのだろう。
勝ち組が保身にひた走り、世にでたらめのノウハウを刻み、人を序列化して死なない方法を列記する時、人としての尊厳と自由を奪われてしまえば、真っ先に、想像力にとってはダメージになる。
鬱とは、単に一方向の価値観から排除されたため、自分をダメだと思い込んだにすぎないのだ。
この空気は、別な価値観を定着させれば改善できる。
つまり、夢を失わない美徳、無駄である時間や美を否定しないキャパの広さ。

彼らは本質的に、それを知っていたに違いない。
イタリア、そこが大阪に似ているなら。
大阪が大阪らしくある事で、何かは打破できるのかもしれない?
と、考えずにはいられない。