同人誌の書店委託システムができてから、市場は様相が変わりつつある。
まず、今年はじめのコミックシティのカタログで、コミックシティを主催する赤ブーブー通信社の武田圭史さんも指摘されていた通り、規制の方向に進んでいるにも関わらず、18禁の本の割合が異様に高くなってきている。
江戸時代、春画というエロ本が流行った時代、春画が浮世絵全体に占める割合は15%にすぎない。
人口の全体を消費者として見た場合、それは自然な数値であるとして参考にできないだろうか。
ここからが、同人誌という市場が一般と違う部分になるわけだが
まず、この市場は大きな1つの「オタク」や「腐女子」をカテゴリーとしている
…実際は、いわゆるぬるオタ、BLが好きではない、単に創作したいという雑多なものを含んでいるのだが
物事をカテゴリ化して捉えたい人は、必ずその場所から、マイノリティを外して考える。
そこを自分のテリトリーとして、安全なものにするためだ。
日本でのポップカルチャーであるオタクは、左翼的でなんでもアリな、非社会的な部分から始まった。
一般人と同じ価値観であれば、例えばもっと18禁の規制についてはやかましくなるだろうし、もはやニートも同性愛者をも含むような闇市場は、脆く崩れる危険性がある。
オタク文化の中の芸術家達は、おそらく必死に一般とは違う場所を守ってきたはずだ。自分達の居場所として。
これは意外にも、モダニズムで前衛を支持していたグリーンバーグとどこか似ていると思う。
その純粋性において。なによりもその表現の場所を愛しているという意味で。
しかし、イベントに来る人間は、そういうものを求めてくるのだ、だからここはそういう場所だと
思う人が多ければ多いほど、市場ニーズからバリエーシェンは失われていくだろう。
もはや、なんでもあってもらっては不便なのだ。
まず、最初に商業誌とモダニズムがあった。24年組の漫画はモダニズムであり、
その下の40年組(C翼同人誌世代で、腐女子市場を築いた)は、モダニズムへのアンチテーゼとしてポストモダン的だった。
端的に表す言葉として「やまなし・おちなし・イミなし」を使った。
その意味では、同人誌は自己主張と意味を示す表現ではなく、最初からミーハーであり、多くの人と同じ考え方や表現方法を取る事自体に意味があったのだとも言えるだろう。
つまり、流れはこうだ。
かつて「自己表現」というものは、個性的であり、様々な内容や言葉、型式があってしかるべきものだった。
しかし、その自由だ個性だと信じて疑わなかった夢も、結局は売れなくてはダメだ、あるいは、思想は何かに利用されるものでしかないのだとシニカルになった時、商業誌ではない自由な場所での恣意的な遊びが選ばれた。
少女達の持つきままな感性と、群れたがるという女性独特の特質は、男性オタクのように、孤立はしなかった。
逆に「萌え」は同じものを共有していれば安全であるという、カテゴリ主義に陥った。
18禁ものの異常なまでの増え方や、ジャンルに関わる人の熱狂度と無関係に仕掛けられている「ブーム」については、少し社会的な原因もあるかもしれない。
去年後半からは景気が悪化した。女性が働ける現場は相変わらず限られている。
そこに、例えば、女性ならば資格も学歴も未婚既婚子持ちも問わず、
たいした才能と努力を要さずとも、ノウハウとフォームに従えば割と簡単に認められる、
そんなありがたい場所があったらどうだろう。
情報だけはすぐに手に入る世の中で。
あるいは、書店が売れるものはこういったものなので、あなたの作品は不可だといった場合はどうだろう?
同人誌という、その中でのマイノリティを排除した上でのジャンルを重視し、
数字的に売れるものだけが生き残れるとしたなら、ただ拠点として選びたいだけのポストモダン的なサークルは、知らず市場に操作され、「仕方なく」好きでなくても好きなフリをして描くかもしれない。
能動的に、いや身勝手に好きな事をやるより、経営するために、そこそこの萌えがあればそれでいいと思うかもしれない。
またもしくは、ジャンルがいつまで続くのかに怯えたり、次はどこへ行ったらいいのかと不安かもしれない。
それはすでに自由な創作などではないのだ。
最も問題なのは、こういったデータとジャンルだけで、個人の意思を奪われた場合
才能の有無に関わらず、やる気や情熱そのものが奪われがちだという事だ。
本当の「好き」は どこまでも主体的なもので、空気すらあえて読まないものだろう。
創作とは、そんなに簡単なものではない。群れるつながる、何かの威光を借りるだけで多くの人に認められると思ったら大間違いだ。
ただ楽しいだけだから、或は群れたいだけだから
その無意識の連関は、エリート文化への反抗心から育ったキッチュやポップカルチャーの独自性と自由を、オタク意識がもともと毛嫌いした「一般人」と同じ低俗なレベルまで貶めるものだ
…という事にどうして気付かないのだろうか。
同人誌市場で別に考えもなく、売れてるジャンルで売れ筋の18禁を描くのは、実は表現の自由などとはほど遠い。
そこに意思がない限りは、市場に操作されている虚しい傀儡なのだ。
まず、今年はじめのコミックシティのカタログで、コミックシティを主催する赤ブーブー通信社の武田圭史さんも指摘されていた通り、規制の方向に進んでいるにも関わらず、18禁の本の割合が異様に高くなってきている。
江戸時代、春画というエロ本が流行った時代、春画が浮世絵全体に占める割合は15%にすぎない。
人口の全体を消費者として見た場合、それは自然な数値であるとして参考にできないだろうか。
ここからが、同人誌という市場が一般と違う部分になるわけだが
まず、この市場は大きな1つの「オタク」や「腐女子」をカテゴリーとしている
…実際は、いわゆるぬるオタ、BLが好きではない、単に創作したいという雑多なものを含んでいるのだが
物事をカテゴリ化して捉えたい人は、必ずその場所から、マイノリティを外して考える。
そこを自分のテリトリーとして、安全なものにするためだ。
日本でのポップカルチャーであるオタクは、左翼的でなんでもアリな、非社会的な部分から始まった。
一般人と同じ価値観であれば、例えばもっと18禁の規制についてはやかましくなるだろうし、もはやニートも同性愛者をも含むような闇市場は、脆く崩れる危険性がある。
オタク文化の中の芸術家達は、おそらく必死に一般とは違う場所を守ってきたはずだ。自分達の居場所として。
これは意外にも、モダニズムで前衛を支持していたグリーンバーグとどこか似ていると思う。
その純粋性において。なによりもその表現の場所を愛しているという意味で。
しかし、イベントに来る人間は、そういうものを求めてくるのだ、だからここはそういう場所だと
思う人が多ければ多いほど、市場ニーズからバリエーシェンは失われていくだろう。
もはや、なんでもあってもらっては不便なのだ。
まず、最初に商業誌とモダニズムがあった。24年組の漫画はモダニズムであり、
その下の40年組(C翼同人誌世代で、腐女子市場を築いた)は、モダニズムへのアンチテーゼとしてポストモダン的だった。
端的に表す言葉として「やまなし・おちなし・イミなし」を使った。
その意味では、同人誌は自己主張と意味を示す表現ではなく、最初からミーハーであり、多くの人と同じ考え方や表現方法を取る事自体に意味があったのだとも言えるだろう。
つまり、流れはこうだ。
かつて「自己表現」というものは、個性的であり、様々な内容や言葉、型式があってしかるべきものだった。
しかし、その自由だ個性だと信じて疑わなかった夢も、結局は売れなくてはダメだ、あるいは、思想は何かに利用されるものでしかないのだとシニカルになった時、商業誌ではない自由な場所での恣意的な遊びが選ばれた。
少女達の持つきままな感性と、群れたがるという女性独特の特質は、男性オタクのように、孤立はしなかった。
逆に「萌え」は同じものを共有していれば安全であるという、カテゴリ主義に陥った。
18禁ものの異常なまでの増え方や、ジャンルに関わる人の熱狂度と無関係に仕掛けられている「ブーム」については、少し社会的な原因もあるかもしれない。
去年後半からは景気が悪化した。女性が働ける現場は相変わらず限られている。
そこに、例えば、女性ならば資格も学歴も未婚既婚子持ちも問わず、
たいした才能と努力を要さずとも、ノウハウとフォームに従えば割と簡単に認められる、
そんなありがたい場所があったらどうだろう。
情報だけはすぐに手に入る世の中で。
あるいは、書店が売れるものはこういったものなので、あなたの作品は不可だといった場合はどうだろう?
同人誌という、その中でのマイノリティを排除した上でのジャンルを重視し、
数字的に売れるものだけが生き残れるとしたなら、ただ拠点として選びたいだけのポストモダン的なサークルは、知らず市場に操作され、「仕方なく」好きでなくても好きなフリをして描くかもしれない。
能動的に、いや身勝手に好きな事をやるより、経営するために、そこそこの萌えがあればそれでいいと思うかもしれない。
またもしくは、ジャンルがいつまで続くのかに怯えたり、次はどこへ行ったらいいのかと不安かもしれない。
それはすでに自由な創作などではないのだ。
最も問題なのは、こういったデータとジャンルだけで、個人の意思を奪われた場合
才能の有無に関わらず、やる気や情熱そのものが奪われがちだという事だ。
本当の「好き」は どこまでも主体的なもので、空気すらあえて読まないものだろう。
創作とは、そんなに簡単なものではない。群れるつながる、何かの威光を借りるだけで多くの人に認められると思ったら大間違いだ。
ただ楽しいだけだから、或は群れたいだけだから
その無意識の連関は、エリート文化への反抗心から育ったキッチュやポップカルチャーの独自性と自由を、オタク意識がもともと毛嫌いした「一般人」と同じ低俗なレベルまで貶めるものだ
…という事にどうして気付かないのだろうか。
同人誌市場で別に考えもなく、売れてるジャンルで売れ筋の18禁を描くのは、実は表現の自由などとはほど遠い。
そこに意思がない限りは、市場に操作されている虚しい傀儡なのだ。