「どうか…受かりますように」
正直、未だにコミケの当落通知を見るのが怖い。何年やってんだか。
本当に抽選? とかいう疑問は、いつも丸めて捨てる事にしている。
自分の中の嫉妬やひがみや、実力の無さで落ち込むのが嫌だから。
コミケに受かるか落ちるかどうか。
同人誌を「やりたくて」選んだのだ、商業誌だけが道ではないからと思い続け
プロとして結婚もせず…というよりは、きちんと就職・結婚して
つまり、人生というものをもきちんと生きて、創作もしたかった私には
コミケに出れないというのはまるで、創作する資格を剥奪されたようにすら感じるのだ。
才能が無いから、プロの夢から逃げたとだけは言われたくなかった。
ただその「夢」がわからない。
「銀河鉄道999」の鉄郎のように、ネジになったらどうしよう。
自分の欲しいものは、本当は何なんだろう?
好きな人を捨ててまで上京できなかったひとつの現実がある。
今、本当に愛のある家庭にいるし、それはずっと私の欲しかったものでもあった。
それを「逃げた」とだけは、言われたくはない。
落ちるのについて「怖かった」
と、過去形なのは理由がある。後述する。
一昨年前、落ちた。念が薄かったというか、いつもよりモチベーションが下がってた。
「もう何を描いていいかわからない」
「描いたってどうせわかっちゃあもらえない」
「このままでいいのか」
「売れる本なんて…描きたいものが描きたいのに」
やる気が無いんなら、いっそ申し込みしなきゃいいのに
夏コミの後、せかされるように、冬コミに申し込んだ。
スランプくらいは許してほしいと思ったのだが。きっとそんなの知るか、だろう。
でも、コミケに落選した事で、逆にプレッシャーから解放されたのは確かだった。
去年の冬は、わざと申し込みをしなかった。
コミケに出ない場合はどうなのか? 祭りに参加しない私は私であるのか?
それでも、何か描くんだろうか?
コミケが無くても、どうしても描きたいという言葉は、まだ残っているんだろうか?
コミケに出ないと印刷代が回収できないため、活動としてはキツイんだが。
よくよく考えたら、別にコミケだけが発表の場というわけではないし、
ネットもある。地方イベントもある。
そのどこかで、誰かと知り合う事はできる。
確かに、大部数を売って、華々しく活動しているサークルは、それはそれで意義があるのだろう。
腐女子には憧れのマトなんだろう。
でも、正直いつぞやの配置ミスで壁に行った時、
「うははは、金の亡者よv」と笑いながら売りさばく売り子と、
聖者のように奉られる「先生」を見た時は、私には嘲笑でしかなかった。
買ってみた本は中身のまるで無いエロ本で。
何をやりとりしているのかがわからなかった。
少なくともそれは、言葉ではなかったと思う。
こんなにも程度の低いものに憧れていたなんて。内心はそう感じた。
(もちろん、それがまかり通るのが同人誌の良さ。言えはしないし、それはそれなりに価値があるのだと思いたいが)
それは、私がかつてずっと追いかけてきた世界とは、あまりにもかけ離れていた。
もはや饅頭の売買いよりも無意味である。
落ちた事、参加しなかった事で
私は少し考えを変えた。
どうしても、伝えたい事を伝える、その誠実さが無ければ
創作なんて無意味である。
1人の読者でもいいのだ。万人に誤解されて、嘘をつきつづけるよりは。
人によって、求めるものは違うだろう。
お金が欲しい人もいるだろうし、それについて意見を押し売りはしなくていいが
私は自分の求めるものに、もっと素直でありたいと思った。
それは、多分「言葉」なのだと思う。
二次創作なのだが
作品から受け取った大事なものを、大切にしまって
私が思った事を、素直に私の言葉にしてみよう
そして誰かが目にしてくれれば
そこで世界は満ち足りるのだ。
あまっちょろい理想と言われてもしょうがないが
そこに「愛」があるのを、私は知っている。
それは人をけして惨めにも虚しくもしない。
良い会話と関係と、数による勝ち負け評価は別世界の事なのだ。
米沢さんの「アピール」はもう読めないけれど
過去に書かれたものは、いつも心に刻んでいたいと思う。
本物の創作を目指そう、
なんてこんな事、とっくに皆やっている事なんだろうな。
夏、お世話になります。
良い出会いを期待しています。
正直、未だにコミケの当落通知を見るのが怖い。何年やってんだか。
本当に抽選? とかいう疑問は、いつも丸めて捨てる事にしている。
自分の中の嫉妬やひがみや、実力の無さで落ち込むのが嫌だから。
コミケに受かるか落ちるかどうか。
同人誌を「やりたくて」選んだのだ、商業誌だけが道ではないからと思い続け
プロとして結婚もせず…というよりは、きちんと就職・結婚して
つまり、人生というものをもきちんと生きて、創作もしたかった私には
コミケに出れないというのはまるで、創作する資格を剥奪されたようにすら感じるのだ。
才能が無いから、プロの夢から逃げたとだけは言われたくなかった。
ただその「夢」がわからない。
「銀河鉄道999」の鉄郎のように、ネジになったらどうしよう。
自分の欲しいものは、本当は何なんだろう?
好きな人を捨ててまで上京できなかったひとつの現実がある。
今、本当に愛のある家庭にいるし、それはずっと私の欲しかったものでもあった。
それを「逃げた」とだけは、言われたくはない。
落ちるのについて「怖かった」
と、過去形なのは理由がある。後述する。
一昨年前、落ちた。念が薄かったというか、いつもよりモチベーションが下がってた。
「もう何を描いていいかわからない」
「描いたってどうせわかっちゃあもらえない」
「このままでいいのか」
「売れる本なんて…描きたいものが描きたいのに」
やる気が無いんなら、いっそ申し込みしなきゃいいのに
夏コミの後、せかされるように、冬コミに申し込んだ。
スランプくらいは許してほしいと思ったのだが。きっとそんなの知るか、だろう。
でも、コミケに落選した事で、逆にプレッシャーから解放されたのは確かだった。
去年の冬は、わざと申し込みをしなかった。
コミケに出ない場合はどうなのか? 祭りに参加しない私は私であるのか?
それでも、何か描くんだろうか?
コミケが無くても、どうしても描きたいという言葉は、まだ残っているんだろうか?
コミケに出ないと印刷代が回収できないため、活動としてはキツイんだが。
よくよく考えたら、別にコミケだけが発表の場というわけではないし、
ネットもある。地方イベントもある。
そのどこかで、誰かと知り合う事はできる。
確かに、大部数を売って、華々しく活動しているサークルは、それはそれで意義があるのだろう。
腐女子には憧れのマトなんだろう。
でも、正直いつぞやの配置ミスで壁に行った時、
「うははは、金の亡者よv」と笑いながら売りさばく売り子と、
聖者のように奉られる「先生」を見た時は、私には嘲笑でしかなかった。
買ってみた本は中身のまるで無いエロ本で。
何をやりとりしているのかがわからなかった。
少なくともそれは、言葉ではなかったと思う。
こんなにも程度の低いものに憧れていたなんて。内心はそう感じた。
(もちろん、それがまかり通るのが同人誌の良さ。言えはしないし、それはそれなりに価値があるのだと思いたいが)
それは、私がかつてずっと追いかけてきた世界とは、あまりにもかけ離れていた。
もはや饅頭の売買いよりも無意味である。
落ちた事、参加しなかった事で
私は少し考えを変えた。
どうしても、伝えたい事を伝える、その誠実さが無ければ
創作なんて無意味である。
1人の読者でもいいのだ。万人に誤解されて、嘘をつきつづけるよりは。
人によって、求めるものは違うだろう。
お金が欲しい人もいるだろうし、それについて意見を押し売りはしなくていいが
私は自分の求めるものに、もっと素直でありたいと思った。
それは、多分「言葉」なのだと思う。
二次創作なのだが
作品から受け取った大事なものを、大切にしまって
私が思った事を、素直に私の言葉にしてみよう
そして誰かが目にしてくれれば
そこで世界は満ち足りるのだ。
あまっちょろい理想と言われてもしょうがないが
そこに「愛」があるのを、私は知っている。
それは人をけして惨めにも虚しくもしない。
良い会話と関係と、数による勝ち負け評価は別世界の事なのだ。
米沢さんの「アピール」はもう読めないけれど
過去に書かれたものは、いつも心に刻んでいたいと思う。
本物の創作を目指そう、
なんてこんな事、とっくに皆やっている事なんだろうな。
夏、お世話になります。
良い出会いを期待しています。