アドルフ・ヒトラーは画家志望で有名だが、その画風はけっこう古典的だ。
彼は几帳面で真面目な面があったのだろう。風景画なんかはいい仕事をしている。
独裁者という側面から、偏見を持って見られがちだが、なかなか上手い。
ただ、当時の流行からすると、感情をバクハツしきれてない分、時代に合わなかった画風なのだろうなとも思う。御愁傷様だ。そういう画家は多いものだ。
さて、そのヒトラーが「頽廃芸術」だとしたバウハウス系の、当時モダンであったそれ。
古典好きからしてみると、21世紀の現代になった今でも「わからない」という人は多い。
何が「頽廃」なのだか。
時代を少しさかのぼって、ホイッスラーの話まで戻る。19世紀末になる。
ジョン・ラスキン、かつてはPRBのような、古典に牙むく連中に味方してみた彼が
またどうして、現代美術の魁のようなホイッスラーに対しては
「絵の具をぶちまけた」と酷評したのか。
私はここしばらく、それを考えていた。
というのは、自分自身、ラスキンやモリスの考え方に触れるにつれ、
今まであまりにも楽して作品をあげる事や、いかにスピーディーに量産しようとしていたかについて
大いに反省させられたからだった。
モリスが1つ1つを丁寧に作って、それを生活の中にとけ込ませようとしたのなら
大衆文化となったマンガも、実はコンテンポラリーアートあたりとは違って
良作を目指せば、モリスの理想には近づけるのかもしれないのだ。
おっとこれは余談、余談。
で、美術批評家、ジョン・ラスキンがどうしてホイッスラーには感心しなかったか。
ラスキンの解説書を読むが、「年をとったからだろう」などと書かれていただけだった。
私は、ラスキンの描いた絵や、彼を取り巻いていた人物達から想像するに
もしかして、彼は「アンチ・インスタント」ではなかったのかと思うのだ。
ナショナル・トラスト運動なんかもして、自然が大好きだった彼は、おそらく今で言うならロハス族のような、スローフード&ナチュラルな人なんだろう。
(年寄りだから若いからと関係があるのかどうかはわからないが)
確か、ホイッスラー裁判の時、彼は絵の製作にどれだけ時間をかけたかについて訊いていたと思う。
ゆっくりと丁寧に、膨大な時間を費やして、他者の癒しのために描かれた絵が評価されずに埋もれていく一方で、短時間で(手抜きで)インパクトと刺激で人の注意をひくものが、ガンガン売れたりしたら
芸術家はどんどん、刺激的な作品だけを描き、稼ぐ人という事になってしまうだろう。
そしてやがて、20世紀には…そうなったかもしれない。
表現と呼ぶそれは一体なんなのか。
トルストイの考え方とラスキンの考え方はちょっと似ている。
ここは一度、社会主義や共産主義、という考えと切り離して考える必要があるだろう。
(社会主義や共産主義に含まれていた唯物論が、どうも21世紀の今日はねじまがってしまったからだ)
精神の解放、そしてマチエールやフォルムを否定なんて事をやって
心そのものの表現に挑みはじめていた美術の世界だったが、
はたしてカンディンスキーの絵を見て、ピカソ見て、全ての人が素晴らしいと認めたのだろうか
それとも、美術批評や理論が先走りしてしまっていたのだろうか?
私は最近になって、ヒトラーが独裁者になんかならなくて、ちゃんとした画家として、ピカソに対抗できる力を持ち、それが評価されていたならば、20世紀はもう少し様相が変わっていたのかもしれない
などと思うようになってしまった。
ヒトラーの絵は、表現主義の横行した当時としては、古くてつまらない物だったかもしれない。
しかし、それは一方的な見方にすぎないのかもしれない。
写実的で丁寧である彼の絵を酷評する理由は、その人生のせいなのだろうか? 独裁者だから?
多くのユダヤ人を殺したから?
では、それを差し引いた場合、あるいは写実的画風のただの画家として見た場合は?
ここらへん、もしラスキンが生きていたなら、正直にヒトラーの絵をどう思うのかを訊ねてみたくてしょうがない。
ふと、フランツ・マルクを思い出す。
カンディンスキーの友達、青騎士の画家。
彼は純粋で、動物や自然を愛した画家だった。
どんな風に描いていったらいいのか、自分はどうしたらいいのか
かなり鬱々してみたり迷ったり。
彼はやがて、第一次世界大戦に出兵する。
そしてヴェルダンの教会の中で弾に当たって戦死。
彼のポケットの中には、小さいスケッチブックが入っていて
ぎっしりデッサンが描き込まれていたのだそうだ。
帰ったら描くつもりでいたのかもしれない
その彼の作品もまた、後にヒトラーに「頽廃」とレッテルをつけられ、晒される。
ラスキンと同様に自然を愛しつつも、それを新しい手法で描いていたフランツ・マルク。
美術史は、多分ヒトラーを許す事はないだろう。
だが、芸術家が理想を忘れて、カンタンに稼ごうとしたが最後
おそらくはヒトラー以下になってしまうに違いないのだ。
ラスキン、ヒトラー、マルク、もしこの三人が語り合う機会があったなら
何を頽廃と呼ぶかを話し合ってほしいものだ。
彼は几帳面で真面目な面があったのだろう。風景画なんかはいい仕事をしている。
独裁者という側面から、偏見を持って見られがちだが、なかなか上手い。
ただ、当時の流行からすると、感情をバクハツしきれてない分、時代に合わなかった画風なのだろうなとも思う。御愁傷様だ。そういう画家は多いものだ。
さて、そのヒトラーが「頽廃芸術」だとしたバウハウス系の、当時モダンであったそれ。
古典好きからしてみると、21世紀の現代になった今でも「わからない」という人は多い。
何が「頽廃」なのだか。
時代を少しさかのぼって、ホイッスラーの話まで戻る。19世紀末になる。
ジョン・ラスキン、かつてはPRBのような、古典に牙むく連中に味方してみた彼が
またどうして、現代美術の魁のようなホイッスラーに対しては
「絵の具をぶちまけた」と酷評したのか。
私はここしばらく、それを考えていた。
というのは、自分自身、ラスキンやモリスの考え方に触れるにつれ、
今まであまりにも楽して作品をあげる事や、いかにスピーディーに量産しようとしていたかについて
大いに反省させられたからだった。
モリスが1つ1つを丁寧に作って、それを生活の中にとけ込ませようとしたのなら
大衆文化となったマンガも、実はコンテンポラリーアートあたりとは違って
良作を目指せば、モリスの理想には近づけるのかもしれないのだ。
おっとこれは余談、余談。
で、美術批評家、ジョン・ラスキンがどうしてホイッスラーには感心しなかったか。
ラスキンの解説書を読むが、「年をとったからだろう」などと書かれていただけだった。
私は、ラスキンの描いた絵や、彼を取り巻いていた人物達から想像するに
もしかして、彼は「アンチ・インスタント」ではなかったのかと思うのだ。
ナショナル・トラスト運動なんかもして、自然が大好きだった彼は、おそらく今で言うならロハス族のような、スローフード&ナチュラルな人なんだろう。
(年寄りだから若いからと関係があるのかどうかはわからないが)
確か、ホイッスラー裁判の時、彼は絵の製作にどれだけ時間をかけたかについて訊いていたと思う。
ゆっくりと丁寧に、膨大な時間を費やして、他者の癒しのために描かれた絵が評価されずに埋もれていく一方で、短時間で(手抜きで)インパクトと刺激で人の注意をひくものが、ガンガン売れたりしたら
芸術家はどんどん、刺激的な作品だけを描き、稼ぐ人という事になってしまうだろう。
そしてやがて、20世紀には…そうなったかもしれない。
表現と呼ぶそれは一体なんなのか。
トルストイの考え方とラスキンの考え方はちょっと似ている。
ここは一度、社会主義や共産主義、という考えと切り離して考える必要があるだろう。
(社会主義や共産主義に含まれていた唯物論が、どうも21世紀の今日はねじまがってしまったからだ)
精神の解放、そしてマチエールやフォルムを否定なんて事をやって
心そのものの表現に挑みはじめていた美術の世界だったが、
はたしてカンディンスキーの絵を見て、ピカソ見て、全ての人が素晴らしいと認めたのだろうか
それとも、美術批評や理論が先走りしてしまっていたのだろうか?
私は最近になって、ヒトラーが独裁者になんかならなくて、ちゃんとした画家として、ピカソに対抗できる力を持ち、それが評価されていたならば、20世紀はもう少し様相が変わっていたのかもしれない
などと思うようになってしまった。
ヒトラーの絵は、表現主義の横行した当時としては、古くてつまらない物だったかもしれない。
しかし、それは一方的な見方にすぎないのかもしれない。
写実的で丁寧である彼の絵を酷評する理由は、その人生のせいなのだろうか? 独裁者だから?
多くのユダヤ人を殺したから?
では、それを差し引いた場合、あるいは写実的画風のただの画家として見た場合は?
ここらへん、もしラスキンが生きていたなら、正直にヒトラーの絵をどう思うのかを訊ねてみたくてしょうがない。
ふと、フランツ・マルクを思い出す。
カンディンスキーの友達、青騎士の画家。
彼は純粋で、動物や自然を愛した画家だった。
どんな風に描いていったらいいのか、自分はどうしたらいいのか
かなり鬱々してみたり迷ったり。
彼はやがて、第一次世界大戦に出兵する。
そしてヴェルダンの教会の中で弾に当たって戦死。
彼のポケットの中には、小さいスケッチブックが入っていて
ぎっしりデッサンが描き込まれていたのだそうだ。
帰ったら描くつもりでいたのかもしれない
その彼の作品もまた、後にヒトラーに「頽廃」とレッテルをつけられ、晒される。
ラスキンと同様に自然を愛しつつも、それを新しい手法で描いていたフランツ・マルク。
美術史は、多分ヒトラーを許す事はないだろう。
だが、芸術家が理想を忘れて、カンタンに稼ごうとしたが最後
おそらくはヒトラー以下になってしまうに違いないのだ。
ラスキン、ヒトラー、マルク、もしこの三人が語り合う機会があったなら
何を頽廃と呼ぶかを話し合ってほしいものだ。