マンガの絵というのは、強調したい所を大きめに描き、強調したくない所を省略していくという、マンガ特有のデフォルメを行いつつ処理される。
少女漫画や萌え絵の目が大きいのはもちろん、目が口以上に物を言うからだ。
元来、日本人は口元の笑いよりも「目」の笑い、
目の表情を重視してきた。
日本人が作る絵文字 (^_^)
は目が笑い顔である。これに対して、アメリカの絵文字は :-)
横向きで、目、鼻、笑った口元となる。
口元で、歯や歯茎を見せて笑うのはアメリカ式なのだ。
だから、日本のマンガは目で笑い、口は適当に逆三角形だった。
80年代までの日本のマンガの表紙は、目元で笑っていた。
目尻が下がり気味で細まり、口は小さく開くものが多かった。
それが、2000年代に入って目につくようになったのは、
大口で歯を食いしばり、目元は笑っていない大胆不敵笑いだ。
私はこれを相手をディスる(見下す)ような笑い方から「dis笑い」と呼んでいる。
しかし、ここ数年、このアメリカ式とも言えるdis笑いがスタンダードになってきている。
日本人の笑い顔に対する認識が変化しているのかもしれない。
そもそもマンガの表紙絵があまり笑わなくなった。
笑い顔というのは、幸せの象徴だ。幸せに笑えるというのは強いという事で、
人は憧れるものを消費する。または、身近で自分と気の合うものを選ぶ。
という事は、もはや幸せそうに笑っているものは、憧れではなくなったか、縁遠くなってしまったという事だろうか。
80年代のほわほわして丸い、赤ん坊を連想させるような「可愛い」は
90年代の繊細で攻撃的な線の時代を経て、
00年代にはよりタフで威圧的なものへと変化した。
その変遷は、時代の憧れの変化なのだと思う。
アメリカ的な市場主義、グローバル・スタンダードに対して嫌悪感を抱きつつ
結局はその力にかなわないと知っている。
もし、克服できる確信を皆が持っているのなら、
その大胆不敵な笑いは、否定されるはずだからだ。
鬱々とした世の中で、凹んでいる時に
あるいはイライラばかりして悲しい時に
なかなか、幸せそうに笑っている絵は愛せないのかもしれない。
そうそう、第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけて虚無感と絶望と不安が蔓延した
ロスト・ジェネレーション。
あの時の空気はまさにそうだっただろう。
死体か蝋人形のように、何もブレッシャーをかけてこない無表情さの方が優しいのだ。
背景は砂漠か廃墟。
ポール・デルヴォーの描く幻想世界と、現代の幻想世界は共通項が多い。
笑わないのでなく、笑えないのだろう。
そんな空気の中で、他者を威圧する勝者だけが「笑い」を得る事ができるのだとしたら
市場主義の中で勝ち残っていきたい者が多ければ、優しい微笑みよりは
大胆不敵な笑いが選ばれるのだろう。
その淘汰をどう思うか
それは、また別な問題。
少女漫画や萌え絵の目が大きいのはもちろん、目が口以上に物を言うからだ。
元来、日本人は口元の笑いよりも「目」の笑い、
目の表情を重視してきた。
日本人が作る絵文字 (^_^)
は目が笑い顔である。これに対して、アメリカの絵文字は :-)
横向きで、目、鼻、笑った口元となる。
口元で、歯や歯茎を見せて笑うのはアメリカ式なのだ。
だから、日本のマンガは目で笑い、口は適当に逆三角形だった。
80年代までの日本のマンガの表紙は、目元で笑っていた。
目尻が下がり気味で細まり、口は小さく開くものが多かった。
それが、2000年代に入って目につくようになったのは、
大口で歯を食いしばり、目元は笑っていない大胆不敵笑いだ。
私はこれを相手をディスる(見下す)ような笑い方から「dis笑い」と呼んでいる。
しかし、ここ数年、このアメリカ式とも言えるdis笑いがスタンダードになってきている。
日本人の笑い顔に対する認識が変化しているのかもしれない。
そもそもマンガの表紙絵があまり笑わなくなった。
笑い顔というのは、幸せの象徴だ。幸せに笑えるというのは強いという事で、
人は憧れるものを消費する。または、身近で自分と気の合うものを選ぶ。
という事は、もはや幸せそうに笑っているものは、憧れではなくなったか、縁遠くなってしまったという事だろうか。
80年代のほわほわして丸い、赤ん坊を連想させるような「可愛い」は
90年代の繊細で攻撃的な線の時代を経て、
00年代にはよりタフで威圧的なものへと変化した。
その変遷は、時代の憧れの変化なのだと思う。
アメリカ的な市場主義、グローバル・スタンダードに対して嫌悪感を抱きつつ
結局はその力にかなわないと知っている。
もし、克服できる確信を皆が持っているのなら、
その大胆不敵な笑いは、否定されるはずだからだ。
鬱々とした世の中で、凹んでいる時に
あるいはイライラばかりして悲しい時に
なかなか、幸せそうに笑っている絵は愛せないのかもしれない。
そうそう、第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけて虚無感と絶望と不安が蔓延した
ロスト・ジェネレーション。
あの時の空気はまさにそうだっただろう。
死体か蝋人形のように、何もブレッシャーをかけてこない無表情さの方が優しいのだ。
背景は砂漠か廃墟。
ポール・デルヴォーの描く幻想世界と、現代の幻想世界は共通項が多い。
笑わないのでなく、笑えないのだろう。
そんな空気の中で、他者を威圧する勝者だけが「笑い」を得る事ができるのだとしたら
市場主義の中で勝ち残っていきたい者が多ければ、優しい微笑みよりは
大胆不敵な笑いが選ばれるのだろう。
その淘汰をどう思うか
それは、また別な問題。