今回のテーマは一応「美術」としたけれど、漫画と小説も含む話。

居酒屋で、認められない画家の愚痴をタラタラと聞き、
その後何件か「もう売れないし、同人誌やめようかと思う」という人の話も聞いて、
不思議な事に、この両業界は、創り手が同じ「認められたい」という悩みを抱えていながら
評価する側の対象や基盤が大きく違っていて、美術界にあるものが同人誌業界に無く、
逆に同人誌業界にあるものは美術界に乏しいのだと気づいた。

一応今回、アートフェアの話は除く。(知人はだいたいグループ展参加系なので)
そもそもアートフェアも画廊も、同人誌業界で言うなら「大手」の話であって
知名度が上がらなければ遠い話だ。
いかに知名度を上げたくても、不景気な昨今、国内に美術を育てる気運は乏しく
いくつか若手経営者による画廊はオープンしているものの、やはりどこかに
「アメリカ行ったが早くないか」というのがある。
「賞金取ったらそれ持ってアメリカ」「お金無い」
絵画のグループ展などには審査員がいる。審査員がコネだの昔ながらの自分の美術理論だのにこだわっている限り、新しい才能なんかなかなか認められないだろう。
印象派やPRBなんかは、それを覆してきた異端であったけれど、果たして21世紀の今、彼らのような地の底からでも、叩かれても自分達のものをやって行こうというパワーがあるのかどうか。
しかもポストモダン化とデジタル化の跡地に、立たされているわけである。

さて一方、80年代後半のバブルと共に、まさに「異端」であっただろう同人誌ムーブメントはどうか。
サブカルではあるが、創り手が表現の場として望んだのは、批評家や地位ある人達の評価ではなく
受け手とのダイレクトなやりとり、交流ではなかったろうか。
批評家は認めなくても大衆は認める、それは心強い評価基盤になる。
そもそも表現は一部エリートのものではない。

ところが、同人誌バブルと即売システムは、思わぬ所に落とし穴があった。
いや、落とし穴ではなく、市場競争によって頽廃してしまったと言ってもいいかもしれない。
まだ即売会が小さかった頃は、描き手との交流もあり、好きである事で心はつながれた。
いろんなサークルを見てまわれた。
しかし、即売会が巨大化し、競争が激化し、企業が参加する事で完全に市場主義に支配されていく事で
健全な評価は失われていった。

数多く売れる事が、良いものの規準であるかどうか。
そんならそもそも「良い」の基準とは何なのか。
評価、とは何であるのか。
例えばたくさん売れる中国製品、全てが全て良いものとは、とても言い難い。

おまけに芸術作品であれば、単に物品の売買のようにはいかない。
それが丹誠込められたものであればあるほど、魂のやりとりにつながっている。
おそらく、そろそろ作品の評価基準と、市場というのを一度ならずとも切り離さなくてはならない時期にきているのだろう。

私が言う即売会の致命的な欠陥は、まず巨大化した場合、販売時間が限られているせいで、
買い手には合理的にサークルをまわる事が求められる事だ。
体力が無ければ、事前にチェックしたサークルしか行けない。あまたある「良い」作品は、いかに良くても見落とされる。
カテゴリーを最初から決められているもののどこが、自由な表現だというのか。美術業界から見てコミック同人誌がいつまでたってもアートに成り得ないのは、おそらく、新しさや独自さにあまりにもこだわらない所なのだろう。アートの世界に求められるのは、(良い意味でも悪い意味でも)自由さや新しさだから。

第ニの欠陥は、それが衝動買いの世界になりがちな所だ。
パッと見の華やかさ、或は自分の趣味、極端な話需要と供給が最も見合うのは、エロ本の世界だ。
とすると、同人誌即売会で、巷ではベストセラーの作家が、資本を使わぬペラコピー本で、イラストも一切入れてない小説本を匿名で、広告も無しに列島中で出した場合、果たして売れるかどうか。
ヴィジュアル要素を伴う漫画ならまだしも、小説となるとかなり難しいだろう。
文学フリマでは時間制限以内で数を多く売った作品を取り上げるなどして話題を作っているようだが
(短時間で数を売りさばく事のどこに重要さと意義があるのかについては、私にはまだ理解できないでいる)

すでに、同人誌即売会では、すでに数を売るサークルと本当に質が良いかどうかについての判断は非常に難しくなっている。
一見派手に見える大手サークルの中にも、印刷代、サービス品、搬入搬出の費用、人件費などで実は苦しいという所もある。しかし、それでも大手としてのやり方を変えないのは、おそらくは同人誌バブルの時に培ったノウハウと、地位とプライドが、それを捨てさせないだけなのだろう。
人生を賭けてそれに夢を見てきた人達がそれを捨てる必要は無いし、私にそれを責める理由は無いが。
だからといって、少部数のサークルが「自分達の作品は評価されないから悪い」とは、断じて思ってほしくないのだ。
(だからもっと頑張れなんて言ってんじゃないぞ。
創作なんてやるもやめるも人の自由だから。
ただ、売れない事と粗悪か否かは、その作品評価においては無関係という事だけは、はっきり言っておきたいだけだ)


同人誌業界に欠けているのは、第三の評価基準、エデュケイター的な存在だろう。
数を売るヒット作かどうかだけが評価の規準ではない、というものに、例えば映画でなら各種の映画祭がある。良作とはどういうものかを知っているのは、いつも必ずしも大衆である、ともまた言う事はできないのは、戦争の時代には戦争賛美のものが流行るのを見ればわかる事だ。

一方、審査員規準に頼りがちな絵画展に足らないのは、大衆の意見だ。一部の権威だけが評価を支配するべきではないだろう。ごく普通の人は、その作品をどう見るだろうか。

描く人は如実に増えた。だが、一番大事なものが抜けている。
それは、創作活動とは何かの純粋さを純粋なままに残してやれる場所だ。
作者への理解や評価というものを抜きにしては、作品は成立しない。

最近、現代美術が即売会やオークションという場所を持ちはじめた。
可能性としてはとてもいい方向だと思う。
私は主義を唱えるのはあまり好きではなかったが、
同人誌という業界できちんとした表現と向き合いたければ、
もしかしたら20世紀の持っていた「主義」は
多少、あっても心強いかなと思いはじめている。
評価や理解への糸口、として。

それにしても、職業としてそれで食べていく事はなんて困難である事か。

Become よりBeingで
認められて職業として芸術家に「なる」ことにこだわるよりも
「である」事ができるなら、それほどまでに苦しまずともすむかもしれない。
自身の作品で、時も場所も越えて人とつながる事ができる、それは人間にしかできない、かなり高度な行為なのだから。
本当の評価が成立する場合に、作者自身は必要以上の金額を請求したりするものなのだろうか?
お金の欲しい人はただ、お金が欲しいだけなんじゃないか、と思うのだが。