同人誌業界の上の方の年代には、けっこう左翼的思想の人がいる。
70年代の文化で育った方に多い。
私の家は明らかに右翼系であった。
祖父母が陸軍で知り合った仲なようなので仕方ないが、
商売をやっていたからもある。
小さい時、祖父母との会話は「そーりだいじんはだれかな?」ではじまり
祖母は「軍隊を持たない国なんかありえない」と言い
私がデヴィッド・ボウイやカルチャークラブを喜ぶと「この非国民」と罵られた。
学校の教師には左翼系の先生が多く、平和の大切さを毎日のように説かれる。
合唱は反戦歌。
宇宙戦艦ヤマトで古代進が戦争なんか無意味だと言えば、子供は素直にそうだと思う。
教師や周りの文化は左翼、なのに家庭は右翼。
先生やアニメファンの思想に納得すれば、親からは「そんなヤツは出ていけ、うちの子じゃない」と言われるだろう。
逆に君が代、国旗、天皇…の話をすれば、先生からは危険ですと言われる。
親の前でも先生の前でも優等生でいたければ、左翼か右翼を見極めていくか、どっちつかずの状態をキープするしかなかった。
それゆえ、仲のいい友人が「なんで天皇を敬わなくちゃいけないの? 君が代を押しつけるなんておかしい」
などと言ったりすると、過剰に反応してしまう。
また逆に、「朝鮮人は出て行け」という発言にも、げんなりしてしまう。
日本の歴史について学べば学ぶほど、強制的に、まるで洗脳されているように万歳、崇拝とまではいかなくても
私達の国家とは何なのか、天皇とはどういうものか、
日本人はどんなふうに生きてきたか、それを考えれば
私にはどうしても、気持ち的に天皇制に反対はできない。
最近、美術史を調べていて、ナチスが行った空爆によって多くのかけがえのない美術品が失われ
また、芸術家達も戦争で死ななければならなかった事を知った。
手塚治虫はアトムを平和の大使として、世に送り出した。
その後のオタク文化で育った私は、戦争だけはゴメンだと思っている。
韓国アイドルも好きだし、部落も外国人に対しても差別は許さないと思っている。
格差も含めて、マイノリティを排除する社会は嫌いだ。
だけどその上で
実は共産主義国家が事実上崩壊したと言っていい時代に住んでいる。
今、太宰治と三島由紀夫の両方を手元に置いて
落ち込んだ時、自分の弱さと共に泣いてくれそうなのは太宰だ。
落ち込んだ時、なんだ、しっかりしろよって言ってくれそうなのは三島じゃないかと思う。
私にはどちらも優しく、どちらもその程度なのだ。
特に強烈な右翼でも左翼でもない。
文化としては、あらゆるものを受け入れる事のできる頭のいい人達が
どうして国という衣を着た途端、極端な考えしかできなくなるのだろう。
私にはそれが、祖父母や教師のように、一種異様な力にコントロールされてしまうようにしか見えないのだ。それが、いとも簡単に自分の思考を正当化させるひとつの方法として。
そんなわけだから、そのテの問題から私は逃げる。
知りませんぞんじません。
進むものと留まるものは陰陽道の昔からあるらしい。
自分にとってそのつど、都合のいい方法を選択
というとまた、ズルいのかなあ…?
70年代の文化で育った方に多い。
私の家は明らかに右翼系であった。
祖父母が陸軍で知り合った仲なようなので仕方ないが、
商売をやっていたからもある。
小さい時、祖父母との会話は「そーりだいじんはだれかな?」ではじまり
祖母は「軍隊を持たない国なんかありえない」と言い
私がデヴィッド・ボウイやカルチャークラブを喜ぶと「この非国民」と罵られた。
学校の教師には左翼系の先生が多く、平和の大切さを毎日のように説かれる。
合唱は反戦歌。
宇宙戦艦ヤマトで古代進が戦争なんか無意味だと言えば、子供は素直にそうだと思う。
教師や周りの文化は左翼、なのに家庭は右翼。
先生やアニメファンの思想に納得すれば、親からは「そんなヤツは出ていけ、うちの子じゃない」と言われるだろう。
逆に君が代、国旗、天皇…の話をすれば、先生からは危険ですと言われる。
親の前でも先生の前でも優等生でいたければ、左翼か右翼を見極めていくか、どっちつかずの状態をキープするしかなかった。
それゆえ、仲のいい友人が「なんで天皇を敬わなくちゃいけないの? 君が代を押しつけるなんておかしい」
などと言ったりすると、過剰に反応してしまう。
また逆に、「朝鮮人は出て行け」という発言にも、げんなりしてしまう。
日本の歴史について学べば学ぶほど、強制的に、まるで洗脳されているように万歳、崇拝とまではいかなくても
私達の国家とは何なのか、天皇とはどういうものか、
日本人はどんなふうに生きてきたか、それを考えれば
私にはどうしても、気持ち的に天皇制に反対はできない。
最近、美術史を調べていて、ナチスが行った空爆によって多くのかけがえのない美術品が失われ
また、芸術家達も戦争で死ななければならなかった事を知った。
手塚治虫はアトムを平和の大使として、世に送り出した。
その後のオタク文化で育った私は、戦争だけはゴメンだと思っている。
韓国アイドルも好きだし、部落も外国人に対しても差別は許さないと思っている。
格差も含めて、マイノリティを排除する社会は嫌いだ。
だけどその上で
実は共産主義国家が事実上崩壊したと言っていい時代に住んでいる。
今、太宰治と三島由紀夫の両方を手元に置いて
落ち込んだ時、自分の弱さと共に泣いてくれそうなのは太宰だ。
落ち込んだ時、なんだ、しっかりしろよって言ってくれそうなのは三島じゃないかと思う。
私にはどちらも優しく、どちらもその程度なのだ。
特に強烈な右翼でも左翼でもない。
文化としては、あらゆるものを受け入れる事のできる頭のいい人達が
どうして国という衣を着た途端、極端な考えしかできなくなるのだろう。
私にはそれが、祖父母や教師のように、一種異様な力にコントロールされてしまうようにしか見えないのだ。それが、いとも簡単に自分の思考を正当化させるひとつの方法として。
そんなわけだから、そのテの問題から私は逃げる。
知りませんぞんじません。
進むものと留まるものは陰陽道の昔からあるらしい。
自分にとってそのつど、都合のいい方法を選択
というとまた、ズルいのかなあ…?