続き。
実は、東浩紀さんの有名な著書「動ポモ」(動物化するポストモダン)という、オタク文化と社会評論の本を読んで
「ああ、こりゃ男オタの話だな、コミケでいうと3日目なので腐女子は関係ないな」
などと思っていた。
実際、女子ジャンルは年齢的には幅広いし、しかも
イミのあるのを望むのは上世代だけ、下はもっと即物的というのは、何かわけのわからんものが売れるのの
合理的な解釈にはなったとは思うが
本当に、下の世代は男性的な、犯るだけのエロを喜んでいるのか?
私はそこがずっと疑問だった。

多分、新しい世代はファッションとしての新しい絵のセンスを持っている。
同人誌即売会で売れるのは、売れる服と同じ感覚なのだ。
可愛い、華やか、流行、センス。
星・花・魂でいう「花」である。
ところで、絵を描くという作業は、実は恐ろしく理数系の頭を使う作業だ。
センスのいいデザインには、黄金分割だのシンメトリーだの
比率に関する事がもりだくさんで、美少年を描こうと思ったら、やはり比率は最優先される。
そこに更に、商業的ファッション感覚が必要になってくる。
60年代からの少女漫画の絵柄の変遷という事であれば、
グラフィック社の「美少年の描き方」こざき亜衣著 が詳しい。
面白くマンガにして下さっている。
花は、その美しい形と、咲きたてかどうかの色で決まる。

一方、携帯小説はどうか。
こちらは、理知的な絵柄を考慮する必要は全く無かった。
文字で伝えるのだから、より感覚的とでも言おうか、「星」に相当する。
それでもあえて、流行(花)の部分をあげるなら、短いセンテンスと技巧の無い文体だろうか。
前回に述べた「微分」の状態で書かれれるものだから、それでもよかった。
過激な性描写が…と言われる作品もあったりするが
やはり男性のエロとは違うと思う。
お星様が導く、運命。お星様に祈る気持ち。暗黒の心の夜空でキラキラとするもの
それにうっとりしたり、フワフワ夢見たり、時に泣いてしまったりするまさにそのムード。
女子の世界にはムードは不可欠なのだ。
(峰隆一郎の幕末小説読んでみ? 精子を排出すんのに忙しそうだから笑えるぞ)

もちろん世の中には全く男性向けエロと変わらない作品もあったりするのだが
それは出させる側の指針を疑ってもいいかもしれないし
男性化した女性を対象にしているのかもしれない。
男性社会に完全適応したタイプには、必要なのは戦場と自己実現だ。
そういう人もいてもいい。(それはそれでカッコいい)
(逆に、生まれながらの性別にこだわらなくても、
ムードとかオシャレとか、物に対して魂のようなのを大事にする男性もいる。
そもそも、男はこうで女はこうというのも、実は時代錯誤的なのだが
今は、唯心論の世界と唯物論の世界を上手く伝えるために
「男」と「女」を使って言う方がまだわかりやすいと思うので、
何かいい言葉が普及するまでこれを使おうと思う)

ストーリーは法則だ。ある方向に向かって流れる時間の中で
導き出されるものが読まれた時の「感想」になる。
それは、作品によっては、時によって恐ろしいほどに「思想」として隠されていたりもする。
テーマがイデオロギーにつながる作品なんかは、「だからやっぱり人はこうしなきゃいけないんだ」
って事まで連れてくる。物語の感想が思想なのだ。

しかし、その法則性、時間的方向性は極端に感覚的な世界では、成立しない。
その最たるものが「やおい」である。
なんで、同人誌業界で山も意味もオチも無いものがあれほどまでにOKになったか。
それは、商業誌の世界では、理解されなくてはならなかったために(男性社会のものであったために)
そうできなかっただけだ。わけわからんものは売れん。
同人誌は、そもそも商業的に売る目的ではない所から始まったために、男性型でない創作のあり方を許してくれた場所だったのだ。

少女達の世界には、計算式は存在しない。時間の経過ではなく刹那。
瞬間に感じる事が、世界の全てなのだから、
そうすると、女子の世界には、ストーリー展開のための規則や律は失われる。
成長してレベルアップする悟空よりも、ずっと同じ姿のヴァンパイアが好まれる。
(男子にとっては、ずっと同じである姿はむしろ恐怖かもしれない。
が、女子にとっては、花の色が移り変わっていく方がずっと恐怖だ)
だから、女子の「ロマンス」は思想ではない。ある生き方を誰かが見いだしたとしても
そればっかりの一義ではないだろう。
ウーマン・リブ運動の主張は、主義をもって主張する事自体について言えば男性的なのだ。

しかし、だから、そうしましょう、
やれ感覚だけで作りましょうというのではない。
何故なら、表現というのはそれが全てではないからだ。

カッコいいにーちゃんの絵がカッコいいのは、感覚によってある程度デフォルメされていても
きっちりとした数学的なバランスを保っているからだ。
法則や律があるから、人にわかりやすく、受け入れられる。
女子の微分的な世界は、やっぱり「わかりにくさ」「ひとりよがり」にいつでも突入する危険がある。
物を作るからには、やっぱり評価はそこそこ欲しいだろう。
(ここは、少しでもいいものを伝えたい人のための「作法」なのでその人達に向けて考えているとご理解していただきたい)

形にするなら、形を無視する事はできない。物語にしたいなら、最低限、物語でなくてはならない。
それすらいらんなら、もはや詩かイラストでいいじゃないか。
少なくとも、漫画か小説かでお話を書きたくて、誰かに伝えたいのなら、ハートはハートのチョコレートにしなくてはならないのだ。

いくら甘いからといって、そのドロドロの液体をそのまま誰かに渡す事はできない。
ハートの型に入れて、冷やして、型から出して、デコレーションして、
更にラッピング。リボンの色にもこだわって、そこまでやらなきゃ気持ちはただの気持ち。

その、チョコの型。それがストーリーで言う「概要」プロット、お話の基本的な流れ、あらすじだ。

オトコタイプの冒険談でなくていいといっときながら、オトコ枠に入れるの?
とか、そうじゃない。

ここは、わかりやすくしたいならせめてストーリーのキホン、5W1Hや起承転結、だけは
型として使おうよ、というもの。
だけど女子としては、「だからといって必ず、主人公は敵を倒して結果を出せというものではないよ」というものだ。

女子にとって大切なのは、主人公が利己的にならない事。

男性が他者を倒して、自分の力とし、戦っていくことで出世を選び、いつか世のため散るなら
女性は愛する他者に尽くす事で、たとえ世に出ずとも人生や世を慈しみつづけられる。
私にはそのどちらも、美しいものに見えるのだが。

だからもし、大塚英志さんがもしオトコタイプ「行って死んで(何か掴んで)レベル上げ」こそがストーリーの醍醐味というなら、

女子のそれは、「迷って(止まって)、愛して、いつまでも」
こそストーリーの醍醐味と思いたい。

愛のこもったスイート・チョコをね、渡そうね。
バレンタインはまだ先か。