マンガ用のペンネームRACHELで、携帯サイトゼロマンガ(0manga)にてオリジナルマンガを12ページ+表紙1ページを描きました。
その裏話と同時進行で、ここでは、ドラマ作りについて実践的なストーリーの作法について考えていきたいと思います。私もまだまだ未熟です。そして、一方法にすぎませんが、参考になればと思います。よろしく。
まず、お仕事の条件。
完全に形にして人前に出す、という時はまず先に「制限」があります。
たとえ同人誌であっても、そんなに予算も時間も無いですし。いやたとえ300枚でも出す金があったとしても、コミケなら搬入がしんどいでしょう。ページ制限は頭痛いとこです。
投稿であれば投稿規定に従わなくてはいけません。こういう規定枚数との戦いは、人に見せようと思った時にはもう始まっています。
条件は、12~16の短篇で、Hシーンを必ず2ページ入れること、でした。
これは、メディアが携帯サイトなのでダウンロード時間の関係と、単に読者層とアクセス数の問題です。
私はマトモにエロマンガを描いたことはなく、BLにいたっては小説が殆ど、と告げると
どうしてもダメならそれはそれで必要ということでしたので、お受けしてみることにしました。
ところでその頃の私の状況は、というと。
夏コミで自スペースと近い所に大手列があり、大手の列に並んだ人は購入すまして、すぐ帰る。
ものすごく頑張って作ったという人達が他にもいっぱいいるのに、見てさえくれない。
大きな袋グッズには大手さんのイラストがバーンと。そしてやっぱり…
「内容なんか無くてもエロ描いてりゃあ部数は延びるんだろうな」
なんて、ちょっとしたヤサグレた心理に、陥るのですよ。同じように頑張っているのですから、
そういう嫉妬とやるせなさと、自信喪失の罠は、どこにでも落ちてます。
おまけに不景気、ですからね。
そのような時でしたのですが、自分は自分なりで頑張っていく気でいました。
ほんとにもう、そーしか…。
でまず、私がやってみたいと思ったのは
森鴎外の「高瀬舟」現代版。
新聞で読んで京都であった実際の事件に、そんなものがあったのを記憶していたので
格差社会の中で、閉塞感の中で、いい素材だなと思ったのと
それに、現代人はすでに、鴎外の時代にあったような心の機微を失いつつあるんじゃないか?
もっとマテリアル化しているのなら…そしてより刺激的であればその方がいいんだ、というのであれば
そこから新しいものができないだろうか?
と、こういう案をいくつか出しました。
ルーズリーフのノートに箇条書き。使用しているのはダイソー100円のA5ルーズリーフ。
持ち運べるのと、いらない部分は外せるので気楽に使えます。ボツにしたアイデアは外して後から別に整理します。同人誌ネタもラクガキも、今日の買い物もボヤキもこれに書きます^^
パソコンは使いません。具合が悪くなったら見れないし。消えたらやだし。
さて、アイデアは
・社会的弱者の二人がメイン
・1人は主体、意志(攻)。1人は物質的で無気力(受)?
・「高瀬舟」の同心=検事
・ストーリーはほぼ同じ。あらすじは参照サイト「名作のあらすじ」より
++++++++
弟殺しの罪で高瀬舟に乗せられて島流しにされる喜助は、なぜか晴ればれとしている。護送の役目の同心・羽田庄兵衛はそれを不思議に思い、彼の心持ちを問うてみる。喜助は、島送りになったら食べさせてもらえる上に鳥目200文を頂戴して有難いと言う。聞けば、彼が犯した弟殺しというのは、自殺を図って死にきれず苦しんでいる弟に手を貸し死なせてやったということだった。庄兵衛は、喜助の安心立命の境地に感嘆し、いわゆる”安楽死”の問題に大きな疑問を持つ。
+++++++++
この話のテーマは「安楽死」なんですが、「死を与える」とはどういうものか。
デリダの著書にそんなタイトルのあったっけ。
刺激的、というのであれば、物質化した心はどこにいくのか。
夢も未来も描けない、絶望的に役に立たない心が、その物質的な「肉体」の部分を滅ぼすことで、精神だけになって、相手の役にたちたいと思うなら…。
これには、秋葉原や土浦での自暴自棄な哀しい事件についての考えもありました。
大きな社会から、役にたたないと言われた存在。
もしも社会がフラクタルならば、私達は小さな社会(家族や恋人との関係)の中で、せめて役にたたないと生きていけない。つまり、社会から排除されても、そこで小さな関係の中で満たされれば幸福なのではないか。
そして、もしかして役にたたない肉体で、相手と1つになりたければ
まあ、そんな考えから、「殺して、食べて」
というカニバリズムはどうだろう? そして、愛するゆえにそうした、としても
世間はおそらくバッシングの嵐だけ、ではないのかと。
ところで、森鴎外は「高瀬舟」のテーマの1つである「何が幸福か」について
何も結論は出していません。少ない給料や世間のしがらみで生きてる、それほどド不幸ではない同心がシアワセなのか、それとも愛する兄弟を殺したが、別に悪意でなく、後悔もなさげな罪人なのか。
「高瀬舟縁起」の中で、鴎外はこう書いています。
----
すなわち死に瀕《ひん》して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。
こう思って私は「高瀬舟」という話を書いた。『中央公論』で公にしたのがそれである。
-----
私はこんな風に立ててみました。
まず、猟奇殺人で逮捕された主人公が、検事に「死刑にして下さい」と言う。
しかし、承諾殺人は死刑にはならない。
理由をきく所から回想。
食べた事実については黙秘。
この時点で軽く決めた設定は
児童養護学校出身、2人共低学歴。1人は足に障害があってフツウに働けない。
しかもBL関係
名前は
サブジェクト=主体=サ=変換したら佐が出た=佐伯
オブジェクト=客体=変換したら小渕て出た
主人公=鴎外の「喜助」 k 幸福 の幸のコウだとややベタなので 仁義、人同士の仁愛を意味する「孝」
姫役=物質でありそれを失いたいわけで、精神的な響きかつ現代的な。楽に死なせて=ユウタナジー= ユウ そんなら「悠」
と、ここまでをネタとして出した所で提出。
しかし返事はこうでした。
「他の作品が明るいので重すぎる。もっと明るいのにしてくれ。エロはいいけど猟奇とカニバはだめ」
この会社側からの要望は、私のネガティブさを払拭するものでもありました。
つまり、刺激的なものばかりが求められているのではない、
そういう会社もあるかもしれないが、ウチは違う、本当に質の高いものを出していきたい
と。
それには賛成でしたし、読者側が求めているものが、純愛や希望といったもので、けして「過激な低俗なもの」ばかりではない事実にも、救われた気持ちでした。
そして「設定はこのままでデッドエンドでなくて、ハッピーエンドにしてくれ。殺人事件ではなく、立場的に弱いけれど頑張って困難をのりこえて希望を持って生きていけるような」
と。究極のご注文です。
「高瀬舟」の結末をハッピーエンドにしろ、ということですか。
それはつまり、鴎外ですらはっきりとは書かなかった
「何が幸せなのか」
について、私なりでいいから、結論を書きなさいということです。
何が、幸せなんでしょうか。
ド不幸、ド貧乏、世の中からは「邪魔者は死ね」とばかりの扱い
蔑まれ、希望は持てず、真っ暗闇で、夢を持ったり望んだりもかなわない。
いやしかし。
ディケンズは、そしてクールベは、そんなどーしようもなく苦しい現実の中からも
幸せの価値は見いだせる
そんなことを思っていたから、幻想に逃避はしなかった。
泥の中から、宝石を拾えるか。
ゴミためからバラを咲かせられるか
つまり、美や創作とはそういう部分も担えるもの、なんでしょう。
私なりの考えしか出せません。
私がこうであると言ったところで、懐疑的になりつつシニカルで、
否定と批判とあら探しだけは上手くなった現代です。
声高にこうであると言おうものなら、すかさず「それ違うんじゃない?」でしょう。
もうイデオロギーの成り立つ世の中ではありません。
考え方はバラバラ、価値観もバラバラなはずなのに、大きく捉えたら
皆どこかやるせなく虚しく、同じ考えしかできなくなってしまっている。
身動きできない中での「どうせ…」というネガティブさに満ちている。
だからあえて、答なんか書けなかったのですが
考えは違うと言われても、感情までは誰も違うと否定できないのではないか
最後はそう思いました。
「こういう考えが正しいのである」というと、違う考えのどれかは否定される。
だけど「間違っているかもしれないけど、好きだ」までは誰も否定できないはず。
まさにそれは「愛を取り戻せ」。
私は話を帰納法で作りました。
つまり、猟奇殺人がある、何故か、理由、オチという流れで、これも「高瀬舟」の中で見られる手法で、同じです。
短篇ではこの方法の方がまとまりやすいです。
しかし、「何故」からはじめる話の欠点としては、上手くないと発展性が無くなる可能性もあるということです。
何が幸せなのかを悶々と考えつつ、私は1つの方法を試すことにしました。
「逆転法」といいます。
なぜそうしたか、を考えたわけですから「それからどうなる」で作っていく、演繹になおさねばならない。
そうすると、
1.状況説明、事件発端
2.するとこうなって
3.ところがこうなり
4.こうなった
という、起承転結で流れていくことになります。
次回、逆転法の方法に続きます。
その裏話と同時進行で、ここでは、ドラマ作りについて実践的なストーリーの作法について考えていきたいと思います。私もまだまだ未熟です。そして、一方法にすぎませんが、参考になればと思います。よろしく。
まず、お仕事の条件。
完全に形にして人前に出す、という時はまず先に「制限」があります。
たとえ同人誌であっても、そんなに予算も時間も無いですし。いやたとえ300枚でも出す金があったとしても、コミケなら搬入がしんどいでしょう。ページ制限は頭痛いとこです。
投稿であれば投稿規定に従わなくてはいけません。こういう規定枚数との戦いは、人に見せようと思った時にはもう始まっています。
条件は、12~16の短篇で、Hシーンを必ず2ページ入れること、でした。
これは、メディアが携帯サイトなのでダウンロード時間の関係と、単に読者層とアクセス数の問題です。
私はマトモにエロマンガを描いたことはなく、BLにいたっては小説が殆ど、と告げると
どうしてもダメならそれはそれで必要ということでしたので、お受けしてみることにしました。
ところでその頃の私の状況は、というと。
夏コミで自スペースと近い所に大手列があり、大手の列に並んだ人は購入すまして、すぐ帰る。
ものすごく頑張って作ったという人達が他にもいっぱいいるのに、見てさえくれない。
大きな袋グッズには大手さんのイラストがバーンと。そしてやっぱり…
「内容なんか無くてもエロ描いてりゃあ部数は延びるんだろうな」
なんて、ちょっとしたヤサグレた心理に、陥るのですよ。同じように頑張っているのですから、
そういう嫉妬とやるせなさと、自信喪失の罠は、どこにでも落ちてます。
おまけに不景気、ですからね。
そのような時でしたのですが、自分は自分なりで頑張っていく気でいました。
ほんとにもう、そーしか…。
でまず、私がやってみたいと思ったのは
森鴎外の「高瀬舟」現代版。
新聞で読んで京都であった実際の事件に、そんなものがあったのを記憶していたので
格差社会の中で、閉塞感の中で、いい素材だなと思ったのと
それに、現代人はすでに、鴎外の時代にあったような心の機微を失いつつあるんじゃないか?
もっとマテリアル化しているのなら…そしてより刺激的であればその方がいいんだ、というのであれば
そこから新しいものができないだろうか?
と、こういう案をいくつか出しました。
ルーズリーフのノートに箇条書き。使用しているのはダイソー100円のA5ルーズリーフ。
持ち運べるのと、いらない部分は外せるので気楽に使えます。ボツにしたアイデアは外して後から別に整理します。同人誌ネタもラクガキも、今日の買い物もボヤキもこれに書きます^^
パソコンは使いません。具合が悪くなったら見れないし。消えたらやだし。
さて、アイデアは
・社会的弱者の二人がメイン
・1人は主体、意志(攻)。1人は物質的で無気力(受)?
・「高瀬舟」の同心=検事
・ストーリーはほぼ同じ。あらすじは参照サイト「名作のあらすじ」より
++++++++
弟殺しの罪で高瀬舟に乗せられて島流しにされる喜助は、なぜか晴ればれとしている。護送の役目の同心・羽田庄兵衛はそれを不思議に思い、彼の心持ちを問うてみる。喜助は、島送りになったら食べさせてもらえる上に鳥目200文を頂戴して有難いと言う。聞けば、彼が犯した弟殺しというのは、自殺を図って死にきれず苦しんでいる弟に手を貸し死なせてやったということだった。庄兵衛は、喜助の安心立命の境地に感嘆し、いわゆる”安楽死”の問題に大きな疑問を持つ。
+++++++++
この話のテーマは「安楽死」なんですが、「死を与える」とはどういうものか。
デリダの著書にそんなタイトルのあったっけ。
刺激的、というのであれば、物質化した心はどこにいくのか。
夢も未来も描けない、絶望的に役に立たない心が、その物質的な「肉体」の部分を滅ぼすことで、精神だけになって、相手の役にたちたいと思うなら…。
これには、秋葉原や土浦での自暴自棄な哀しい事件についての考えもありました。
大きな社会から、役にたたないと言われた存在。
もしも社会がフラクタルならば、私達は小さな社会(家族や恋人との関係)の中で、せめて役にたたないと生きていけない。つまり、社会から排除されても、そこで小さな関係の中で満たされれば幸福なのではないか。
そして、もしかして役にたたない肉体で、相手と1つになりたければ
まあ、そんな考えから、「殺して、食べて」
というカニバリズムはどうだろう? そして、愛するゆえにそうした、としても
世間はおそらくバッシングの嵐だけ、ではないのかと。
ところで、森鴎外は「高瀬舟」のテーマの1つである「何が幸福か」について
何も結論は出していません。少ない給料や世間のしがらみで生きてる、それほどド不幸ではない同心がシアワセなのか、それとも愛する兄弟を殺したが、別に悪意でなく、後悔もなさげな罪人なのか。
「高瀬舟縁起」の中で、鴎外はこう書いています。
----
すなわち死に瀕《ひん》して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。
こう思って私は「高瀬舟」という話を書いた。『中央公論』で公にしたのがそれである。
-----
私はこんな風に立ててみました。
まず、猟奇殺人で逮捕された主人公が、検事に「死刑にして下さい」と言う。
しかし、承諾殺人は死刑にはならない。
理由をきく所から回想。
食べた事実については黙秘。
この時点で軽く決めた設定は
児童養護学校出身、2人共低学歴。1人は足に障害があってフツウに働けない。
しかもBL関係
名前は
サブジェクト=主体=サ=変換したら佐が出た=佐伯
オブジェクト=客体=変換したら小渕て出た
主人公=鴎外の「喜助」 k 幸福 の幸のコウだとややベタなので 仁義、人同士の仁愛を意味する「孝」
姫役=物質でありそれを失いたいわけで、精神的な響きかつ現代的な。楽に死なせて=ユウタナジー= ユウ そんなら「悠」
と、ここまでをネタとして出した所で提出。
しかし返事はこうでした。
「他の作品が明るいので重すぎる。もっと明るいのにしてくれ。エロはいいけど猟奇とカニバはだめ」
この会社側からの要望は、私のネガティブさを払拭するものでもありました。
つまり、刺激的なものばかりが求められているのではない、
そういう会社もあるかもしれないが、ウチは違う、本当に質の高いものを出していきたい
と。
それには賛成でしたし、読者側が求めているものが、純愛や希望といったもので、けして「過激な低俗なもの」ばかりではない事実にも、救われた気持ちでした。
そして「設定はこのままでデッドエンドでなくて、ハッピーエンドにしてくれ。殺人事件ではなく、立場的に弱いけれど頑張って困難をのりこえて希望を持って生きていけるような」
と。究極のご注文です。
「高瀬舟」の結末をハッピーエンドにしろ、ということですか。
それはつまり、鴎外ですらはっきりとは書かなかった
「何が幸せなのか」
について、私なりでいいから、結論を書きなさいということです。
何が、幸せなんでしょうか。
ド不幸、ド貧乏、世の中からは「邪魔者は死ね」とばかりの扱い
蔑まれ、希望は持てず、真っ暗闇で、夢を持ったり望んだりもかなわない。
いやしかし。
ディケンズは、そしてクールベは、そんなどーしようもなく苦しい現実の中からも
幸せの価値は見いだせる
そんなことを思っていたから、幻想に逃避はしなかった。
泥の中から、宝石を拾えるか。
ゴミためからバラを咲かせられるか
つまり、美や創作とはそういう部分も担えるもの、なんでしょう。
私なりの考えしか出せません。
私がこうであると言ったところで、懐疑的になりつつシニカルで、
否定と批判とあら探しだけは上手くなった現代です。
声高にこうであると言おうものなら、すかさず「それ違うんじゃない?」でしょう。
もうイデオロギーの成り立つ世の中ではありません。
考え方はバラバラ、価値観もバラバラなはずなのに、大きく捉えたら
皆どこかやるせなく虚しく、同じ考えしかできなくなってしまっている。
身動きできない中での「どうせ…」というネガティブさに満ちている。
だからあえて、答なんか書けなかったのですが
考えは違うと言われても、感情までは誰も違うと否定できないのではないか
最後はそう思いました。
「こういう考えが正しいのである」というと、違う考えのどれかは否定される。
だけど「間違っているかもしれないけど、好きだ」までは誰も否定できないはず。
まさにそれは「愛を取り戻せ」。
私は話を帰納法で作りました。
つまり、猟奇殺人がある、何故か、理由、オチという流れで、これも「高瀬舟」の中で見られる手法で、同じです。
短篇ではこの方法の方がまとまりやすいです。
しかし、「何故」からはじめる話の欠点としては、上手くないと発展性が無くなる可能性もあるということです。
何が幸せなのかを悶々と考えつつ、私は1つの方法を試すことにしました。
「逆転法」といいます。
なぜそうしたか、を考えたわけですから「それからどうなる」で作っていく、演繹になおさねばならない。
そうすると、
1.状況説明、事件発端
2.するとこうなって
3.ところがこうなり
4.こうなった
という、起承転結で流れていくことになります。
次回、逆転法の方法に続きます。