やはり規制に関しては、厳しい方向で動いているらしい。

「エロゲーは危険な社会を作り出す凶器」――規制を求める請願、衆議院に


オンリーイベント主催から、封書が届いた。
9月に行われたイベントで、18禁を扱ったサークルとそうでないサークルを分けて配置したのだが
色々とトラブルがあったそうで、お詫びとの事。
私の配置された場所とは階が違ったのでわからなかったが。

要するに、主催者側、会場側、そして行政の意見が噛み合ないと言う事だ。
そもそも今回の話、行政が介入しなければ何の問題もなかった。

アニメやマンガを日本の主力産業にしよう、といいながら、どうして規制するのか。
この閉塞的な状況で、オタク業界だけがパワーを持つ理由が、どうしてわからないのだろうか。

同人誌業界は、この夏、表現の自由という問題とイヤでも向き合わなくてはならなかった。

私はあまり、18禁にひっかかるものを描いてこなかった。
何故か。18禁は、それが想像力から成るものか、ただの妄想なのか、自分でも区別をしにくいからだ。
ぶっちゃけ、Hシーンしか無いものは描きやすい。構成もストーリーもそれほど考えずにすむ。
テーマなんかいらないし、何が言いたいのか、自分のコトバや思想はいらない。
「愛ですよ愛」にいともカンタンに逃げ込め、誤摩化せる。
いや、要するに、自分でダメ出ししたというだけかもしれない。
そういうのも、自分でダメ出しするもしないも自由である、という大前提があったからこそ出来た事だ。

行政側が余計に心配してしまうのは、マスコミの学者が言う「アニメやゲームの影響」のせいなのだが。
もし、本当に全ての犯罪がゲームのせいだ、それを所持していたせいだというならば
それにしちゃあまりにも発生率は低すぎやしまいか。
確かに犯人の中には、そして学者の中にも、説明のつかないもやもやに対して単純に
これ以上ない合理的な答として「ゲームやアニメのせい」を持ってくる者もいるだろうが。

闇の部分に通じている、そういうものを規制し、排除する。
人民は、余計なものにとらわれず、生産性を上げる駒になれ。
そのまるで共産主義的なやり方は、いったいどこから導き出されてきたのだろうか。

21世紀は逆に、それと正反対の闇の部分に踏み込む事こそ求められている。
20世紀は物理と科学の時代だったのだ。
合理化する事で、素晴らしい社会を作ってきたはずだった。
だけど、私達はどこまでも人間であり、物にはなれない。
人はもう一度きちんと、理屈では解き明かせない部分に着手しなくてはいけなくなるだろう。
非合理、非物質、唯心論、神秘主義、そういったものについて。

多くの人が創作して発表するのは簡単にできるようになった。
しかし、「どうすればできるのか」のノウハウを学ぶ者は多くても
「何故、何のために創作するのか」を問う者は少ない。
創作する者が最も、問い続けていかなくてはならない部分を「自己表現」という言葉で安易に片付ける。

行政の介入に対抗したければ、安易な儲け主義は捨てて、テーマや意味のあるものを出し続ける事だ。

本当にお金だけ欲しくて創作しはじめる者なんか少ないはず。
お金だけ欲しいのは、案外創作者の周囲の、創作なんかしない人だったりするのだ。

表現の自由を訴える以前にあるモラルとは何か。
そこにあるのは本物の知性である。
優れた作品は時代の必然なのだろう。
そして、その必然によって動かされる筆はおそらく誰にも止める事はできないものだ。
手塚治虫の数々の名作のように。

必要なのは無知な規制ではなく、知性ある自由なのだろう。