アメリカ中心の抽象表現主義からアートを観ていて
サブライムという言葉に何度も会った。
びっくり仰天! というかんじだろうか、とにかく大きい事はいい事というのがアメリカ式らしい。
人間の欲望を否定せずに、むしろ経済に利用する事で発展したわけだ。
そこらへん、いったいどこから始まったのかと、フリーメーソンという秘密結社が
世界をどんな風にしたかったのかも含めて、読んでしまうハメになった。
欲望にキリは無いから、「餓鬼」をのさばらせれば、巨大=良いになる。
日本も高度経済成長期にそうだった。
アニメでは「巨大ロボット」が戦うのが常だった。
単独で頑張っていたアトムより、いくつものパーツが合体して巨大な組織を作り
ガチで稼ぐ、みたいな…。
ところが、日本のアニメときたら、そのニーズに応える巨大ロボに乗りながら
主人公は常に「どうして戦わなくちゃいけないのか」に悩んできた。
今更ながら、日本の美術界が排斥できなかった価値観を、アニメはさらりとやってのけたものなのだなと思って、「機動戦士ガンダム」を観る。
と、同時にアメリカ式の、徹底的に教育された価値観の中にいる限り、もしかして「ガンダム」を観ても
アメリカ人にとっては、いくつか理解に苦しむ部分があるだろうなとも思った。
今、アメリカにとって一番の関心事は「サブライム」でなくて「サブプライム」だろう。
巨大である事とフロンティア・スピリッツによって、地球を破壊してきたという事も
おそらく薄々感じてはいるのだ。
その空気はあらゆる所に波及する。
20世紀はアメリカの時代だったのだ。
アメリカについて行けばよかった。巨大な力こそが、美となったのかもしれない。
かつてのイギリスがやっちまった事を、なんでまたやってしまうのか不思議でならないが。
結局カンディスンキーの登場した100年前と、あんまり変わってはいないのかもしれない。
さてサムライの我々はどうすべきか。
戦後の日本で、一時剣道はGHQに取り上げられてしまったらしい。
逆に言えば、タイマン勝負だとかなわないゆえ、大量破壊兵器に頼ったという事かもしれない。
フリーメーソン式の考えの本を読む度、「これって俯瞰図だ」と思ってしまう。
高いビルの上から、行き交う人々を見下ろしている孤高。
1対多数の監視塔。
その監視塔のてっぺんからどんなカオが見えるのだろうか。
おのおのが今日、誰とどんな話をし、何を食べ、何が好きか
その全てを一瞬で把握できたら神様だ。
できないゆえに孤高は孤独となる。
ガンダムは、個体同士である。
個体同士には、対立と会話がある。
つまりそれがこの世の意味だ。
この意味は、巨大な物を得る事を最上の喜びとする社会から
たとえ少数であっても、自身の存在価値を認めてもらう社会へと導く要素だと思う。
呟くような小さな言葉、つまり「詩」は、失われたわけではない。
おそらく20世紀の「大声」によってかき消されただけなのだろう。
それでも今後もアメリカ式美術は、コロニー落とし的な美学のまま存在するだろうし
それはそれでやってもかまわないと思うが。
ただ、何を美学としてやっていっていいかを自ら選ぶなら
それのみが良いのだとされる定義に対しては自由にであってもいいはず。
抒情と対話
それが、今後の美術界にどう現れてくるか、それとも来ないか。
…ジャパニメーションはそんな事気にも止めず、とっとと先を走るんだろうな。
どれ同人誌は、ついていきましょうか、と。
サブライムという言葉に何度も会った。
びっくり仰天! というかんじだろうか、とにかく大きい事はいい事というのがアメリカ式らしい。
人間の欲望を否定せずに、むしろ経済に利用する事で発展したわけだ。
そこらへん、いったいどこから始まったのかと、フリーメーソンという秘密結社が
世界をどんな風にしたかったのかも含めて、読んでしまうハメになった。
欲望にキリは無いから、「餓鬼」をのさばらせれば、巨大=良いになる。
日本も高度経済成長期にそうだった。
アニメでは「巨大ロボット」が戦うのが常だった。
単独で頑張っていたアトムより、いくつものパーツが合体して巨大な組織を作り
ガチで稼ぐ、みたいな…。
ところが、日本のアニメときたら、そのニーズに応える巨大ロボに乗りながら
主人公は常に「どうして戦わなくちゃいけないのか」に悩んできた。
今更ながら、日本の美術界が排斥できなかった価値観を、アニメはさらりとやってのけたものなのだなと思って、「機動戦士ガンダム」を観る。
と、同時にアメリカ式の、徹底的に教育された価値観の中にいる限り、もしかして「ガンダム」を観ても
アメリカ人にとっては、いくつか理解に苦しむ部分があるだろうなとも思った。
今、アメリカにとって一番の関心事は「サブライム」でなくて「サブプライム」だろう。
巨大である事とフロンティア・スピリッツによって、地球を破壊してきたという事も
おそらく薄々感じてはいるのだ。
その空気はあらゆる所に波及する。
20世紀はアメリカの時代だったのだ。
アメリカについて行けばよかった。巨大な力こそが、美となったのかもしれない。
かつてのイギリスがやっちまった事を、なんでまたやってしまうのか不思議でならないが。
結局カンディスンキーの登場した100年前と、あんまり変わってはいないのかもしれない。
さてサムライの我々はどうすべきか。
戦後の日本で、一時剣道はGHQに取り上げられてしまったらしい。
逆に言えば、タイマン勝負だとかなわないゆえ、大量破壊兵器に頼ったという事かもしれない。
フリーメーソン式の考えの本を読む度、「これって俯瞰図だ」と思ってしまう。
高いビルの上から、行き交う人々を見下ろしている孤高。
1対多数の監視塔。
その監視塔のてっぺんからどんなカオが見えるのだろうか。
おのおのが今日、誰とどんな話をし、何を食べ、何が好きか
その全てを一瞬で把握できたら神様だ。
できないゆえに孤高は孤独となる。
ガンダムは、個体同士である。
個体同士には、対立と会話がある。
つまりそれがこの世の意味だ。
この意味は、巨大な物を得る事を最上の喜びとする社会から
たとえ少数であっても、自身の存在価値を認めてもらう社会へと導く要素だと思う。
呟くような小さな言葉、つまり「詩」は、失われたわけではない。
おそらく20世紀の「大声」によってかき消されただけなのだろう。
それでも今後もアメリカ式美術は、コロニー落とし的な美学のまま存在するだろうし
それはそれでやってもかまわないと思うが。
ただ、何を美学としてやっていっていいかを自ら選ぶなら
それのみが良いのだとされる定義に対しては自由にであってもいいはず。
抒情と対話
それが、今後の美術界にどう現れてくるか、それとも来ないか。
…ジャパニメーションはそんな事気にも止めず、とっとと先を走るんだろうな。
どれ同人誌は、ついていきましょうか、と。