「リテラシー」だの「ディシプリン」だの、わざとらしく仰々しい横文字羅列で、「芸術の終焉」を嘆く本を読んでいる。
ロックと、ポップと、アニメと、同位置に置かれるのがそんなに嫌なのか?
笑ってしまう。

この人達は、「藝術」というそれはそれは尊いものを理解できる自分らはものすごく偉いんだぞ、
あなた方とはアタマの出来が違うんだぞ、藝術を語るならヘーゲルを、バウムガルテンを読んでから来なさい云々というかんじで。

わからないのだろうか。
芸術は終焉をむかえたのではない。
貴方達がその高慢な態度で、殺してしまったのではないのか。
それはそれは美しい愛人が、他の下賤な輩に汚されたくなかったために。
アタマのいい自分のためにだけ側にいてほしくて。
そして違いのわかる自分を自分で褒めてやりたいから。
なんて貧しい。

芸術は、たかだか200年ほど前に西洋の一部のエリートさん達によって哀しい鎖をつけられた。
定義とは呪詛だ。時間と共に本体を腐らせる。
美も、芸術も、本当は死んでなんかいない。
貴方達の側にいるのは、もううんざりだと思っただけだ、きっと。
出て行った愛人を「アート」と呼ぶならそうすればいい。

もしも、崇高な知的文化である芸術とやらを知る事が偉い事で
一般人にカンタンにわかってもらっちゃ困るようなものだったならば
マリア様の絵はきっと難解なお経のようなものだったろう。
誰もシェイクスピアやギリシャの悲劇に泣いたりせず、
ふむふむと偉そうに論じ合っていただろう。
詩人たちは貴方達を喜ばせるために、難解な暗号文として詩を書いたわけではないし
ユトリロもベートーヴェンも、不幸や狂気の中であんなに作品に集中していたのは、
別にマニアックな評論家の教養のためというわけではない。
結果的にそんな風にされてしまったとしても。

「芸術とは何か」をそんなに定義したいのか。
そんなもの定義したって誰も喜ばない。
定義から外れたジャンルが芸術ではなくなるだけだ。

魂をぶつけて魂で受け止められるもの
人の五感と直観で得たものが、それを出したいだけの欲求で培われたスキルによって
完璧に形を成し、
受ける側がダイレクトに直観で感応し、五感の感覚を再現するもの

いいじゃないか、終焉だというなら一度そこで終わらせとけ。
何が正解かなんて、いらない。
少なくとも、誰かを偉い人にするために存在なんかしなくていい。

何よりもまず音楽を。
つべこべ利害を唱えるヤツからご退出
21世紀は21世紀、楽しかったらそれでいい。