神父はロベルトに十字架を見せて言った。
「十字の縦の棒、これは何か。
これは、神と自分とをまっすぐにつなぐものだ。神と、自分と、あるいはその下の地獄も、かもしれない。
それらは目には見えない。
人は、自我を抱き、思う事をはじめる時、一つの意思ある存在になる。
君がかつて、画家になりたいと私に話した時、それは誰かに言われたからではなかった。
描きたいとただ、そう思ったからだったろう。
そこには、他ならぬ君自身の意があった。
十字架の横の棒、これは何か。
これは、世の中にあまたある物だ。水平な地上にどこまでも広がっている。
人間もまた、物だ。生物は数を増やすために生きている。
そして、人はこの十字架の真ん中にくくりつけられて生きている。
こんな事を言うと、キリストと人を同一視すると言っては叩かれるのだが。
どちらも失っては人ではないから面倒だ。
つまりどちらかを失えば人は死ぬのだ。
物である肉体が滅ぶ場合も、
肉体はあっても意識、魂を失った場合も。
そして、私は思うのだが。
どちらが正しいというのでもなく
どちらに重きを置いてもならぬのだろうと。
形あるものはいつか壊れる。
芸術家であればあるほど、きっとその壊れる早さを知るだろう。
魂は確かに尊く、神との繋がりを感じては誇らしく思うだろう。
しかし人はそう思いあがるだけで、けして神にはなれない。
滅びゆく宿命の、物を口にせずには生きられない。
生きるためには、その手を汚す事もあるだろう
物の形は変わってゆく。
だから、時と共に様々に変わるのは当然なのだ。
だが、けっして変えてはいけないものがある。
人は常に、目にするものに惑わされ、見えるものが価値あるものだと思ってしまう。
しかし、本当に価値があるのは、目に見える形ではない。
君はたしかに絵を見た。
しかし、本当に見たものは何だったろうね。
筆の使い方、人や衣服の形、あるいは光の加減
そのあらゆるもの全てから受け、その向こうにある言葉に
心は動いたのではなかったろうか」
彼はライバルであった亡命者オーギュストの絵を思い出した。
彼の絵がわからなかった理由がわかった。
なんとも皮肉に、雑多な知識でオーギュストの絵を評していただろうか。
あれは全く、子供の心、子供の言葉なのだ。
結局、その後の彼は
都会に戻る事はなかったらしい。
華々しかった頃の名声のおかげで、招かれる事は何度かあったようだが。
なんと、田舎で聖職者となり、世話になった神父の後をついだ。
もちろん絵を描く事はあったが
作品は全て教会に寄贈。そして71歳でこの世を去るまで
美術の研究を続け、絵画と人との橋渡しをすべく
多くの画家達を一般の人に紹介しつづけたらしい。
ーーーーーーEND
さてここまで読んで、イタリアかフランスの美術史を検索にかけてみた方がいらっしゃったら
まことに申し訳ありません。
以上の話はフィクションです^ ^
「十字の縦の棒、これは何か。
これは、神と自分とをまっすぐにつなぐものだ。神と、自分と、あるいはその下の地獄も、かもしれない。
それらは目には見えない。
人は、自我を抱き、思う事をはじめる時、一つの意思ある存在になる。
君がかつて、画家になりたいと私に話した時、それは誰かに言われたからではなかった。
描きたいとただ、そう思ったからだったろう。
そこには、他ならぬ君自身の意があった。
十字架の横の棒、これは何か。
これは、世の中にあまたある物だ。水平な地上にどこまでも広がっている。
人間もまた、物だ。生物は数を増やすために生きている。
そして、人はこの十字架の真ん中にくくりつけられて生きている。
こんな事を言うと、キリストと人を同一視すると言っては叩かれるのだが。
どちらも失っては人ではないから面倒だ。
つまりどちらかを失えば人は死ぬのだ。
物である肉体が滅ぶ場合も、
肉体はあっても意識、魂を失った場合も。
そして、私は思うのだが。
どちらが正しいというのでもなく
どちらに重きを置いてもならぬのだろうと。
形あるものはいつか壊れる。
芸術家であればあるほど、きっとその壊れる早さを知るだろう。
魂は確かに尊く、神との繋がりを感じては誇らしく思うだろう。
しかし人はそう思いあがるだけで、けして神にはなれない。
滅びゆく宿命の、物を口にせずには生きられない。
生きるためには、その手を汚す事もあるだろう
物の形は変わってゆく。
だから、時と共に様々に変わるのは当然なのだ。
だが、けっして変えてはいけないものがある。
人は常に、目にするものに惑わされ、見えるものが価値あるものだと思ってしまう。
しかし、本当に価値があるのは、目に見える形ではない。
君はたしかに絵を見た。
しかし、本当に見たものは何だったろうね。
筆の使い方、人や衣服の形、あるいは光の加減
そのあらゆるもの全てから受け、その向こうにある言葉に
心は動いたのではなかったろうか」
彼はライバルであった亡命者オーギュストの絵を思い出した。
彼の絵がわからなかった理由がわかった。
なんとも皮肉に、雑多な知識でオーギュストの絵を評していただろうか。
あれは全く、子供の心、子供の言葉なのだ。
結局、その後の彼は
都会に戻る事はなかったらしい。
華々しかった頃の名声のおかげで、招かれる事は何度かあったようだが。
なんと、田舎で聖職者となり、世話になった神父の後をついだ。
もちろん絵を描く事はあったが
作品は全て教会に寄贈。そして71歳でこの世を去るまで
美術の研究を続け、絵画と人との橋渡しをすべく
多くの画家達を一般の人に紹介しつづけたらしい。
ーーーーーーEND
さてここまで読んで、イタリアかフランスの美術史を検索にかけてみた方がいらっしゃったら
まことに申し訳ありません。
以上の話はフィクションです^ ^