最近「世の中が間違っている」として短絡的な犯行に走る方がいらっしゃいます。
しかし、非常に残念な事に、世の中が正しかった事なんか無いんです。
歴史を学べばすぐにわかるし、正しくないからこそ、人はなんとかしようとして
宗教や、芸術を、あるいはスボーツも、生み出してきたんですよね。

要するに正しいものはこの世に簡単には存在できないというか
正しさこそは人が人智でつくりあげたものなのです。

これは、道徳心と、表現者の志の問題です。
ガッツリ稼いで欲しいものたくさん買って、うまいもの食えたらそれでいいじゃん♪
ハイ、ほんとはそれでいいんでしょう。
人も動物ですからね、欲望まみれで生きる事を肯定しても別にかまいません。
しかし、哀しいかな、霊長類ヒト科の中には、けしてそれだけで満足できなかったり
競争に負けても死ねずに生きねばならなかったり、
負けた者に対して「放っとけないよ!」という感情を持つ者もいるのです。

かつては、そういう者達が「人間らしい」と呼ばれていました。
だけど、社会がヒトに合理化を求めてしまった。

まだそれに帰属できずに、若者らしさで抗えた時代は
パンクロックあたり聞いてても良かったかもしれませんが
今や合理化の前に闘う意欲も失い、征服させられているわけです。
そうすると、今度は保身のために、孤独に闘うよりは大きいものに身を寄せて
自分をかろうじて正当化していくしかないのです。
そう、虚無感すら否定せず、すっかりシニカルになって。
正しいものを否定する事、動物であるという事実、戯れ言に身を委ねる臆病さ。
ゆえに、誰も「自分の意見」を持つ事を恐れるではありませんか。
卑怯者に対して闘えず、自分も卑怯になる。

仮に、どういうものが文人なのかと訊ねられたら
私はたしかに昔の文人からしかそれを学んでいないので、時代錯誤かもしれませんが
真実から目を背けない、世の中がどうあろうと、その混濁の中から正しいものを見抜き、叩き付け、
ペンという強い剣を持って、堂々と戦える者の事だったのではないでしょうか。

別に、ベストセラーが間違ってるとは言ってません。
私が言ってるのは、要するに売れようが売れまいが関係なく、表現者としての高い志を忘れたくないという事なのです。

むしろ、私は今のこの状況で疑問すら感じない人の方が疑問です。
表現というもの、その価値観をマスコミが先導しているような部分もありますから。

たとえ多くの人が、テーマもテーゼも無いものを支持し、そういうものはおかしいと言っても
私はそれを捨てようとは思いません。
それは、人間をやめる時ですから。

ケダモノに文字は書けないですから。