愚痴長くてすいません。
要するに、同人誌という世界は、自由な表現で誰でもやっていいよというのがベースなのに
いわゆる表現=芸術という世界からはかけ離れているという事です。

意味あるもの、伝えたい気持ちを伝えるのは本当に難しいです。
特に、行間から想像するという事を学ばなかった者にとって、それはかなりしんどい。

問題は何かというと、意味あるものを書きたいと思っている同人誌小説家が
若い女の子中心の世界で何かを訴えても、伝わるのかどうかという事です。
私は押井監督作品を見ると思うのですが、これだけの哲学的な意義を持つ作品は
すでに娯楽ではなく、それこそ芸術なのでしょうが
そういう評価をする場合、全ての人が賛同するのかと疑問なのです。
わかりにくい、面白く無い、結局アニメ=娯楽と捉える人達には、それを越えてもらったところでわからないのだろうし。
大衆作家は大衆作家で、こんなに世間で売れたのに、なんで賞を取れないんだろうと思うらしいです。
逆に、高名な賞を受賞した作家でも、一般の人は読まない(売れない)と悩む事もあるそうなです。

本当は皆、意味あるものを読みたいと思っているのかもしれませんよ?
読みたい、受け取りたい、だけどそういう本は少ない
だから、買う本が無いと思うのかも。

有名であるか、流通するかしないかが作品の価値を決めるかどうか
そういうものはちょっと置いておきませんか?
有名画家の展覧会もいいですが、無名画家の展覧会も素晴らしいものです。
もし、自分の求める言葉がそこにあると思ったら
人はたとえヒンズー語の書物で、遠く何千里も旅しなくてはならなくとも、
それを求めます。

どうやって売れるかや資金不足の問題なんて、今にはじまった事ではないです。
ランボオは印刷所に代金を払わなかったし、私の好きなソロモンの詩集も自費出版だったらしいですが
資金ぐりで大変だったようです。
印刷事情が悪かったとはいえ、リルケの初版は20部でした。(勝ったでしょ?)

とはいえ、長くやればやるほど、事情や周囲の変化の振り回されて
ひたすら疲弊してしまう、競争の中で自信を失っていく、どうしていけないのかを考えてしまい
改善するたびにまた迷路に入ってしまう、そうでないでしょうか。

ですから、今はとにかく、一つ一つ良い言葉、正しい言葉を選ぼうとしている姿勢
それでいいと私は思うのです。
Fさんの文章全てが、あなたを何より表しているのだし
その存在と出会えた事を喜んでいる者はここにいますし。

唯一必要なのは、同人誌ならではの不自由さに負けない事ではないでしょうか。