真面目に小説を書いているFへ
これを読むかどうかはわからないのだけれど。
まずイベントお疲れ、そして来てくれてありがとう
話が中途半端になってしまった、というよりも、なかなか難しい問題に、正面切って何か言う事ができませんでした。
私が何か意見を述べても、最近、実は自分で「いや、そうじゃないだろう」「そうとばかりは言えないんじゃ」と反論してしまうようになったせいもあるかも。
ここで仮に、何かを書いたとしても、或は自分が誰かの意見を読んだとしても、いつも反論ばかりを探すのは何故なのでしょうね、と前置きして、感じた事と確認した事を書いていくしかないです。
さて、「買う本が無くなった」という話からです。
自分はオリジナルでやりたかったにもかかわらず、現在は二次創作パロディであります。
またかつては知らない間にその波に踊らされ、更にあえなく溺死した者として。
実は岡田斗司夫さんや東浩紀さんが書いているおたく文化の話は、私は女性には通用しないのではないかと思ってきました。何故なら、女性は即物化しにくい生き物で、男にとって女がただの物(フィギュア)になったとしても、女はそうではなく、目には見えない、精神的な気持ちの方を求め続けるのではないか、全部が全部無意味なエロ本にはならんだろう、と思ってきたのでした。
ところが、ここしばらく。確実に変化しています。
そんな本ばかりじゃないというのも覚悟で、私信として言わせて下さい。
どんなとこにも「例外」はあるので、そういう揚げ足はパスと言う事で。
例えばそれは、キレイに作られた箱です。中には甘いあめ玉が1個入ってます。その箱は少女達の好むような絵が描かれてます。
もう一つは、観音像です。もちろん無包装です。しかし、芸術家が答を探求し、これしかないという形に掘り出したものです。
ここが、制限時間内でたくさん売れる方が価値がある、そんな世の中であったとします。
同じような条件で売っても観音像をたくさん売りさばくのはかなりしんどいではないかと思います。
一方のキレイな箱、女の子達はその箱についてキャーキャー話をした後、アメ食べたらおしまいでしょう。
資本主義の社会なのだし、それで上手くやっていきたいなら、幼稚園の頃から「人の求める絵を描け」だの、「もっとニーズを考えて作文を書きなさい」と教えたらいい。
なんで、なまじっか、国語の教育と称して気持ちを読み取る、だの気持ちを書くだのするんでしょうね?
書かせて売ってみて、売れた順位をつけるのが国語教育でいいはずですよね?
少女達のおたくの変容は、自分自身で萌えの世界を築いていく男のオタクとは逆の問題を抱えてしまいました。要するに、同一の思想・理想の下に集うナニカみたいに。派閥を作りたがるのが女です。
女性は男と同じように、だいたい一定した人生路線というわけではありません。
結婚する、しない、出産する、しない、外で働く、外で働かない、様々。
だから、そこで売り買いされるのは、「基準」なのです。
皆と自分をつないでいる、「同じようなもの」「安心感」「寂しさを癒すもの」
誰かの気持ちを汲み取るというよりは、「同じ」を見つけて安心したり、一時の寂しさを紛らわす甘いアメ玉。
かつてはSFだけでなくても、歴史や創作、いろんなジャンルで、まっとうなコトバのやりとりはされていたと思います。
要するに、受け手に、観音様のお心を聞く「聞く耳」があったのだと思います。
つまり、自分なりの意見や感じ方を持っていればいるほど「なんか違うよこれ」って事になるわけです。
表現というのは、誰かと同じものをやる事ではありません。
逆で、誰もやってない事を見つけてきては開拓し続けるものです。
少なくとも自分の言葉で語り、それに責任を持つべきものだから。
当然、叩かれるのも覚悟で、自分の意見に対して曇り無く堂々として、
自分の心眼を通して世の中を映す事を知らねばなりません。
もはや単なる理想にすぎなくなったのかもしれませんが。
そのために切磋琢磨するものだと思っていました。
かといえ、素人にとっては唯一、学歴も受賞歴も何も問われずに自分の言葉を発してもいい場所で
表紙にキャラ絵がついてないとサッパリとか
共通のカップリングが無いと無理、
というのは、考えていかねばならないところです。
Webでもあるし携帯でもあるし、お金無くてもブックオフに行けば100円で文庫本売ってます。
物と化した言葉は飽和しています。
文字なら誰にでも書ける
それは違います。文字は誰にでも書けるけど、Fさんの言葉はFさんにしか書けないんです。
私は大人がよく言う「誰にでも作家になれるわけではない」というのをあえて否定します。
作家になっても売れるかどうかはわからない、皆競争に必死だなあ
とは思います。
(私が求めるものの方が変なのかもしれませんが)
私は文章書きさんには、これだけは捨てられない意志、というものを求めます。
そこに本物の言葉があったなら、私はたとえ200キロの観音様でも、家に抱えて帰ります。
その意志、つまりは自分の存在価値を見失うな。
それだけです。
しばらく続くかね。
これを読むかどうかはわからないのだけれど。
まずイベントお疲れ、そして来てくれてありがとう
話が中途半端になってしまった、というよりも、なかなか難しい問題に、正面切って何か言う事ができませんでした。
私が何か意見を述べても、最近、実は自分で「いや、そうじゃないだろう」「そうとばかりは言えないんじゃ」と反論してしまうようになったせいもあるかも。
ここで仮に、何かを書いたとしても、或は自分が誰かの意見を読んだとしても、いつも反論ばかりを探すのは何故なのでしょうね、と前置きして、感じた事と確認した事を書いていくしかないです。
さて、「買う本が無くなった」という話からです。
自分はオリジナルでやりたかったにもかかわらず、現在は二次創作パロディであります。
またかつては知らない間にその波に踊らされ、更にあえなく溺死した者として。
実は岡田斗司夫さんや東浩紀さんが書いているおたく文化の話は、私は女性には通用しないのではないかと思ってきました。何故なら、女性は即物化しにくい生き物で、男にとって女がただの物(フィギュア)になったとしても、女はそうではなく、目には見えない、精神的な気持ちの方を求め続けるのではないか、全部が全部無意味なエロ本にはならんだろう、と思ってきたのでした。
ところが、ここしばらく。確実に変化しています。
そんな本ばかりじゃないというのも覚悟で、私信として言わせて下さい。
どんなとこにも「例外」はあるので、そういう揚げ足はパスと言う事で。
例えばそれは、キレイに作られた箱です。中には甘いあめ玉が1個入ってます。その箱は少女達の好むような絵が描かれてます。
もう一つは、観音像です。もちろん無包装です。しかし、芸術家が答を探求し、これしかないという形に掘り出したものです。
ここが、制限時間内でたくさん売れる方が価値がある、そんな世の中であったとします。
同じような条件で売っても観音像をたくさん売りさばくのはかなりしんどいではないかと思います。
一方のキレイな箱、女の子達はその箱についてキャーキャー話をした後、アメ食べたらおしまいでしょう。
資本主義の社会なのだし、それで上手くやっていきたいなら、幼稚園の頃から「人の求める絵を描け」だの、「もっとニーズを考えて作文を書きなさい」と教えたらいい。
なんで、なまじっか、国語の教育と称して気持ちを読み取る、だの気持ちを書くだのするんでしょうね?
書かせて売ってみて、売れた順位をつけるのが国語教育でいいはずですよね?
少女達のおたくの変容は、自分自身で萌えの世界を築いていく男のオタクとは逆の問題を抱えてしまいました。要するに、同一の思想・理想の下に集うナニカみたいに。派閥を作りたがるのが女です。
女性は男と同じように、だいたい一定した人生路線というわけではありません。
結婚する、しない、出産する、しない、外で働く、外で働かない、様々。
だから、そこで売り買いされるのは、「基準」なのです。
皆と自分をつないでいる、「同じようなもの」「安心感」「寂しさを癒すもの」
誰かの気持ちを汲み取るというよりは、「同じ」を見つけて安心したり、一時の寂しさを紛らわす甘いアメ玉。
かつてはSFだけでなくても、歴史や創作、いろんなジャンルで、まっとうなコトバのやりとりはされていたと思います。
要するに、受け手に、観音様のお心を聞く「聞く耳」があったのだと思います。
つまり、自分なりの意見や感じ方を持っていればいるほど「なんか違うよこれ」って事になるわけです。
表現というのは、誰かと同じものをやる事ではありません。
逆で、誰もやってない事を見つけてきては開拓し続けるものです。
少なくとも自分の言葉で語り、それに責任を持つべきものだから。
当然、叩かれるのも覚悟で、自分の意見に対して曇り無く堂々として、
自分の心眼を通して世の中を映す事を知らねばなりません。
もはや単なる理想にすぎなくなったのかもしれませんが。
そのために切磋琢磨するものだと思っていました。
かといえ、素人にとっては唯一、学歴も受賞歴も何も問われずに自分の言葉を発してもいい場所で
表紙にキャラ絵がついてないとサッパリとか
共通のカップリングが無いと無理、
というのは、考えていかねばならないところです。
Webでもあるし携帯でもあるし、お金無くてもブックオフに行けば100円で文庫本売ってます。
物と化した言葉は飽和しています。
文字なら誰にでも書ける
それは違います。文字は誰にでも書けるけど、Fさんの言葉はFさんにしか書けないんです。
私は大人がよく言う「誰にでも作家になれるわけではない」というのをあえて否定します。
作家になっても売れるかどうかはわからない、皆競争に必死だなあ
とは思います。
(私が求めるものの方が変なのかもしれませんが)
私は文章書きさんには、これだけは捨てられない意志、というものを求めます。
そこに本物の言葉があったなら、私はたとえ200キロの観音様でも、家に抱えて帰ります。
その意志、つまりは自分の存在価値を見失うな。
それだけです。
しばらく続くかね。