秋葉原の事件で田舎のエリート進学校…ときいて、同情ではないが思い出してしまった。
私も田舎の進学校だった。高校時代に小作品が新聞に採用されたりして、すっかり思い上がっていた。漫画家か小説家になる事しか考えていなかった。
進学校というのは、教師の価値はどれだけの生徒をいい大学に送り出したかで決まるらしかった。
最初の志望校には早稲田文学部と書いていた。理由はカンタンで、当時は早稲田の文学部というと、多くの小説家が出ていたから、それだけだ。
でも、色んな事が親に言えなかったし、親も語ってはくれなかった。

家がどうあれ一様に、進学希望欄には記入しなくてはならないのだったが。
親は忙しいを理由に、全く進路相談には来ない。
教師は自分のためだけに、家の事情も知らずに「最初の目標に向けて」と言う。
私が「どうしても創作の方に進みたい」というと、「甘い」の一点張りだった。「お前なんかになれるわけがないだろう」と言われた。(ま、そうかもしれませんけどもさ…)

結局、そうするしか無いような有耶無耶な状態のまま、(後に学費も払えず食うや食わずの生活になる事も知らず)受験。まだ恋愛も知らず、世間を知らず、ただ創作に対して、やる気だけはやたらにあったのだった。知識を見せびらかしたり、自慢したりするのは得意で、読んだ著書の思想をろくすっぽ考えもせず、それが正論と決めつけては周囲を口で負かしたり、傷つけたりするような
寂しがりなくせに頭でっかち、そしてどうしようもなく未熟な、そんな奴だったと思う。

大阪芸術大学の文芸学科は、当時はまだろくに文学賞の受賞者を出しておらず、それほど有名でもなかった。
皆が、ここは三流校だと言ってコンプレックスを持っていた。先輩では中島らもさんだけが、東大に行けるだけの学歴を捨てて入ったのだと聞いた。
私も入学当初は、三流大学だからそんなにたいした授業は無いんじゃないか、と心のどこかでナメていた。
ところが…。
これが、入ってみるとけっこう厳しいものだった。
周囲はいわゆる、創作にかけてはセミプロクラス。
いきなり「プルーストくらい読んでて常識だろう」と言われたり、たて続けにSF作家の話をし出す者もいたし、他の大学を中退して作家になるため受験しなおした人、楽勝にデカルト、カントを説く者…。
受験勉強中心にやってきた私がかなうものではなかった。
講義では、「まったく、この程度の漢字も知らんのか。何を習ったんだ」
と言われた。その漢字とは、外国の国名。情けない事に、半分くらいしか読めなかった。
一般の大学受験に必要な知識とは、微妙にズレていて、それでいて専門的だったからだ。
寮の友人の部屋には、私が全く名前も知らない作家の著書が、寝る所まで占領して積み上げられていた。
井の中の蛙、大海を知ったら凹むのなんの。
それが、生まれてはじめて味わった挫折感だった。

創作概論では、原稿用紙の最後のマス目に"。"(句点)がくるように書けだの
原稿用紙8枚で小説を書けだの…。
「何書いたらいいんだ」と悩む学生達に、教授は
「君等は物書きになりたいんだろうが? だったら、書けと言われたら待ってました!といわなくちゃならんよ」とピシャリ。

この時教えられた事で、とても心に残っている事がある。
今も大事にしている。
それは、物書き(何かを作る人間)は、何かの団体に属してはならないという事だ。
絶対に、何か一つの思想にかぶれたり、何かに影響は受けたとしても、そればかりになってはならない。
偏見は敵であり、書き手の目を曇らすからだと。
「辞書は二冊以上持ちなさい。国語辞典は出版社の違うものを二冊、翻訳は原文が読めないなら、翻訳者を変えて読みなさい。新聞は二紙以上読んでから物を言いなさい」
そう教えられた。

あの頃はまだ電子辞書が無かった。古語辞典、国語辞典、英語辞典、フランス語辞典と
授業のテキストとノートを持ち歩くと、ものすごく重かった。(オシャレな女子大生とはほど遠かった…)
当時はショルダーバッグで行ってたのだが
あの肩に食い込む重量感こそ、言葉の重みだったのかもしれない。

洗練された言葉は、必ず人を救う。
何故、この世にお経や聖書があるのか。何故、ギリシア時代の詩が世界中で読まれたりするのか。
その頃読んだ(いや、ほぼ読まされたのであるが)書物と、教授の教えのおかげで
私はその後の人生、随分救われたと思う。
その後、また鬱になる時も孤独に感じる時もあったけれど
そんな時どこに答があるのか、どうすればいいかをあの頃に学んでいた。

物書きになりたいなどと思うタイプの人間は、思想的に自由でなくてはならない。
慧眼を持っていなくてはならない。
それゆえ、周囲とは違っていて当然なのだ。孤独に感じる場合もあるだろう。
世の中がもし、違った考えを持つ者を排除して、排除された者を狂人と呼ぶのならば
この世は得難い真実も見失い、ますます混迷するのではないか。

先の文人達がどれほどそれに苦しんできたかを、先生達は知っておられたのだと思う。
それでも書く事を目指すのであれば、それは狂人を目指すという事と基本的に変わらないのだ。
基本、物書きとは病んだ者である。だからこそ言葉を簡単に扱ってはならないのだ。
語彙を増やし、よく考え、自分の言葉に責任を持てるようにしなくてはいけない。
何が真実であり、何が嘘か、大切なものは何かを見ていなくてはならない。
難しい言葉ではない、思いに素直で正しい言葉こそが人の心に届くのだと、そう学んだと思う。

今、言葉は簡単に綴られるようになった。
辞書はシンプルで軽くなった。
しかし、パソコンのキーを叩きながら、あの鞄の重量感だけは忘れてはならないなと感じている。
一発で変換できるこの便利さは、私からどんどん言葉に対する慎重さを奪っている気がしてならないが。