九州の元陸軍で右翼の祖父母に強烈に教育されたので、共産主義とか社会主義な考えが未だに怖い。
「世界中の貧しい人が救われたらいいね」などという事を語ると、「お前は共産党か。赤はウチの子じゃない出て行け」
だったので、時代的な事もあり仕方なかったとはいえ、ほんとは社会主義者の本を読むのは、未だエロ本並にドキドキだ。
子供というのは黙っておけばいいのに、読んだ事を話してしまう。
「そんな本を読むとは非国人だ」と言われて泣く事は嫌だったので、
小林多喜二だけはどうしても読めなかった。
家から追い出されるのは嫌だから、左な考えはダメだよね、と祖父母に調子を合わせていた。
カトリックの家庭に育った友人をそれで泣かせた事もある。
本当に素直に読みたい、素直に知りたい、自由にものを考えたりしたい。いつもそうあがいていた。
お金さえあれば幸せの筈の家の中で、母が他界するまではそこそこに裕福ではあったけど、常に孤独だった。人間関係を作るのが下手な私に優しかったのが、どういうわけか皆社会主義っぽい考えの持ち主だった。祖父母には隠しておかねばならない秘密をたくさん持った。その秘密のおかげで自立したのかもしれない。
共産党という名を聞いただけで、アレルギーが出るのは、多分、あまり書物を読まない者にとっての共産党のイメージが、即「北朝鮮」だからではないだろうか。
「あくせく働いたお金を、全部国にもっていかれるんだぞ? 共産主義では、人は皆貧しくなって、国の奴隷になるんだ。人の個性はなくなり、皆同じ考えを強制され、同じ服を着て、自由を奪われ、ひたすら労働させられるんだ」
私は祖父母からそうきいた。TVでもそんな事を言ってたかもしれない。
しかし、そんな私はマルクスを読んではいない。
「また聞きは誤解をうむ、噂で動くな、本人から直接話を聞け」
母はそう教えたので、なるべくカンタンに書かれた噂の書物(本人の思想の解説書)だけでなく、本人の談話(本人の著書)を読むように心がけている。わからない所は噂本も参考にしながら。
先日、コーンフォースの「弁証法的唯物論」という本を読んだ。
もしかしたら随分、共産主義に対しては誤解していたかもしれない。教えられた事の延長上でしか物事を考えていなかった事について随分反省させられた。
少なくともロシア革命以前、政治に利用されるようになる前の共産主義の思想に、そんな危険なものがあるとは思えないし、考え直す必要はあるかもしれない。
と、こういう事を言うとまた、共産党のプロパガンダに取られないかという意識と戦っていたりする。
祖父母はもういないので、そういった書物を堂々と読めるのに。
私なんかがそんな本を読んで何かを言ったところで、世の中は変わらないのだろう。
ただ、もし、変える事ができるものがあるとすれば、自分の意見を、暴力に怯えずに語る事ができるか、くらいなのではないか。
少なくとも、今は家を出て行く必要はないし、21世紀の今では、赤い本を手にした途端、警察が来る事もないのだから。
左だの右だの、どうしてその枠にとらわれて考えなければならないのだろう?
多くの者が災害で命を失い、あるいは裕福になっても心を壊して死なねばならない今、
左か右かという考え方を一度どこかへ捨ててしまいたい。
暴力によっても、思想によっても、誰かのいいなりにならず、でも絶望もしないで
ただ自由に、理想を抱きたい。
あの人達に言いたいのはそういう事だ。
80年代後半、思想書を求めるのは「ネクラ」と呼ばれた。
バブルが終わって皆「ネクラ」になった。
そろそろ、ベストセラー以外のカタい書物を探してもいい。
赤い本も含めて。
ネット上でも図書館でも難儀するから、とりあえず古書市に行っている。
「世界中の貧しい人が救われたらいいね」などという事を語ると、「お前は共産党か。赤はウチの子じゃない出て行け」
だったので、時代的な事もあり仕方なかったとはいえ、ほんとは社会主義者の本を読むのは、未だエロ本並にドキドキだ。
子供というのは黙っておけばいいのに、読んだ事を話してしまう。
「そんな本を読むとは非国人だ」と言われて泣く事は嫌だったので、
小林多喜二だけはどうしても読めなかった。
家から追い出されるのは嫌だから、左な考えはダメだよね、と祖父母に調子を合わせていた。
カトリックの家庭に育った友人をそれで泣かせた事もある。
本当に素直に読みたい、素直に知りたい、自由にものを考えたりしたい。いつもそうあがいていた。
お金さえあれば幸せの筈の家の中で、母が他界するまではそこそこに裕福ではあったけど、常に孤独だった。人間関係を作るのが下手な私に優しかったのが、どういうわけか皆社会主義っぽい考えの持ち主だった。祖父母には隠しておかねばならない秘密をたくさん持った。その秘密のおかげで自立したのかもしれない。
共産党という名を聞いただけで、アレルギーが出るのは、多分、あまり書物を読まない者にとっての共産党のイメージが、即「北朝鮮」だからではないだろうか。
「あくせく働いたお金を、全部国にもっていかれるんだぞ? 共産主義では、人は皆貧しくなって、国の奴隷になるんだ。人の個性はなくなり、皆同じ考えを強制され、同じ服を着て、自由を奪われ、ひたすら労働させられるんだ」
私は祖父母からそうきいた。TVでもそんな事を言ってたかもしれない。
しかし、そんな私はマルクスを読んではいない。
「また聞きは誤解をうむ、噂で動くな、本人から直接話を聞け」
母はそう教えたので、なるべくカンタンに書かれた噂の書物(本人の思想の解説書)だけでなく、本人の談話(本人の著書)を読むように心がけている。わからない所は噂本も参考にしながら。
先日、コーンフォースの「弁証法的唯物論」という本を読んだ。
もしかしたら随分、共産主義に対しては誤解していたかもしれない。教えられた事の延長上でしか物事を考えていなかった事について随分反省させられた。
少なくともロシア革命以前、政治に利用されるようになる前の共産主義の思想に、そんな危険なものがあるとは思えないし、考え直す必要はあるかもしれない。
と、こういう事を言うとまた、共産党のプロパガンダに取られないかという意識と戦っていたりする。
祖父母はもういないので、そういった書物を堂々と読めるのに。
私なんかがそんな本を読んで何かを言ったところで、世の中は変わらないのだろう。
ただ、もし、変える事ができるものがあるとすれば、自分の意見を、暴力に怯えずに語る事ができるか、くらいなのではないか。
少なくとも、今は家を出て行く必要はないし、21世紀の今では、赤い本を手にした途端、警察が来る事もないのだから。
左だの右だの、どうしてその枠にとらわれて考えなければならないのだろう?
多くの者が災害で命を失い、あるいは裕福になっても心を壊して死なねばならない今、
左か右かという考え方を一度どこかへ捨ててしまいたい。
暴力によっても、思想によっても、誰かのいいなりにならず、でも絶望もしないで
ただ自由に、理想を抱きたい。
あの人達に言いたいのはそういう事だ。
80年代後半、思想書を求めるのは「ネクラ」と呼ばれた。
バブルが終わって皆「ネクラ」になった。
そろそろ、ベストセラー以外のカタい書物を探してもいい。
赤い本も含めて。
ネット上でも図書館でも難儀するから、とりあえず古書市に行っている。