コンスタブル

コンスタブル、というイギリスの画家がいる。
認められたのは比較的遅く、どっちかというとあまり生前は評価されなかったらしい。
ロイヤルアカデミー准会員に(やっと)なったのは43歳。
この人は、一生祖国にいて、近所の風景を描き続けたという画家だ。

一方モネ。有名な印象派のモネ。
普仏戦争の時にロンドンに一時逃れた以外はフランスにいたようだが、国内を転々としている。
モネも遅い。「印象・日の出」を出してこきおろされたのが30代半ばで
睡蓮ばっかり描きはじめたのは、50歳くらいからだ。
モネ

イギリス人は、コンスタブルの絵を観て「美しい」と涙するらしい。
正直、私が涙したのはモネの方だった。
モネのが頭の中に再現してくれる光と、水面の揺らぎ、あるいは草のざわめき
…を、観ていて「ああ!」と思ったのが、故郷の熊本だった。
フランスを描いてそれが熊本というわけがないが
水前寺公園、あるいは江津湖、阿蘇の艸千里、小さい頃に確かに記憶に刻んだ光景と合致する。
その水面の揺らぎ、反射する光の合間のどこまでも暗く深い影。
風でいっせいに揺れる草木。
モネは当時流行した日本趣味も取り入れているが、こうまで私の心に響くとは思わなかった。
どうしてこうも、私の記憶の光景を見て取ったように
その暖かい空気までをもリアルに再現できるのだろう、と。

以前、兵庫県の田舎を描いているアマチュア画家とお話する機会があった時の事だ。
「日頃、美しい風景を観ていない人は、どんな美しい風景の絵を観ても感動できないかもしれない」
そう言われたのを思い出した。

もしかしたら、東山魁夷の「宵桜」に涙できるのは日本人だから、かもしれない。
もしかしたら、私のような田舎者でなく、完全に都会育ちの人にはウォーホルの描くスープの缶の方が美しく思えるのかもしれない!?

ナショナルギャラリーを出た後の天気は晴れたり曇ったりが忙しかった。
私は降ったり止んだりの雨に少々うんざりしていたが、雲の切れ目の光は確かに美しい。
この凄まじいといえる雲の移ろいが、コンスタブルが小さい時から親しみ、心に刻んできた美なのだろう、きっと。

と、同時に
風景画というのは、ある程度の年齢を得た方が心に響くものなのかもしれないと思った。
例えば、「青春時代」は後からほのぼの思うもの、と歌の歌詞にもあるように。
すぐに戻れそうな気がしながら、実は遠く失われた場所であるファンタジー。
すぐに手に入りそうでなかなか手に入らない光景。
宮崎アニメの「トトロ」や「千と千尋」の背景のように。

風景なんて写真を見ればいいじゃないか
そう思っていた考えを捨てさせるには、モネもコンスタブルも充分すぎるくらい充分だった。