ピムリコという変な名前の地下鉄の駅で降りると、テートギャラリーが近い事を示して、
地下鉄の駅構内の壁に、展示されている有名な絵のペイントがある。
模写と呼ぶにもお粗末なシロモノなのだが、そこのチャタートンは顔に落書きされている。

これが、ヘンリー・ウォリスのチャタートン。
貧しさゆえに、そして世間の理解の無さゆえに、毒を飲んで死んだ詩人。
我々の世界でならば、彼を「負け犬」と称して嘲笑うだろうか?
そんな社会はとてつもなく醜い。息のできない者が多数出たとしてもおかしくない。
黒い淀んだ気にさらされた社会は、放っておけば内側から腐る。
さて、この絵の隣には、G.F.ワッツによる「Hope」という絵がある。

周囲には水、取り残された島の上で吟遊詩人が竪琴を抱いている。
目は見えず、耳の半分は覆われ、竪琴の弦は切れている。
上の服毒したチャタートンに比べたら、こちらの方が状況としてはかなりマズいという事がわかるだろう。
貧しいとはいえ、彼はベッドで寝ていて部屋にいるわけだから
路上生活している人よりなんぼかマシだ。
虚栄のための借金による自業自得、という解説もある。上等の上着を見たらそうかもしれない。
チャタートンは中世のものと偽って自分の詩を出した嘘つきだ。
が、逆にそうまでして、認められたかったのだろう。
どうしてワッツの吟遊詩人の絵が「希望」なのか。
竪琴を見てほしい。ここの画像では見づらいかもしれないので大きいのはこちらを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Hope2.jpg
真ん中にたった一本だけ、弦は残っているのだ。
耳だって半分は聴こえている。
それならば、吟遊詩人は歌い続けられる。
流れ着いた首だけでも歌を歌ったオルフェウスのように。
一方のチャタートンが死んだのは、これは太宰治風に言えば、自殺ではなく他殺ではなかろうか。
貧しさゆえに死んだのではない。
希望の無さゆえに死んだ、社会に殺されたのだ。
窓が開いている。多分、死ぬ前に一度、屋根裏部屋から街を眺めたのだろう。
彼が望んで、人を拒絶したのかどうか。
窓辺に鉢植えが置いてあり、一輪のバラが咲いている。
彼が最初から全てに絶望するような弱虫ではなかった事を示す。
蕾が開くまでは、まだささやかな希望は抱いた。
人を活かすもの、生かすものは、夢や希望なのだ。
弱者から夢を奪うものが政治であってはならないし、我々はどんなにその大きな力に従おうと
無言の暴力に従わされてはならない。
なぜなら、いつかその黒い毒気は、自分も蝕んでしまうにちがいないからだ。
格差は世界中にある、と某氏は言う。
確かに世界中にあるかもしれないが、多く格差を経験してきた社会は、きちんと住み分けをしている。
弱者を叩くのはこの国だけだ。
と、社会主義的な事を唱えると、全て北朝鮮やソビエトのような共産主義と直結して考えがちな短絡的思考。
崩壊した国の共産主義が、政治家によって都合良くねじ曲げられたものだとも知らず。
自由意志を奪われて思考できなくなり国家に従わされるというのなら
すでにそうなっているではないだろうか。
マスコミの放言によって。あるいは、ネット上の放言によって。
無意識的な部分を共有する事で我々が仮に統一されるなら
そんな毒気で統一されたくはない。
夢や希望と欲望とが違うものだという事を、人は皆本能的に知っている。
もしも社会にとって効率的なもの以外、生きてはならないならば
美ほど無駄なものはないではないか。
それがいかに人を救うかすら、データで示さねばならないのだろうか?
地下鉄の駅構内の壁に、展示されている有名な絵のペイントがある。
模写と呼ぶにもお粗末なシロモノなのだが、そこのチャタートンは顔に落書きされている。

これが、ヘンリー・ウォリスのチャタートン。
貧しさゆえに、そして世間の理解の無さゆえに、毒を飲んで死んだ詩人。
我々の世界でならば、彼を「負け犬」と称して嘲笑うだろうか?
そんな社会はとてつもなく醜い。息のできない者が多数出たとしてもおかしくない。
黒い淀んだ気にさらされた社会は、放っておけば内側から腐る。
さて、この絵の隣には、G.F.ワッツによる「Hope」という絵がある。

周囲には水、取り残された島の上で吟遊詩人が竪琴を抱いている。
目は見えず、耳の半分は覆われ、竪琴の弦は切れている。
上の服毒したチャタートンに比べたら、こちらの方が状況としてはかなりマズいという事がわかるだろう。
貧しいとはいえ、彼はベッドで寝ていて部屋にいるわけだから
路上生活している人よりなんぼかマシだ。
虚栄のための借金による自業自得、という解説もある。上等の上着を見たらそうかもしれない。
チャタートンは中世のものと偽って自分の詩を出した嘘つきだ。
が、逆にそうまでして、認められたかったのだろう。
どうしてワッツの吟遊詩人の絵が「希望」なのか。
竪琴を見てほしい。ここの画像では見づらいかもしれないので大きいのはこちらを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Hope2.jpg
真ん中にたった一本だけ、弦は残っているのだ。
耳だって半分は聴こえている。
それならば、吟遊詩人は歌い続けられる。
流れ着いた首だけでも歌を歌ったオルフェウスのように。
一方のチャタートンが死んだのは、これは太宰治風に言えば、自殺ではなく他殺ではなかろうか。
貧しさゆえに死んだのではない。
希望の無さゆえに死んだ、社会に殺されたのだ。
窓が開いている。多分、死ぬ前に一度、屋根裏部屋から街を眺めたのだろう。
彼が望んで、人を拒絶したのかどうか。
窓辺に鉢植えが置いてあり、一輪のバラが咲いている。
彼が最初から全てに絶望するような弱虫ではなかった事を示す。
蕾が開くまでは、まだささやかな希望は抱いた。
人を活かすもの、生かすものは、夢や希望なのだ。
弱者から夢を奪うものが政治であってはならないし、我々はどんなにその大きな力に従おうと
無言の暴力に従わされてはならない。
なぜなら、いつかその黒い毒気は、自分も蝕んでしまうにちがいないからだ。
格差は世界中にある、と某氏は言う。
確かに世界中にあるかもしれないが、多く格差を経験してきた社会は、きちんと住み分けをしている。
弱者を叩くのはこの国だけだ。
と、社会主義的な事を唱えると、全て北朝鮮やソビエトのような共産主義と直結して考えがちな短絡的思考。
崩壊した国の共産主義が、政治家によって都合良くねじ曲げられたものだとも知らず。
自由意志を奪われて思考できなくなり国家に従わされるというのなら
すでにそうなっているではないだろうか。
マスコミの放言によって。あるいは、ネット上の放言によって。
無意識的な部分を共有する事で我々が仮に統一されるなら
そんな毒気で統一されたくはない。
夢や希望と欲望とが違うものだという事を、人は皆本能的に知っている。
もしも社会にとって効率的なもの以外、生きてはならないならば
美ほど無駄なものはないではないか。
それがいかに人を救うかすら、データで示さねばならないのだろうか?