秋の愛
ソロモンが上の「秋の愛」を描いたのは1866年。愛を失って彷徨う天使の姿はまるで、
同じ1866年に出版されたスウィンバーンの詩「ILICET」に呼応するかのようだ。

より傷ついたのはどっちだったのだろう。
恋の敗者はどっちだったのだろう?

ソロモンはこの年から翌年、1867年にかけて、イタリアに長期旅行している。
ロバート・ブロウニングというイートン校の個別指導教員と再び同性愛の関係を結び、
共にイートン、オックスフォード、イタリアを旅する。
イタリア滞在中のソロモンは次々に美少年を口説き落とし、モデルに起用する。
(そしてコスプレをさせてはその行為に及ぶ…)
更に、1868年には、アトリエをフィッツロイスクエアに移転する。
フイッツロイスクエア、アトリエのあった場所
(1番右角の番地。二階の窓は向かい側のフィッツロイ・スクエアが見下ろせる位置か)

スウィンバーンの方も1868年、フランスに旅行し、海岸で溺死しかかったり、もともとあった飲酒癖がことさらに強くなり、手がつけられなくなる。
1866年以降、二人は完全に切れて、関係は無かったかというと、どうやらそうでもない。
1871年にスウィンバーンが「ひと月の終わり」という詩をオックスフォードの月刊誌に載せる時、
ソロモンが挿絵を描いている。
丁度この時期、二人は申し合わせたように過度の飲酒で周囲に心配をかけている。
ソロモンは義理の姉に手紙で自分の素行の酷さについて詫び、
スウィンバーンは身体を壊した挙げ句、があきれ果てた父親が、ロンドンでの生活をやめさせて自宅に引き取っている。

1873年2月11日。ソロモンはジョージ・ロバートという16歳の馬番と共に同性愛の罪で逮捕される。18ヶ月の禁固刑が言い渡されるが、執行猶予の判決。
しかし、翌年3月3日、パリの公衆トイレで19歳のアンリ・レフランクと共にいた所を再逮捕。三ヶ月の禁固刑と罰金が課せられる。

二人の関係を変えたのは、セオドラ・ワッツ(ワッツ・ダントン)という人物だったかもしれない。
ワッツは批評家にして詩人。また、弁護士でもあった。
1879年6月、自宅で飲酒により死にかかっていたスウィンバーンを助け、以後は生涯、彼を庇護し、行動を監視するようになった。
スウィンバーンをアルカホリックから救った人物、と言う事になっている。

ワッツは、ソロモンが同性愛の罪で逮捕された事を知っていた。
スウィンバーンをソロモンに近づけてはならない事も。それでなくとも、1871年、スウィンバーンとソロモンは共にロバート・ブキャナンによって叩かれ、物議をかもしていたわけだから。
何かあればスキャンダル好きの世間の目が、スウィンバーンに向くという事はわかっていただろう。

1879年10月、出所したものの生活に困ったソロモンは、スウィンバーンからもらった手紙を競売にかける。「君が慈悲をかけたところで、あの男は君との想い出なんか大事にしちゃいない、有名人からの手紙だと叩き売っている」
ワッツはソロモンとスウィンバーンを引き離す。弁護士としての手腕を見せ、スウィンバーンを保護する。
以後、スウィンバーンを文豪ヴィクトール・ユゴーと引き合わせ、スウィンバーンも次々に詩集や評論を出版する。

一方のソロモンは、落ちぶれた画家として、聖ジャイルズ救貧院に行く。路上で画家をしたり、靴ひもの販売などをしながら晩年まで極貧のままであった。
飛ぶ愛

上の画像は「Fly Love」ソロモンがこの世を去った1905年の素描。
彼は貧しい中でも尚、描き続けた。側に寄り添う愛の幻影を。
その幻は、果たして誰だったのか、何者であったのか。