私の持っていた展覧会の図録解説では、二人が知り合ったのは1863年になっていたが、色々と調べてみたところ、おそらく最初に出会ったのが1857年、親交を深めはじめたのが1863年になると思う。
出会ったきっかけは、ソロモンがウィリアム・モリスらと大学の学生会館の壁画を描きに来ていた事だった。
ロゼッティ先生、モリス先生らに気配りし、やたら冗談を飛ばしては明るくふるまうソロモン。
スウィンバーンはソロモンの姉のレベッカともつきあっていたらしい。

1862年、ロゼッティの愛人だったエリザベス・シダルが阿片で死んだ。
エリザベス・シダルは、ミレイ(印象派のミレーとの混同を避けるため、夏目漱石による表記を選んでミレイとする)が「オフィーリア」を描いた時、モデルをつとめた女性で、画才も文才もあった。
このモデルのために、真冬に半日もバスタブにつけっぱなしにされた話は有名だ。
妊娠を怖れていた。シダルには画才も文才もありながら、現実を生きる才能だけが無かった。

愛するシダルの死のショックもあったのだろうか、ロゼッティは1862年にチェイニ・ウォーク16番地に引っ越し、スウィンバーン達と共同生活を始めた。

スウィンバーンとソロモンがどのようにして仲を深めたのかは謎だが、資料から少し洞察してみる。

1862年の12月19日、クリスマスも近いその日、ソロモンはロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれる。
これは、兄アブラハムも待ち望んだ事で、大きなクリスマスプレゼントになるはずの吉報だった。
しかし、まさにその日、兄アブラハムはソロモンの報告を待たずして、心臓病のため亡くなってしまう。
父であり師であった兄の死は、かなりのショックであっただろう。

一方、それから間もない翌年の1863年、スウィンバーンは最愛の妹を失っている。そして従姉のメアリに恋するも、ふられている。
二人の間が近くなった理由の一つに、親近者の喪失感がある事は間違いない。
二人ともまだ、二十歳そこそこの若者である。

ソロモンは1862年に、ミドルセクス病院近くにアトリエを構えて画家としてスタートをしている。
おそらく、チェイニウォーク16には、ずっと共に暮らしていたわけではなく、遊びに来たり泊まりにきたりというかんじではなかっただろうか。

ある日、二人は素っ裸で鬼ごっこをし、邸の手すりを滑り台がわりにして遊んでいたところ、
勢い余ってロゼッティが描いている所に突進。ロゼッティは邪魔をするなと激怒したらしい。
「獣が二匹ドタバタ走り回ってて描けない!」と嘆いている。

マルキ・ド・サドを愛読し、パブリックスクールで鞭打ちSMプレイを仕込まれたスウィンバーン
ユダヤ教の厳しい戒律を守り、道徳心を教えられて育ったソロモン。
この出会いとお互いの存在は、やがて二人の作品にとってそれぞれ大きな影響をもたらす事になる。

さてその変化については次回。

下の絵は、シメオン・ソロモン画。かつてオスカー・ワイルドが所持していた事がある素描。
「LOVE AMONGST THE SCHOOLBOYS (1865)」 
schoolboys