市立美術館「日展」
100周年とかで。「動く」というから新しい何かに期待した。
期待したんだ! それでも。
私は絵を観る側の人間だ。絵を観る事が大好きだ。
だから観る側の人間として、苛立ちを感じたので正直に書く。
確かにどれも素晴らしい。伝統的で、技術は達者。
「叩くのは無知な証拠」とでも言われるかもしれないが、やはり泣けてくる。
確かに、工芸品と何点かの絵は、観るに値した。
しかし、さすが100年の伝統ある展覧会だ。
100年の伝統を見事に守りぬいている。それだけだ。
狂気たれとは言わないが、画家は卑怯に生きてはダメだ。
上手に生きて、無難に褒められてやっていこうなんてするな。
観る者との真剣勝負に対して、「まあざっとこんなものです、どーですか」では
その絵が誤摩化しなのかどうかくらいはわかるぞ。
新しいものを果敢にやっていたのは、日展の下で細々とやっていた「ZERO展」の方だった。
こちらは非常に楽しく、どの作品からも自由さやエネルギーを感じた。
有名ではないかもしれないが、経済は停滞していてもそこはさすが、
自由な作風の得意な大阪。コンテンポラリーといえば大阪。
なんでもアリな所から、なんとかしようという方向性まで見せてくれた。
ZERO展では特に、和田良太氏の作品が目をひいた。
アニメや2ちゃんねるから昭和レトロまでをミックスした情報のごった煮で
幻想的パロディ空間である。カラー作品もあったが、白黒の鉛筆画の方がはるかに良い。
細かく描きこまれた人物それぞれに人生が読める。既視感の集合体である。
上手くもじられた看板からは、抽象では失われた「意味」が復活する。
観る者と作者の距離を縮めにかかるあたり、まるでウィリアム・パウエル・フリスのような社会批評の目を持ちながら、ボッスのように幻想的だった。今の時代にマッチしていると思う。
読み絵という点では山口晃氏にもつながるかもしれない。
今後の可能性を想った。
100周年とかで。「動く」というから新しい何かに期待した。
期待したんだ! それでも。
私は絵を観る側の人間だ。絵を観る事が大好きだ。
だから観る側の人間として、苛立ちを感じたので正直に書く。
確かにどれも素晴らしい。伝統的で、技術は達者。
「叩くのは無知な証拠」とでも言われるかもしれないが、やはり泣けてくる。
確かに、工芸品と何点かの絵は、観るに値した。
しかし、さすが100年の伝統ある展覧会だ。
100年の伝統を見事に守りぬいている。それだけだ。
狂気たれとは言わないが、画家は卑怯に生きてはダメだ。
上手に生きて、無難に褒められてやっていこうなんてするな。
観る者との真剣勝負に対して、「まあざっとこんなものです、どーですか」では
その絵が誤摩化しなのかどうかくらいはわかるぞ。
新しいものを果敢にやっていたのは、日展の下で細々とやっていた「ZERO展」の方だった。
こちらは非常に楽しく、どの作品からも自由さやエネルギーを感じた。
有名ではないかもしれないが、経済は停滞していてもそこはさすが、
自由な作風の得意な大阪。コンテンポラリーといえば大阪。
なんでもアリな所から、なんとかしようという方向性まで見せてくれた。
ZERO展では特に、和田良太氏の作品が目をひいた。
アニメや2ちゃんねるから昭和レトロまでをミックスした情報のごった煮で
幻想的パロディ空間である。カラー作品もあったが、白黒の鉛筆画の方がはるかに良い。
細かく描きこまれた人物それぞれに人生が読める。既視感の集合体である。
上手くもじられた看板からは、抽象では失われた「意味」が復活する。
観る者と作者の距離を縮めにかかるあたり、まるでウィリアム・パウエル・フリスのような社会批評の目を持ちながら、ボッスのように幻想的だった。今の時代にマッチしていると思う。
読み絵という点では山口晃氏にもつながるかもしれない。
今後の可能性を想った。