こんばんは
暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
地球温暖化が影響しているのでしょう。熱帯化が進み
温暖化が加速しているということなのでしょう。
私はもともとあまり夏が好きではないのですが
夏が良いと思えることはスイカを食べたりビールを
飲む時くらいです。
今回は、埼玉県春日部市小渕1634番地 に在する小渕山観音院についての記事となります。知らない人が多いと思います。私は、この近くまで用事で車で来ることはあっても、ここに御参拝することは初めてでした。
最初の第一印象は、失礼ながらうらぶれたお寺のように見えました。とにかく仁王門からして古く傷んでいる感じなのです。もともと御参拝する予定ではなかったのですが、いざ御参拝すると驚くほどいいお寺だと思いました。
春日部市の有形文化財指定の楼門(仁王門)ですが
かなり老朽化して崩れ落ちる危険性があるのでしょう。
人が近づかないように周りを囲い調査中とのことです。
読みづらいと思いますので書き出してみます。
小渕山観音院は、新編武蔵風土記の小渕村、観音院の項に「本山派修験、京都聖護院末、安永2年(1773)正年行事職を許さる。小渕山正賢寺と号す。本尊正観音、応安二年(1369)住持玄通が書し縁起有に拠ば、古き像なるべし。中興開山は尊慶と云、年代を知らず。」と記されている由緒ある寺院である。
この寺は、この地方の観音信仰の霊場としても有名で、家内安全、商売繁盛のほか、いぼ、こぶ、あざにご利益があるといわれている。毎年八月十日には、この日参拝すると四萬六千日分のご利益が授けられると言われる四萬六千日祭があり、県内の山伏が参集して護摩修行を行い、近隣の善男善女が枝豆を奉納し参拝する祭礼がある。
また、三月には、かつて馬寄せ祭があり、農耕に従事した牛馬がいろいろな飾りをつて安全を祈願する祭りがあった。本堂内には、木造の白馬が安置されている。
本尊「正観音像」には、その昔、洪水でこの地に流れ着き、一度はもとの寺へ戻したが、その後洪水でまたもこの寺に漂着したのでお堂を建てて安置したものといわれる伝説がある。
本堂の格天井には花鳥の彩色が施され、格縁ごとに大勢の粕壁宿の商店主の名が記されており、外壁には、多数の絵馬のほか、八丁目の和算士栗原伝三郎が奉納した算額が掲げられている。
また、寺には、「毛のいへば 暑さむし 秋の風」と詠まれた芭蕉の句碑、市内唯一の楼門(仁王門)、七体の円空仏 などがある。楼門は昭和四十七年に春日部市指定の有形文化財に指定されている。
パワーがありますね。
私の大好きな修験道の祖、役の小角様が祀られておりました。
おそらく役の小角様もこの地へ来られたことがあるのでしょう。
昔は、役ノ行者神変大菩薩とお呼びしていたのですね。
空中を飛んだり、鬼を使ったりとか凄い伝説が数多くあります。
まさに神仙、今風に言えば途轍もない霊能者であったと言えましょう。
御縁があるとは、こいういうことですね。
やはりここに来るべくして来たということが何となくわかります。
南無神変大菩薩(なむじんぺんだいぼさつ)と唱えよとあります。
足、腰、膝など特に健康にして下さるのでしょう。
南無神変大菩薩 南無神変大菩薩 南無神変大菩薩。
合掌。
本堂
文政8年(1825)に建立されたという。
ご本尊「正観音像」。
洪水によって2度流れ着いたというご縁があります。
正観音様というのが凄いと思うのです。
四万六千日祭が毎年8月10日に行われるそうですが
先日浅草の浅草寺の四万六千日のご参拝に行ったこととの
つながりがあって、ここへ導かれたのかもしれません。
誠に有り難いことです。
由緒ある神社仏閣であっても時とともに変遷があり
ご神霊がお帰りになっていらっしゃるところもありますが
ここは今でも大丈夫なのだと思います。
小渕山観音院は、昔はかなり人々の崇敬にあふれ
活気にあふれた由緒ある寺院だったのでしょう。
だから昔は今よりももっともっと凄いパワーがあった
お寺だったのだと思います。
小渕山観音院は、別名いぼ取り観音とも言われ、
いぼ、こぶ、あざなどにも御利益があるそうです。
お近くの方はぜひ御参拝をおすすめいたします。
どうもありがとうございました。
今日もお越し頂きまして、誠にありがとうございました。<(__)>
あなたが、いつもお幸せでありますように。
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