こんにちは

 

外出自粛で憂鬱な日々が続きますね

私の身の回りでも今の状況に明るい顔をしている人はいません

 

「膵臓は憂い」 とどこかのサイトで拝見をしたことがあります

 

 

実際、私も幼い頃からお腹が弱く、そのせいか いつも不安な気持ちがつきまとっている感覚があります

 

身体の不調がはっきりと感じられるようになった ここ10年程は

みぞおちから背中にかけての鈍痛が持続的にあらわれることが多く、そんなときは心拍数が上がり 頭痛やめまいが発生します

 

例えば、休日に子供と出掛けて楽しい時間を過ごしているのに、その不快感のせいでどんよりとした気分になります

 

また、旅行先やレジャーに出掛けて食事したあと数時間後の不愉快な痛み 

それが襲ってくると現実感とかけ離れた異様な気分に陥ります

楽しかった帰り道にどんよりした気分になります

 

自分が生きているのか、夢の中にいるのか まったく掴めない変な状態です

 

「鬱」っぽいですねぇ

 

ちなみに最も現実感を感じるのが、平日の朝起きた瞬間であり 今日一日過ごすことに対して重い気分がズシーンと乗っかかります

なぜか、これが今の自分自身であるという現実感があります

 

そして支度をして出社した頃には、むしろ周りよりもモチベーションは高いであろう状態になり、ここで非現実感と入れ替わります

本来の自分そのままでは、今の管理職の仕事も務まりません

 

 

はい、以上 全く訳の分からないことを記述しました

一般的な精神的ストレスじゃないのと自分でも思います

 

でも、ひとつ違うのは みぞおちから背中にかけての鈍痛が伴なっていることでして

 

 

 

「気持ちで痛みがあらわれているのか 痛みが気持ちに影響しているのか」

どちらが先かあとか

 

「もともと膵臓の弱い人は繊細であったり神経質であったりする」

それとも

「そのような性格だから、膵臓に負担をかけてしまうのか」

どうなのでしょうね

 

 

このあたりの話しを医者にすると、私の経験上

この患者は心因的なものだと解釈されるので、注意が必要です

 

すべてのドクターに当てはまるとは思えませんが

一般的にドクターは不確実なことを診療の判断材料にしない気がします

 

 

いずれにしろ、今の自分は心と体の影響を受けて体現されているので、自分そのものということに変わりはなく

答えを求める必要はないでしょう

 

 

 

 

 

 

今日は学生時代の親しい先輩が亡くなってから一年が経ちました

「神経内分泌線がん」 でした

 

葬儀の日は出勤を選びました 今から思うとその日残した仕事はいずれ消えていきます

でも先輩と過ごした時間は心から消えません

 

その反省も経験となって 残りの人生を生きていきます

 

 

今回は気持ちを整理するような内容になってしまいました

ブログへご訪問下さいまして、感謝します

ありがとうございました