昨日の明け方、目が覚めたような覚めていないようなウトウトした状態で、なぜか自分に問いかけていました。
「私の本当にしたいことは何?本当は、どうしたいの?」と。
それからふいに、私の中に巣くっている不快な感情がやってきました。それは、今の家に引っ越すときに起きた、イヤな出来事に対してのこと。
前のマンションで階下から急に騒音がし出し、大家さんに訴えてものらりくらりで、我慢の限界の中、物件を探していました。
少し予算はオーバーしましたが、ここならイイね、というところだったので不動産屋さんにOKしたところ、OKした後にそこの大家さんからあと5000円upして欲しいと言われました。
まずそこで、え~~~!?って感じでしたが、upした分の1年分(6万円)は不動産屋さんが持ってくれるということで、ちょっと違和感を感じながらも話を進めました。
話を進める中でも、引っ越し屋さんと話がちぐはぐになって、違う引っ越し屋さんに変更したり、不動産屋さんからは契約前なのに出来れば先に支払いをして欲しいと言われたり(言われたその日に支払いました)、なんだかイライラが募りながら引っ越ししたのです。
まだ他にもいくつか、え~~↘↘っということが続き、せっかく騒音から解放されて気分良く過ごすために引っ越したのに、全然、嬉しくありませんでした。
いつも心のどこかで、
”もっとイイところがあったんじゃないの?”
”あのとき、やめますって言えば良かったんじゃないの?”
”なんでいつも私が我慢して、相手の言うことを聞かないといけないの?”
etc. etc. と、
小さくもやもやと燻っていて彼とケンカ大討論会するときも、このことは関係ないのにわざわざ引っ張り出してきて、よけいにバトル熱くなる、ということを繰り広げていました。
でも、モチロンいつも書いているように、本当の「私」はこの「小さい私」ではなくて「全て」なんだ、ということも知っています。
だから余計に、この小さな燻りが居たたまれない気持ちもありました。
ところが昨日の早朝の、自分への問いかけ
「私の本当にしたいことは何?本当は、どうしたいの?」
それに対する私の内側からの答えは
「そんなことに影響されない自分でいたい。だって、影響されないでしょう?私の内には全てあるんだよ。私は、何だってできるんだよ。だって、ここには全てがあって、全ては愛で歓びで豊かさなんだから。そうでしょう?だから、私は、何だって出来るんだから!」
そんな答えがハッキリと湧き上がってきました。
そのとき本当に本当にハラの底から、
”あぁ、そうだ!全部あったんだ!いつも完璧に完全に、全てあったんだ!なんてこったい!
分かってたはずなのに、全然、分かってなかったじゃないか!”
と、しっかりと感じ取ったのです。
すると、いままであった全てのことに、文字通り
”感謝”
しかありませんでした。
イヤだったことも、イライラしたことも、あんな奴のことも全てが、こう思えました。
”あぁ、私がこうして今、在るために必要なことだったんだ。
そして、私には全てがある。全てである私なんだから、何だって出来る。
そうしたら、本当は何がしたい?
私は、やっぱり素敵な香りを創りたい!
世界中のひとがリラックスして、安心して、本当の自分と繋がって、「愛」そのものとしての歓びとして在れることに気付いてもらえるような、そんな香りを創り続けたい!!”
結局、私も、まだ曇った目で見ていました。
いまここには無い、「過去」を握りしめ、
本当は在りもしない、「小さい私」を握りしめ、
無い・無い・無い..........と、バタバタしていました。
本当は、あったのです。
前より快適になった、この家。
暖かい毛布。自動でお湯を溜めてくれるお風呂。
月が綺麗に見える西側の窓。
広い空の見える、南のベランダに面した、大きな窓。
この部屋で過ごした、彼との今日までの日々。
あることばっかりだったのです。
そう思うと、本当に心の底から勝手に次々と感謝が溢れてきました。
それと同時に、私の意識もハッキリと変わりました。
なんとも言いようのない、穏やかさ、
リラックス感、そう、平和なのです。
対立するものがないのです。 だって、全ては愛で、それしかないのだから。
もう、本当に、泣けてくるほどそうなのです。
それに気付いたら、外側で起きることに影響など、されようもありません。
いま、これまでイヤだと思い、私をイライラさせていたことを思い出しても
”何のことでした??”
というくらい、何でもないことになっています。
そもそも、私をイライラ「させていた」ことなんてなくて、
私が「勝手に」イライラ「していた」 のでした。
でも、それも、認めたくなかったんだろうな。
「小さい私」は。
これにしっかりと気付けたのは、きっとウトウトとした意識の中での問いかけだったからでしょう。
「小さい私」が目覚める前に
「本当の私」が、
いい加減に、目を醒ませ!!と
教えたかったのだと思います。
いついかなるときも、本当の声を聴く。
その声はいつも私、全てのひとの内にあるのだから。
そして、その内側にあるものは
溢れんばかりの豊さと歓びと、愛。
そこにいつも耳を傾けて、繋がっていれば、
満足以外、ありようがない。
本当に今度こそしっかりと
私に思い出させてくれて、ありがとう。
私は、本当の私、
愛である私 として、この先ずっと
この肉体を使って表現していきます。