こんにちは

 

名古屋では今日、

桜の開花宣言が発表されました!

みなさんの所はどうでしょうか?

 

この冬は暖冬でしたので

もっと早く咲くかも?でしたが、

「寒さ」があってこそ

「暖かさ」を桜が感知して

蕾が目覚めて

開花するそうですね。

 

寒いのは苦手なのですが

全体から見れば 必ず

必要なことしか起こっていない

ということが

こんなことからも 教えてくれています。

 

起きる出来事は

ただ 起こっているだけ であって

そこに

良い も 悪い も ありません。

 

「寒さ」 を例にとれば

寒いと身体は冷えるし、

外出も億劫だし イヤ ととるのか

寒さがあるからこそ、暖かさに

桜が反応して開花するのね!

すごい!!

ととるのか

そこにあるのは

ただ単にそれぞれの「解釈」があるだけです。

 

それなら

どう感じた方が

ほっ、 とする? 安心する? 楽しくなる?

 

他人がどう思おうと

関係ありません。

 

本当は あなたはどう感じたい?

 

私は、いつも これからはず~っっと

楽しく happyにいることに決めたので

絶対に 誰が何を言おうが

私にとっての 楽しい!happy!を

選んで生きていきます。

 

そして、このブログを書いているのは

ひとりでも多くの方に

そんな生き方をして欲しいなぁ、

と思っているからです。

 

それは、私が本当に長い間

我慢に我慢を重ねて

自分が本当に感じていることなんて

全く分からないし

もし、分かっていても

その通りに行動して波風が立つよりは

私が我慢して

物事がスムーズに進んでくれればいい と

そんな生き方をしていたから。

 

最初の我慢が

どこから始まったかは、記憶にありません。

 

いつも気にしていたのは

父の目・父のご機嫌 でした。

彼の意にそぐわないことがあれば

急に激怒しだすからです。

 

何が彼の琴線に触れるのかは

同じできごとでも 日によって違うので

母も兄も私も いつもびくびくしていました。

 

母は、おおらかで優しいひとでしたが

身体が弱く 入退院を繰り返していて

それはそれで、いつも大丈夫かな?と

心配をしていました。

 

常に家の中では 

父の目とご機嫌にびくびくし、

自分の発言と行動には

細心の注意を払い

さらに 母の心配をしている子供でした。

 

そんな子が 家の外で

のびのびと出来るはずもなく、

出来るのは

いつも まわりの様子に注意を払い

そこで求められているのは

どんな発言か、どんな行動か

そんなことを その場に応じて

瞬時に察知し

それに合った発言・行動をとってきました。

 

子供の頃から培われたその性質が

急に変わるわけもなく

そのまま成長し

外から見れば

おとなしい、良くできた娘さん 

だったのかもしれません。

 

幼少期からの鍛錬のせいか!?

頭の回転が良すぎて、

きっと こうした方がイイに違いない と

先回りして行動したり、

きっと こう言った方がイイだろう と

自分の本心とは違う発言をする人生でした。

 

だから いつも心の内は

何となく 冷めたような

空洞のような そんな感じがありました。

 

成人後も、家業の手伝いのために

家にはしょっちゅう帰らないといけませんでした。

車で30分くらいなのでそれはイイのですが、

距離の問題ではなく、心の問題。

本当はもう、行きたくなかったけれど、

もう行きません、出来ません、と言って

ウダウダと波風が立つのが

面倒だと思っていたから。

それに、手伝いも、するべき内容は分かっていますので、

それさえやっていれば文句はないでしょ、

という気持ちもあり、

やっぱり 我慢 していました。

 

でも、まず兄が心の病になり

(兄も同じような人生でした)

「もう、家業は手伝いません、

家には帰りません」の宣言をし、私にも

もう、これ以上は家に帰らない方がイイ、私まで

病気になったらいけないからと伝えてきました。

 

それがきっかけで、私も父に

「もう、出来ません、帰りません」の

宣言をして、

それ以来、実家には帰っていません。

 

そして、やっとその宣言をしたのが

もうすぐ40歳も目前! くらいのときです。

 

(あ、母は私が中学生の時に離婚して

家にはおりません。)

 

で、その宣言をしたからと言って

急に 性格、性質?が変わって

のびのび自由に出来るはずもなく

しばらくは 苦しかったです。

 

やっぱり、どうしても

相手に合わせてしまうから。

 

特に、その宣言をした頃から

パートナーのキューピーくんと一緒に

住み始めたのですが、

何にしても、どうしても彼に合わそうと

無理をしている自分がいて、

そんな自分がもどかしくもあり

本当に苦しかったです。

 

そこに、追い打ちをかけるように

キューピーくんが脳内出血で倒れ、

3カ月入院し、

退院して、無事に仕事は復帰しましたが

後遺症の頭のふらつきや

手足の痺れ、痛みが残り、

いつも小さなイライラが彼に

つきまとっていて

そのイライラが私にも伝わり、

ここへきて、またも

家の中がいつも

イライラに支配されていたのです!

 

せっかく父の目から、

あの 家の中でいつも感じていた

びくびくから解放されたのに、

なんで~っっ!!! と

叫びたい気持ちでいっぱいでした。

 

そんな中で過ごしていると、

その頃は仕事をしていなっかた私の中に

変な「心配」が芽生え始めます。

それは、

今はキューピーくんがまた働けるからイイけど

もしまた、何かあったらどうしよう?

という、「この先の心配」というヤツです。

 

そこで私のとった行動は、

「そうだ!いざというときのために

何か資格をとっておこう!!」と、

資格の大原へ通い始めたのです!

 

資格はなんでもよかったのですが、

1年くらいで終了できて、

スタートするのにちょうどいい講座が

行政書士でしたので、

仕事の内容はよく分かりませんでしたが

では、行政書士にします!と

申し込んで、約1年、勉強生活が始まりました。

 

1年後、無事合格して、最初は

資格をとるだけのつもりだったのが、

いざ合格してみると、

「あれ?開業するの??」

みたいな、なんだかよく分からない流れの中

また、どんどん

自分のやりたいこと、

本当に送りたい人生からは

それて行くのです。

 

その頃も、今も

変わらずに思っているのは

「私もキューピーくんも、いつも笑って

心からhappyを感じていられたら

こんなに嬉しいことはない」 ということ。

 

あと、付け加えるなら

「今日のゴハンも美味しいね」って

穏やかな空気のなかで

食事ができたら、最高!!

 

ただ、それだけなのに

毎日、イライラ・ギスギスした空気の中

どんどん、望まない方へ進んで行く。

 

ありがたいことに、

いくつも受任させていただいて

業務をしていましたが、

いかんせん、やりたいことではないので

心の内はどんどん苦しくなっていきます。

 

そして、ある業務の最中、

「もう、無理!絶対、無理!!

これが終わったら、もう辞める!!!」と

今度は本当に自分できっぱりと

自分の内で決めました。

 

その少し前から、私の内側では

この生き方は違う、と分かっていたのです。

なぜ、分かったのか?と

問われても、上手く説明できませんが

これは違う、

本当は誰もがもっと楽しく

もっと豊かにhappyに生きる、

それこそが、本当の世界なのだ と

その声はとても小さいものなのですが、

私のおナカのず~っっと奥深くから

ずっしりと、はっきりと感じていたのです。

 

その声が何だったのか

今ならハッキリと言えます。

 

それこそが、私の

本当の私の声です。

 

本当の私=全て=無限の意識・エネルギー

 

急に話が飛んだみたいですが、そして、

このような不特定多数のかたに向けて

初めて言いますが

その声を認識する少し前に

思いだしたことがありました。

 

十数年前に、ある不思議な体験をして、

そのときは何が起こったのか

全く意味が分からなかったのですが、

そのときと同じような体験をされた方の

情報に触れ、

あぁ、あれがそうだったんだ、と

理解したことがあったのです。

 

その言葉は、そのとき初めて知ったのですが

"見性"  とか  "一瞥体験" と言うそうです。

 

きっと、いまではご存知の方も多いのでしょう。

 

ときどきは思いだすこともありましたが、

でも、何なのかは分からないので

またすぐに、忘れてしまいます。

 

だけど、本当に色々あった今だからこそ

あのときの、内なる体験を

伝えなければ、と思うのです。

 

それは、もう、本当に、

あ、っという間もなく

突然 顕れました。

 

この、肉体を持つ「私」という存在が消え

全ての「個」が消え

そこにあるのは

ただただ 無限なる意識・エネルギー

ただ、それだけが あり、

それをあえて言葉にするなら

「愛」 「歓喜」 それだけがあって

この、いま目に見えて、

ここにある と思っているもの全ては

その 「愛」や「歓喜」といった

無限の意識・エネルギーの中にありました。

 

こうして言葉で表現してしまうと

とても平べったいような感じになってしまい、

上手く伝えきれないのが

とても、もどかしいのですが、

そもそも、かたちのない「それ」を

言葉として、形で表すことに無理があります。

 

その内なる体験をしたときは

このような情報は知りませんでしたので、

その世界が拡がったとき

一瞬でその感覚は感じ取りましたが、

同時にびっくりして、

早くもとに戻らなければ!と

思ってしまいました。

もし、いままたあの体験が現れたら

そんなことは思わずに、

ずっと、そこにいたいと思うのですが!!

その、至福の無限の意識・エネルギーの世界も

ハッキリと憶えていますが、

もうひとつ憶えているのが、

こちら(この、目に見える世界)に戻るときに

ものすごく、ぐぅ~~~っ、と、

重たいエネルギーにならないと

戻ってこられなかったことです。

 

ということは、この物質の世界って

とても重たいエネルギーなんだなって思います。

 

そして、その中でも

心配や不安、

怒りや恐れ それらは

また更に 重たいエネルギーです。

 

心配や不安が

良い とか、悪い とか

そういうことでは ありません。

 

ただ、それらは、

真実=全て=愛・歓喜

からは、ほど遠いものだ、

ということです。

ほど遠いというより、

そこには、真実の中には

それらは

ない!のですから!!

 

だから、本当に

何があっても、

何も心配することはないのです。

 

すべて、いつも

絶対に

「愛」 でしか、ありえないのですから。

 

私も、このことを、こうしてはっきりと

たくさんの方にお伝えできるまでに

紆余曲折がありました。

 

その最中は、

全てを投げ出したくなるような

そんなときも ありました。

 

でも、それがあったからこそ

いま、その時の私と同じように

真っ暗闇のなかにいると感じている方にも

ハッキリと 言えます。

 

本当に、いつも

愛 だけがあります。

 

あなたの奥深くにも

必ず、一筋の光と共に

愛 が存在しています。

 

その 愛を、光を 見てください。

 

ほんの、一瞬でもいい。

 

不安や恐れではなく

あなたが、ほっ、と安らげる方を向いて下さい。

 

そこには必ず、光があり

愛があります。

 

だって、全てが愛と歓喜ということは

 

あなたも

 

愛と歓喜

 

そのものなのですから!

 

 

 

 

そして、その内なる本当の声に従って

もう、スッパリ辞める!廃業する! と

決めたある日、

ある一冊の香りの本と出会い、

私はこれからの人生を

香りとともに生きていくように

導かれています。

 

今朝、私はキューピーくんと

穏やかな空気のなかで、

ごく普通の朝食を

「美味しいね」 って、

ふたりとも笑顔で食べました。

 

その、些細なことが

とても大切で、愛おしくて

本当に、幸せです。

 

いつか咲くことは分かっていたけれど

いっこうに咲く兆しが見えず

心配したこともあったけど、

でも、ほらこうして

ちゃんと 無事に 開花しました!

そんな感じです!!