時のからだ塾に1年通って

一番聞いた言葉は

「とにかくアウトプットする」

だと思う。

 

そして塾長の言う『アウトプット』は

誰かが発信したことへの応答ではなく、

自らの体験についてを発信すること。

 

 

 

それが、ハードルが高いように感じる。

 

塾長の発信を聞いたり読んだりすると、

1つのことが次々繋がっていて

広がっていっている。

 

塾長みたいに毎日のように

いろんなことが過去と繋がったり

誰かと繋がったりして

おぉ!という話にならないよー

と思っちゃう。

 

 

極めてフツウの日常の

何を発信すればいいのやら。。。

 

 

 

 

それが最近やっと少~し分かってきたかもひらめき電球

 

 

 

アウトプットしようとすると

話に落ちが欲しい

誰かの役に立つものが書きたい

意味のあることを発信したい

という欲が湧くのよね。

 

これが曲者だニヒヒ

 

 

でもアウトプットの最初は

極めて純粋に自分事でよいのだにやり

 

 

落ちもなく、

有意義でもなく、

で?だからなんなの?

という話でいいのだ合格

 

 

それを自分の中に留めて置かず

外に出すことで

世界が応答してくれる。

 

応答が来ないといけないわけでも

応答を欲してアウトプットするわけでもないけれど、

なぜか応答は来るし、

そこから物語が発展していくこともあるのだ。

 

そのときに、応答が

出した先から直接来るわけじゃない、

ということを知っていないと

応答があったことに氣付かないで

終わってしまうかもしれない。

 

 

 

世界からの応答に氣付き、

さらなるアウトプットが生まれ、

そのやりとりから物語が生まれる。

 

 

そのまま放置されるものもいっぱいある。

応答のスピードもいろいろだからね。

でもそれが何年かしてから

回収されるのに氣付けたら

感動するよねぇ。

 

 

 

というのをいくら聞いていても

自分がやってみないと

このことかびっくりマーク

と腑に落ちないのだ。

 

 

 

 

ここ数日、自分が面白いと思ったことについて

会った友人に ついでに喋ったり、

個人あてにメッセージ送ったりしてた。

 

 

そうしたら、

全然違うところから応答が来て、

なるほどこういうことなのか真顔

と思った。

 

 

 

これはとても分かりやすい応答だったから

すぐキャッチできた。

 

けど、こういう体験のお蔭で

きっと応答が来ているのに

氣付かずやり過ごしていることって

一杯ありそうだ

ということにも氣づいて、

ちょっとワクワクした音符

 

 

アウトプットは

どこかに置いてある鏡に映っている自分に

向かって話しかける

感じでやってみるといいかもしれない。