いやね、みなさま。
LHAC (ラーク)代表の Saki でございますわよ。
今頃、カルガリーでスタンピード(カーボーイ祭り)を楽しんで
いることと思います。
では、今日も予約投稿で、行ってみよー!
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■思うとおりに歩めばいいのよ★ターシャ、92年間の歩み
「思うとおりに歩めばいいのよ」
今日は、こんなセリフを残した、ターシャの歩みを紹介したい。
ウィキペディアから抜粋して、そのまま載せてみる。
ーーーー ↓↓ ここから引用 ↓↓ ----
1915年8月28日、マサチューセッツ州ボストンで生まれる。
父ウィリアム・スターリング・バージェスはヨットや飛行機の
設計技師、母ロザモンド・テューダーは肖像画家で、
二人ともボストンの旧家の出身だった。
バージェス(母方)家とテューダー家はどちらも、電話を
発明したベル等、そうそうたる文化人と交流を持っていた。
しかしターシャはそんな華やかな世界が好きになれず、
社交界デビューを断ってパーティから逃げ出してばかりいた。
ターシャには農場のほうが魅力的でいつも牛を欲しがって
いたという。
読書家で話好きだった父からは想像力が養われ、
肖像画家だった母からは絵の手ほどきを受け
小さい頃から絵本を作って遊んでいた。
9歳のときに両親が離婚し、母ロザモンドに引き取られたが、
ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに転居することになった
母が子供の成育には都会よりも田舎の方が向いていると
考えたため、
コネチカット州レディングに住む両親の友人の家に預けられ、
週末だけ母の住むニューヨークを訪れるようになった。
ターシャはボストンよりも自然の多いレディングを愛した。
13歳の誕生日に念願の牛を買ってもらったターシャは、
15歳で学校を辞めて迷わず絵画と農業の道を選んだ。
農業で培った経験は自給自足の精神を育て、子供たちに
絵本を作ったり花を育てたりその後のライフスタイルに
大いに影響することになる。
結婚、絵本作家としてデビュー
1938年、23歳でトーマス・マクリーディとレディングで結婚し、
同年夫の強いすすめでデビュー作の絵本『パンプキン・
ムーンシャイン』を出版した。
4人の子供に恵まれるが、1961年に46歳で離婚。
1960年代にアラン・ジョン・ウッズと再婚したが、
数年で離婚している。
生涯を通し80冊以上の本を出版。次々と出版された作品は
それまで古典が中心だった児童文学に新風を吹き込んだ。
身近な世界が舞台となった話にアメリカ中の子供たちが
夢中になった。
同年ニューハンプシャー州ウェブスターの古い農場を
買い取って移住。
夢のスローライフな生活へ
1972年、57歳の時に思う存分庭造りをするためにバーモント州
南部の小さな町はずれマールボロに移り住み、19世紀頃の
開拓時代スタイルのスローライフな生活を営んだ。
およそ30万坪の広大な土地に、家具職人である長男セスは
ターシャの希望する年季の入った古びた家になるように
18世紀の工法を研究し、たった1人で家を造り上げた。
家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、電気や水道等、
近代設備は最小限に留め暖炉とベッドとロッキングチェアー、
薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う
昔ながらの生活を実践した。
一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスや
エプロンを手作りし山羊の乳を搾り、庭でとれた果実で、
ジャムやジェリー(透明なジャム)を作りパイを焼いたりした。
16歳の時にパン作りのコンクールで優勝したこともあるほど
料理は得意で、料理の秘訣は「近道を探さないこと」がモットー。
挿絵入りの料理本(『ターシャ・テューダーのクックブック』)を
出版したこともあった。コーギー犬の「メギー」が良きパートナーで、
他にもハトやニワトリなどの小動物と共に暮らしていた。
16時半、庭先のポーチでお茶を飲むのが日課。
日記代わりに周りの草花や動物達をスケッチした。
毎日のように歩いて10分ほどのところに住んでいる
長男のセスが訪ねてきて水遣りや買い物や力仕事など
甲斐甲斐しく母を助け、高齢の母親の暮らしを見守っていた。
2008年6月18日に自宅で家族、友人に囲まれて逝去。92歳没
ーーー ↑↑ ここまで引用 ↑↑ ----------
ターシャ・シリーズは、いかがでしたでしょうか?
それでは、また、バンクーバーに戻ってからの更新です。
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