いやね、みなさま。
LHAC (ラーク)代表の Saki でございますわよ。
今日は、久しぶりに、イングリッシュ・ベイへ、
心のクレンジング・ウォークに出かけて来ました。
海風は冷たくて、耳が痛くなるほどでしたが、
本当に気持ちよかった~!
あれこれ、今、考えることが多くて、ぐちゃぐちゃしてましたが
お蔭でスッキリです。
思考の整理には、自然の中を歩くのが一番ですね。
今日、歩いていたら、以前、私の友人がふと言った、
「だって、私にも言う権利があるよね。」
という言葉を思い出しました。
私は、なぜだか、この言葉を聞いて、えらく感動したのです。
「そうだよ、そうだよ、権利あるある!!」
私は、長年、自分の思うことは、言っているつもりでおりました。
でも、おかしなことに、誰かと話すとき、
「そんなこと、私がいう権利ないしね。」
という言葉を よく使うことに、気付きました。
客観的に見て、それは言ってもいい事でしょう!という内容で
あっても、自分の意見を押し付けてしまうようで、自分の気持ちを
伝えるのが、怖かったのです。
でも、これって…
私には、気持ちを話す権利がないと言って、自分を抑えこめることで、
相手を尊重しているような錯覚に陥っていたのだと、気付きました。
これは、尊重ではありません。
尊重という状態は、どちらも、優遇されるべきであり、どちらかが
勝って、どちらかが負けるのなら、それは、尊重ではなく、犠牲です。
長年、この犠牲のゲームに巻き込まれていたようです。
でも、その友人が、権利があるという言葉を使ってくれて、初めて
自分自身に対し、全てにおいて、権利を与えてないことが
分かりました。
私は、嫌なことを嫌だと感じる権利がある。
私は、嫌だと感じたことを嫌だと表現する権利がある。
私は、嫌なことを表現したあと、それをやめる権利がある。
つまり、私が今まで、何かを表現出来なかったり、表現したあとに
悔やんでしまうことがあったのは、
<私は、それを表現するに、ふさわしい人間だ>
と、思っていなかったという事になります。
「私には、そんなこと言う権利なんてないから、あなたが決めてね」
こんなことを言う自分を 相手を尊重することの出来るステキな人…
とでも思いたかったのでしょうか。
バカらしいお話しです。
だって、その妄想での素敵な人になることと引き換えに、
自分として生きる権利を 引き渡してしまったのですから!
私たちは、いつも、
<感じる権利、表現する権利、やめる権利>
があるってことを いつも覚えていたいものですわね。
今日のところは、おやすみなさい★
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