いやね、みなさま。


今日は、雨こそ降らなかったけれど、1日中グレーで、最高気温19度の

肌寒い、バンクーバーでございましたわよ。


本日、日本から、LANI ヒプノ™集中講座のために、2名が到着し、

LANI リトリートは、賑やかになりました。


みんなで、巨大なハンバーガーを食べに行き、おしゃべりに花を咲かせ、

これから始まる、集中講座に備えて、大量の食糧を買いに行きました。


さあ、明日から、集中講座が始まりますわよ~!!


楽しく、濃く、深い毎日。


健康に気をつけて、楽しんでまいりマッスル★



さ~て、昨日からのエッセイの続きへと いってみよー!



◆誕生日と父 ~私が私へ還る日々~ その2



バンクーバー&ハワイうひょっ♪な毎日


去年辺りから、面倒くさい娘になってやろうと思った私は、

父と接して、何か感じた時は、正直に告げていこうと決心した。


それは、ほんの小さなことであったとしても、


<面倒くさがらず、面倒くさい娘になろう> と思った。


これは、私にとって、本当に大変なことだ。


何しろ、モンスター化した父のイメージを まだ持っているのだから

多少なりとも 恐怖が伴う。


それでも、私は、やろうと思った。


父と良い関係を築くためではなく、単純に、自分のために。



毎年のことだが、今年も誕生日のメッセージをもらえなかった私は、

悲しい気持ちを しっかり感じ、そして、私の中にある、父に対する

マイナスのメッセージを考えてみた。


マイナスのメッセージとは、誕生日おめでとう と言ってもらえないことを


「お前は歓迎されていない」


「生まれてくるべきではなかった」


「迷惑をかける存在だ」


このように、自分で 勝手に 書き換えてしまったメッセージだ。



もちろん、こんなこと、普段、生活をしている上で、思うことなどない。


でも、こういうメッセージは、潜在意識という心の深い所に、巧みに

潜んでいるので、なかなか、気付けない。


こんな隠れたメッセージが、私たちを生き辛くするから やっかいなのだ。



このマイナスのメッセージが分かった時点で、それを手放すイメージワークを

行った。


このワークは、簡単だけど、とてもパワフルなものなので、

いつもなら、ここで スッキリするのだが、なぜか、スッキリしなかった。


なぜだろう。


父に、誕生日のメッセージをくれと言って、父の行動を変えた所で

何も変わらない。


人に要求する暇があれば、自分の心に愛を送り、自分で愛することを

始めることが大事じゃないだろうか。


だから、私は、自分でイメージワークを行った。


なのに、スッキリしないのだ。



そして、私は、私の中にある、巧みに隠れていた、エゴの存在に、

ようやく、気付いた。


人の行動を変えることにエネルギーを使うことは、ムダなことだと

いうのは、本当だと思う。


でも、私は、この立派な考え方を隠れ蓑にして、父と向き合うことを、

巧みに避けていたのだ。


私一人で、イメージワークをしたら、父と直接向き合う必要はないから、

なんとか、一人で 完結させたい…


私の中にあるエゴという恐怖心が、イメージワークに力を入れさせ、

父から遠のけようとしていた。




バンクーバー&ハワイうひょっ♪な毎日


今まで、私は、この2つのうち、どちらかしか 行ってこなかった気がする。


1) 自分の気持ちを伝える(または、感情をぶつける)


2) 自分の感情は自分で責任を取るべきと考え、自己ワークをする



でも、そもそも、イメージワークというのは、自分の中にある、不要な

思い込みを手放して、相手の言動を そのまま受け取れるように

するためのもので、自己満足の世界に 留まるために行うものではない。


自分の中にある、思い込みに捉われた状態だと、不要な感情を

生み出しやすい。 


だから、まずは、この思い込みと、不要な感情を手放す。


そのあと、不要な感情を取り除いたあと、自分の本当に気持ちを

相手に伝えることが 大事なのだ。



誕生日おめでとうを言われないことで、傷つくのは、完全に

私の間違ったマイナスのメッセージのせいだと、しっかり理解し、

余分(過剰)な、感情は手放した。


その上で、面倒くさい娘として、駄々をこねてみようと思った。


父の行動を変えるためではなく、単純に自分の気持ちを伝えたいのだ。


生きているうちに 親孝行しろ というけれど、駄々をこねることも

親孝行のひとつではないかと思った。


なぜなら、親は、子供から 駄々をこねられることによって、

忍耐力を養い、愛を育て、自己を成長させるからだ。


私は、駄々をこねない子供として生きることで、父に対し、こういう成長の

機会を奪ってしまっていたのだと思う。


駄々をこねるといっても、いまさら、本当の子供のように、「欲しいったら、欲しい!」

とは言えないけど、自分が欲しいものは、何であるかくらい、ストレートに

言ってみようと思った。


父へのメールには、


私にとって、親から聞く、お誕生日おめでとうっていうメッセージは、
あなたが生まれてきてよかった ということでもあります。

たかが誕生日だけど、私にとっては大事なことです。


今からでもお祝いメッセージもらえると嬉しいです。

と書いて、送信ボタンを押した。



すると、意外なことに、父からすぐにメールが来た。


ーーーーー


台風の前に、お母さんと、Sakiの誕生日がくると、二人で話していましたが、

その後、インターネットが使えなくなってしまったので、誕生日から何日も

経過してしまったし、今更、メッセージを送っても、ピントがずれてると思って、

送りませんでした。


ーーーーー


なんだか、普通の状況説明文だし、相変わらず、おめでとう! とも

書かれていない。


でも、なぜだかわからないけど、これを読んで、涙が出て止まらなかった。


駄々をこねて、はじめて受け止めてもらえたような安心感や、

はじめて、私と向き合ってもらえたような 嬉しさ など、

色んな思いが湧いて来た。


おめでとう!と言ってくれなかったので、父の行動は変わって

ないことになるが、父と向き合うという、自分の行動は、確かに変わった。


分析をしたり、イメージワークをしたり、一人で出来ることは沢山あるし、

そうすることでしか、楽にならないことも、確かに多い。


でも、私の父は、今現在、生きているし、絶縁しているわけでもないので、

私が出来ること、私がしたいことは、父と関わっていくことなのだと思う。


人間関係で悩むとき、友達に相談したり、セラピーを受けたり、本を読んだり、

人は色んなことに挑戦する。


でも、その根底には、家族と深く交わりたいという、強い願いがあるのでは

ないかと思う。


既に亡くなってしまった方や連絡が取れない人との間なら、イメージ

ワークをしても、直接話せないことを理解しているので、うまくいくが、


私のように、実際、話そうと思えば話せる人と 交わりを避けている場合、

どこか、胸の奥のつっかえを感じてしまう。


私は、家族と深くかかわりたいのだと、はっきりと自覚した。


深く交わるために、やっぱり、面倒くさい娘として、これからも 生きていこう。


まだまだ、駄々をこね足りないから、お父さん、長生きしてよ。



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今日も、超・長文を読んでいただき、ありがとうございました♡


では、明日からの 集中講座、楽しんでまいりマッスル!


親の事で悩んでいる人に届けたいメッセージなので、

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