いやね、みなさま。
今日は久しぶりの曇り空@バンクーバーでございましたわよ。
気温は19度で、太陽がない分、肌寒く感じますが、雨もふらず
快適な1日でございました。
本日、心友・みちみちが、美味しいスイーツを持って、遊びに来てくれて、
6時間近く、爆裂トークを楽しみました。
ああ、楽しかった。
みちみち、ごちそうさま&ありがとう!
さ~て、今日は、父のことなど、エッセイとしてまとめてみます。
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◆誕生日と父 ~私が私に還る日々~ その1
父は、子供のころから、すぐキレて、怒ると手がつけられず、
本当に怖い人だった。
父に逆らうと、私の身に、とんでもないことが起こると、常に怯えていた
子供時代を過ごした。
だから、私は、子供のころから、1度も、<駄々> というものを
こねたことがない。
駄々どころか、父に対して、「こうしてほしい」 とか、「それは嫌だ」
ということさえ、殆ど言った記憶もない。
母の口癖は、「お父さんは変わった人だから、仕方がない」
であったので、私もその言葉通り、受け取るように努力した。
運動会など、学校の行事に1度も来てくれたことがないことも、
父は変わった人だから仕方ない と、悲しい気持ちを打ち消す
都合の良い言葉として使った。
私は、こんな風にして、父を奇人としてイメージ作り、自分の
感情をもみ消すために、利用した。
こんな風な心の状態で、ずっと、父との関係は続いていくのだろうと
思っていた。
大人になって、私が大病を患ってから、父は随分と丸くなったし、
多少の恐怖は残っているにしても、一緒に過ごすには、問題なく
思えた。
しかし、去年、愛する人を亡くしたとき、両親に対しての本音が
沢山上がって来た。
ずっとずっと、自分の欲求や、感情を ごまかして生きて来た
私に、その亡くなった愛する人は、
「それが あなたの感じたかった感情だから、思いきり感じ、
表現してもいいのですよ。」
というメッセージと共に、大量の涙をプレゼントしてくれた。
それから、私は、父に対して、面倒くさい娘となった。
今まで、呑み込んでいたような言葉も、ごまかすことはやめ、
言葉は選んでだが、ちゃんと伝えるようになった。
心配をかけないでおこうと、隠してきたことも、全て話して、
子供の頃から 自分一人で背負ってきた責任を 親にも譲った。
そんな私になった、去年の誕生日、父から、誕生日を祝う、
メッセージがないことに、とても悲しくなった。
今までだって、1度もメッセージなどもらったことがないし、
慣れているはずなのに、どうしても こだわってしまったのだ。
そして、面倒くさい娘は、「メッセージがなくて悲しかった」と
メールをしたが、父からの返答は、何もなかった。
いくら父に向き合おうとしても、無視される感じがして、さらに胸が
痛んだ。
すぐキレて怒鳴り散らす父こそ、気持ちは優しく繊細で、娘と向き合う
度胸はないのだろう。
でも、こんなことを思っても、悲しいものは 悲しかった。
この感情を ごまかさず、味わった。
そして、今年の誕生日を迎えたが、やはり、父から、おめでとうと
いう言葉は、届かなかった。
あとで、台風の影響による通信トラブルだと知ることになるが、
ネットがつながったら、メッセージが来るかもしれないと、淡い
期待を寄せていた。
父から、ネットがつながったとメールが来たのは、誕生日から
少し経った時で、その内容は、台風の大変さが綴られてはいたが、
誕生日については、一切、触れられていなかった。
期待するから、悲しいのだと、自分を戒めてみたが、悲しいものは
悲しい。
どうして、私は、たかが、「誕生日おめでとう」というシンプルな言葉に
そんなに こだわってしまうのだろうか。
面白いことに、こだわっているのは、父のみで、他の誰でもない。
色々考えてみたら、こんなことが見えてきた。
私は父から愛されている自信や自覚がなかったため、「誕生日おめでとう」
という言葉を聞くことで、
「お前が 生まれてきて嬉しいよ。」
という、生きていてもいい、確認をしたかったのだと分かった。
父から愛されている確信がなく育った私の心の根底には、父からの
<生存許可> を求める気持ちが 根強くあったのだ。
これが分かったと同時に、親に自分の生存の許可をもらおうとしている
なんて、本当に、バカバカしいことだとも思った。
確かに、肉体という名の、家は親から もらったが、肝心の家主が
その中に入れなければ、その家は ただの、箱でしかない。
主人公である私が、舞台セットの家を建てた、大道具さんに、
「ここで演じさせて頂いても良いでしょうか?」 と、聞くなんて、
全くもって、おかしな話しだ。
そのお芝居の主人公は、私なのだから、裏方の許可など必要ない。
でも、今まで、私の潜在意識の中には、
<私は、父から生きる許可書をもらうまで、生きることを放棄する。>
という、メッセージがあったのだ。
こんなメッセージがあったら、父の言動に一喜一憂してしまうのは
当たり前だ。
私が怯えていたのは、誕生日を祝ってもらえないことではなく、
生存してもいいかという、生死に関わることだったのだ。
早速、私は、このマイナスのメッセージを手放すワークを
一人で行ってみた。
ワーク後は、とても 清々し気持ちになった。
いつもは、これだけで終了出来るのに、今回は、なぜか
やり残し感が残っていた。
なぜだろう… そう考えて、「あ、そうか!」 と、1つの
とてもシンプルな アイデアが浮かんだ。
そのアイデアとは…
明日へ続く♡
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