いやね、みなさま。


今日も快晴!ああ~幸せ♡ ってなバンクーバーでございますわよ。


予想では、27度まで上がるそうで、これまた夏日のボーナスに

ウハウハな わたくしめ。


本日は、集中講座のスカイプ講義が夕方からあるのだけど、その前に

ビーチで読書という、最高の贅沢を味わってくるご予定。


今日は、たぶん、深夜まで講義が続くと思うので、早めの更新でっす。




バンクーバー&ハワイうひょっ♪な毎日


いま、集中講座に参加する、4名のセラピストの卵たちは、

カウンセリングの実習中。


私が教えているカウンセリングの技術は、私がカウンセリングの

技術として学校で習ったものとは大幅に違います。


私の長年の臨床経験から創り出した、クライアントもセラピストも

同時に癒しが起こる、本当にLANI(天国)のカウンセリングです。


日本では聴講するタイプのカウンセリングが、まだ主流ですが

これだと、週に一回、カウンセリングを受けたとしても、何か

手ごたえを感じるまで、軽く 1年以上かかることも多いです。


莫大な時間とお金をカウンセリングに費やし、心の癒しって

大変なことだと思う人も少なくありません。


でも、カウンセリングって、もっと簡単で楽なものであっていいのです。


LANIカウンセリングは、何年もかかって導き出すようなことを

たった30分~1時間で、スッキリさせてしまうことが出来ます。


ここ2年で、私の技術は更に高まり、たった一回のカウンセリングで

人生が変わる経験をしたという、コメントを沢山頂いております。


何年もかけて辿り着くようなことが、たった30分で変わってしまうのは

なぜでしょうか。


それは、私というセラピストが、<クライアントと同じ血を流す> からです。


分かりやすい表現でいうなら、クライアントの心に寄り添うという言葉が

いいのでしょうが、実は、これとも 微妙に違います。


クライアントと同じ血を流すということは、その人、そのものを体感する

ということであり、別の人間として、その人の痛みを、ただ想像して共感する

こととは違うのです。


クライアントと同じ血を流し、その人を体験するカウンセリングをすると、


クライアントさんの口から、


「生まれて初めて、他人から本当の意味で理解されたと感じました。」


「痒いところに手が届くというのは、こういう感覚なんですね。」


という言葉を聞くことが出来るのです。


カウンセリングの教科書に書いてある通り、傾聴、共感と順序を追って、

口先だけで、「分かります、辛かったですね。」 と言ったところで、

クライアントは、共感されて気分は良いでしょうが、癒しは起こりません。


「ああ、この世で一人でも、私を理解してくれる人が存在するんだ!」


という魂の喜びが、今後の希望を呼び、癒しが自然と起こるのです。



バンクーバー&ハワイうひょっ♪な毎日


血という表現を出したのは、なぜかというと、元・BOWYの布袋さんが

情熱大陸に出ていて、彼が血を例にとって、自分をうまく表現していたから。


曲作りでスタジオに入るとき、布袋さんは、ほとんど白紙の状態だと

言います。


曲を作る時、その日の気持ち次第だという布袋さん。


曲作りというのは、血のようなもので、どこか体を切ったら、自然と

流れてくるもので、それが出てこなくなったら、泉が枯れたということ。


でも、今まで、音楽は、あふれでなくなったことはないと言います。



この言葉に、えらく共感した私は、カウンセリングも全く同じことだと

分かりました。


クライアントの前に座る時、私は全くの白紙(ニュートラル)の状態です。


分析から得た自分の決めつけや思い込みを持ち込んで、クライアントの

前に座ることは、自分の血を流したまま状態と言えます。


これだと、自分の意見や観念と対立してしまい、苦しくなってしまいます。


だからこそ、一旦、自分の血は全部抜いてしまうのです。



どうやって、クライアントの血を自分の体内に入れるかというと、

クライアントの一言、一言に、丁寧に耳を傾けるのです。


一つ一つ丁寧に、言葉を拾っていくのです。


自分の血を抜けば、相手を判断するエゴは完全に休止します。

すると、私の中に、クライアントの血がめぐりだし、全身、クライアントの血が

かけめぐってきます。


だから、どこを切っても、クライアントの思いが溢れてくるし、

クライアントがどうしてほしいのか、どうなりたいかが、

<クライアントそのもの> として、体感できるという訳です。


統計や分析だけでは、癒しは起こりません。


だって、私たちは血の通った、生身の人間だから。


一人ひとり違う血を、自分の中に通わせること。

これが、真のカウンセリングだと私は思っています。


誰か別の人の血を通わせたとき、共感や同情よりさらに深い、

<慈しむ> という感覚が、私の心の中に生まれます。


同時に、クライアントの心の中にも、自分を慈しむ感覚が生まれ、

二人の間に、言葉にしがたい感動の愛の交換が出来るのです。


わたしは、うちの生徒たちに、この何とも言えない、最上級に

気持ち良い感覚を味わってもらいたいと思っています。


今日も、自分の中にあるLANI(慈しみの泉)へ行くための

カウンセリングの技を カワイコちゃんたちに、伝えていきます♡


先週、自分のLANI とつながる体験をした、セラピスト卵の

Mizuki の感想文を読んでやってください。


Mizuki の感動が伝わりますように。


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バンクーバー&ハワイうひょっ♪な毎日



今日はSkypeでのカウンセリング実習!


Sakiちゃんのカウンセリングで、はじめてLANI(天国)に触れた。


幼い頃のわたしも、それをがんばって守ろうとしてきた大人のわたしも、
ぎゅーっと抱きしめて、よしよしって頭をなでて、一緒になって泣いた。


いまそのセッションを思い出しても、胸の辺りが温かくなって、
じんわり涙がにじんでくる。

絶対的な共感を示すことで、クライアントが自身を慈しむ気持ちになること。

言葉で整理するとそういうことなんだけど、
これは一度経験してしまうともう経験していない頃には戻れない、
絶対に経験を通してしか本当には理解できないことだなと思った。

そして、これまでの講座で何度が出てきた「赤ちゃんは泣くのが仕事、
クライアントさんは抵抗するのが仕事だと思ってね」というSakiちゃんの
言葉が、やっぱり経験・体験として理解できた。

だってわたし自身がクライアント役として、すごく抵抗してたから(笑)。
しかも抵抗している自覚なく!

人のカウンセリングを第三者として聞いていて、エゴが大人しいときに、
クライアント役の生徒さんの抵抗を感じて、「あ、これわたしもやってた!」
ってはっとしちゃった。

それがどんなにいいものでも、そっちへ行った方が幸せだってことでも、


誰にとっても「変化」っていうのは怖いもので、抵抗があるのが普通なんだ、
自分がこの取り組みで変わっていくって思っているからこそ怖いんだ、


って気づいたことで、この先のことがすごーく気楽になったんだ。

セラピーはクライアントを変えることではないということと同時に、
セラピストになるということは自分自身を変えるということではなくて、


実は曖昧にしか知らない自分をもっと知って、自分の取扱説明書を
手に入れることから始まるんだね。

それはクライアントさんに100%寄り添っていくためで、
クライアントさんと対面する「自分」をしっかり知っておくことで、


クライアントさんとのセッションに自分の問題を持ち込まないってことに
つながっていくんだろうと思ったよ。

書いていくうちに全回の感想と似てきちゃったけど、
一番大事な「クライアントさんの手を絶対に離さない!」ために、
大事な大事なことなんだね。

次はいよいよSkype講座の最終回、そして来週からはいよいよ
バンクーバーに向けて旅立ちます!

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長いの読ませちゃって、メンゴ(わざと)ダス!


今日も 皆様が、素晴らしいLANIを見つけられますように♡


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