A PLACE -56ページ目

A PLACE

気にもとめなかったことがこの世界にはたくさん。
そのわずかでも拾うことができれば。

4/1 リニューアルで Opera では使えないサイトになったので、
本来のサイトに戻っております。
よかったらどうぞ。
よく考えたら、Yahoo! blog でもいいんだけどな。安定は段違いですし。
クールビズでしたっけ? 中途半端にノーネクタイにしたら涼しかろ、というやつは。
そんなくらいで日本の夏(え、やっぱり金鳥の夏っていわないとダメ?)がしのげるくらいなら、とっくにやってると思うが。

人類は地球にとって寄生虫である、と言われることがある。実際私はそう思う。
でも、私は滅びるつもりはない。究極の解法、つまり人類絶滅は問題外である。
では、どうするかと言えば、寄生主が死なない程度に自分の行動を抑えるしかない。寄生虫としては当然の考えである。

さて、一人では行動にも限界があるので、集団の行動を抑制しなければならないが、ちょっと待ってほしい。
いまから引っ越す人間がクーラのない部屋を選択するか? もっと言えば暑い寒いを我慢するか? 車に乗るのをやめるか? などなど…
自らの快適さ、便利さを犠牲にして環境保全に挑むのは構わない。が、他人様にそれを強制するとなると問題がややこしい。よっぽどの最適解でない限り、ただ他人の不便を強いるだけで効果がないからである。そんなことをしていたら反発するに決まっている。ダイエット、禁煙、禁酒の成功率を見れば明らかだ。

さて、どうしたもんだろ。特効薬みたいなのはないものか。ECO と EGO って似ているがこれは関係ないかな。

ところで、今、読み返してみたら、上で究極の解法を示していて、次によほどの解法なら他人に強制していいと書いている。
これって、殺人を推奨すると受け取られかねないと思って、少し不安。
先日、母校の演奏団体(九州芸術工科大学フィルハーモニー管弦楽団)の定期演奏会に出演してきた。

いろいろ言いたいことはあるんだが、協奏曲に乗れなかった(参加できなかった)のを後悔した演奏会はこれだけかもしれない。

いや、こういうといままでのソリストに失礼かもしれないが、練習会場で客席で、見て聴いて、なんせ一緒の演奏をしたい、と思った。こういうことを思わせたソリストは初めて。

自分の思ったことの分析をせねばなるまい。
彼女は確かに若い。中学生である。本番でも緊張かなにかは知らないが大ミスはやっている。一般の客なら引いているだろう。
私は演奏側の人間である。その立場で見ている、聴いている。
で、前出のミスがオーケストラに合わせるためだったとしたらどうだろう。

本来、ソリスト側としてはそんなことは言い訳にならないのだが、オーケストラ側としては演奏しやすいソリストだったはず。やりたいツボの分かりやすい表現、そのツボのためには少々自分のやりやすさを曲げてオーケストラのテンポに合わせる柔軟性、もちろん、それが可能になる充分な技術と耳と感性。

おいちゃんやられたかも知れんな。いや、やられたな。
いわゆる丁寧語表現として「~します」「~ます」というのがある。
これ、昔は「~し申す」「~申す」だったのではないだろうか。
であれば、実は謙譲の意味がでてくるので、普段意識はしなくても日本語には謙譲の精神が流れているのでは、と思える。

ところで、敬語など日本語の乱れが指摘されて久しいが、私の考えとして、乱れ自体は別にどうとも思っていない。
問題は敬語を誤って使うと受けた相手を不快にさせることである。要はバカにされた気分になるのだ。
無理に内容の伴わないややこしい敬語を使って不快にさせるくらいなら普通に丁寧に話せば十二分である。
それこそ、丁寧語に謙譲の精神が流れているとするならなおさらである。

ついでに私が聞いて気になる表現を挙げておく。

  • 「~されてください」
    要は「~しろ」と命令したいのに立場上言えないのでやわらげてみたという感じがする。非常に美しくない響き。
    普通に「~してください」、あるいは「~のようになさってください」と言ったらよいと思うが。

  • 注文などの確認で「~でよかったでしょうか」
    過去形で訊かれると勝手に決められたようで不安になってしまう。
    今決断をしようとしているのだから「~でよろしいでしょうか」が妥当だと思うが。
    ただ、この過去形の表現、どこかの接客マニュアルで書いてあるらしい。もう手遅れ。

自分というのは本当に組織になじまなかったようだ。
というわけで、今月で会社員ではなくなる。結局は現在の職場に個人契約で居残って、細かい引き合いを請けながら生きていくことになりそうだが。組織員のうざったさから解放されるのが吉とでるか、組織の庇護が受けられなくなるのが凶とでるか。

ちなみに、円満とは言わないが、ケンカ別れではない。会社と私、お互い納得の上での対処である。むしろいろいろ尽力いただいて感謝している。

ところで。
いろいろ会社組織に属した。どうしても不思議だった点がある。なぜ不必要なまでの連帯感を植え付けようとするんだろう。
連携が出来ればそれで済むこと。それを感情や気分まである枠にはめようっていうのが無理であって、それを認めた上で繋がりを作るのが、せめて人という動物の知恵ではないかと思うのだが。

んー、こんな考えは組織人には通用しないんだろうなあ。そりゃなじまんわ。私ゃ機械じゃない。