簡単操作をウリとするカメラの呼び方は、その手軽さの変遷で変化してきているようだ。
簡単に並べると、
「バカチョン」→「写るんです」→「写メ」/「デジカメ」
また選挙期間中にマズいことを思い出したもんだが、「バカチョン」は今は差別用語である。
たぶん、語源を知らずに今でも使っている人もあろうかと思うので、解説すると、
「バカ」な人でも「チョン(朝鮮)」の人でも扱える簡単さ、ということである。
当時の人がそう思っていたのであろうが、その語感は確かに簡単そうな印象を受ける。
実際昔に使っていたが、手間なのはフィルム交換だけだった。
露出が足りないようだと、シャッターが下りないようにもなっていた。
しかも機械的にだ! 今では全て電子制御だが、機械の機構だけでもそれができていたのだ。
今は使うべきでない呼び方だが、その手軽さの裏にある技術には考えるべきものがある。
「写るんです」は商標で、確か富士写真フイルムのものだったと思うが、いわゆるレンズ付きフィルムである。あくまで主体は「フィルム」である。
当時すでにデジカメなどのフィルムを必要としないカメラが登場していたが、なにしろ、高かった。
もちろん、まだ画素数も少なく、当初流行ったものは QV10 などの 10 万程度である。
その中でわざわざカメラを持っていなくても、突然思いついても、そこらで安く買えて写真が撮れるというのは手軽だった。写りもそこそこよかったので、記念好きな人は重宝したであろう。
機会を掴むということが大事であると認識させられる。
で、現在、写すことに主眼を置いている人は「デジカメ」、思いついたときに、という人は「写メ」となっているようだ。
単体の「デジカメ」については、もう私の知るところでないので、放っておいて。
「写メ」という呼び方、私は納得がいかない。
写真を写す行為と携帯電話から電子メールを送信する行為を併せて「写メ」である。
当時の J-Phone がうまいこと流行らせたが、私はこの呼び方こそが、最初の「バカチョン」が言いたかったことなんじゃないかと思う。
自分の行為と行為を表す言葉との乖離に気付きもせずに、そのやりたいことの雰囲気が伝わればよい、という手軽さの行き過ぎている例だと思っている。
なににイライラしていたかというと、自己の判断思考能力が欠如しているのでは、と思わせる目の前のプログラムと、「ケータイ」文化の底流が同一の事象であることに気付いてしまったことである。
いや、おそらく他にいろいろ考えているのだと思うが、私の求めているところには考えを向けてもらえないらしい。そこをどうしてほしいか伝えられないことが、イライラの原因なのである。
で、その立場に立ってみようと「ケータイ」で「写メ」してみる。
だれかの本棚んー、ほんとに思いついたときに撮れるな。
一番右は東京ポケパラだが気にするな。三月号だ。
また古い本ばかり並んでるな。年くったかな。
ちょっとだけ理解できたかもしれない。← そんなわけない



