新聞を読んでみた | A PLACE

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気にもとめなかったことがこの世界にはたくさん。
そのわずかでも拾うことができれば。

現在食事をするところというとかなり限られる。
その一つは近所のうどん屋。
この近所では唯一の 24 時間営業である。
(実はほんのつい最近、一週間前まで 24 時間のモスバーガーがあったのだが、営業時間の短縮に踏み切った)

うどん屋なので、うどんを食べに行こうと始めは思うのである。
道中、カツトジでもいいな、と思い始める。
カウンタに陣取る。
「ビーフカレー大盛り。」

なぜだかわからないが、つい口に出ている。

大抵、私の行く時間は一般人の食事時間ではないので、店は暇である。
ゆっくり新聞を読みながら食事ができるわけだ。
新聞を読む際に、私はおそらく次のような読み方をしていると思う。

* 事実と思われることを拾い出す
* 記者の感想、評価についてはほとんど無視する
* 世論として伝えられることもほとんど無視する

株式の頁あたりで読むのをやめる。
その後は文芸とか社会面で興味がないからである。
社会面はよほど気になる地域のネタしか読まない。




なぜ評価や世論といったあたりを流してしまうかというと、
事実に対する自分の判断を重視しているから。
逆に記者の目を通したことによる偏りを極力排除したいから。

ところで、社説は必ず目を通す。
新聞編集方針が一番明確に意見として記述されるからである。
新聞で新聞社としての意見を主張できるのは、主に社説に限られる。
社説により、編集者にとって興味のある話題がなんであるかを知ることができ、
限られた紙面にどのような話題を詰め込んだのか、その傾向を知ることができるのだ。

さきほど事実と思われることを重視する、とした。
これも、編集者が取り上げるか否かに左右されることであり、
本当に事実を伝えられているのか怪しいものであるが、
社説を筆頭に編集方針を知ることで、その偏りを修正しようとしているのである。

いつからこんなヒネクれた読み方をするようになったかは覚えがない。
テレビを見なくなってから、あるいはネット上で情報収集をするようになってからだと思うが、定かでない。

ひとつ言えるのは、ネットでのニュース配信は短信であることが多いので、
事実以外の情報を伝える余裕がない。そこには偏りが生じにくい。
その背後にある詳細な情報こそ、新聞を読む理由である。

テレビのニュースは見る必要を感じない。
まず、時間の都合により、取り上げる話題の狭いこと。
次に、同様の理由で、詳細な情報が欠落すること。
もっとも重大なことは視聴者にある方向に偏った意見、主張を与えがちになること。
これでは少なくとも自分が知りたい情報は得られない。

現在の私の情報収集はネットで拾った話題を新聞で確認する、という形である。
ネットでも責任のある編集でまとめられた情報が得られるようにならないだろうか、と思っている。



久し振りに文章らしきものを書いたら、まったく思い通りに言葉が出ない。
文章能力も使わないと衰えるもんだ。はあ。