私の職業は英語教師なのですが、英語を教える過程で生徒さんからいろいろと不自然な表現が出てくることがよくあります。

今日はそんな表現のひとつ「私は納豆が苦手です」を考えていきます。

 

さて、この日本語をGoogle 翻訳にかけてみてみると I’m not good at natto. という英語が出てきます。

 

 「be good at +名詞または動名詞」という熟語が「~が得意だ、上手だ」という意味で、”He is good at tennis, but not good at soccer.”(彼はテニスが得意だが、サッカーは苦手だ。)みたいな英文を中学校で習った記憶がある方もいると思います。

 

でも、英語がある程度できる人ならば ”I don’t like natto.”などと表現するでしょう。

 

be good atというのはテニスのようにある種のスキルの上手下手を表すもので、日本語の「納豆が苦手」のように「好きではない」あるいは「嫌いで食べられない」という意味では使わないということを知っているからです。

 

このように個々の言語においてある語の持つ意味の範囲が少しずつ異なることによってコミュニケーションの問題が生じてしまうことがあります。

意味のストライクゾーンの問題

このような事例を私は良く「意味のストライクゾーンが違う」という言い方をします。

 

ここでの問題は、日本人は「苦手」という言葉を2つの意味で使い分けているのですが、話している当人がそこに意味の違いがあることをあまりが意識できていない場合があるという点です。

 

「雨」と「飴」のような同音異義語の場合には、漢字の違いやイントネーションの違いで意味の差を意識できますが、今回の「苦手です」のように感じもイントネーションも全て同じだった場合には、その違いを問われるまであまり意識できないかもしれません。

 

逆に私たち日本人が英語を学ぶ際に、同じ単語や熟語なのに日本語にするとやたらたくさん意味があって覚えるのに苦労した経験がある人も多いのでないでしょうか?

 

例えば asという単語を例に取ると「~のように」「~する時に」「~なので」「~するにつれて」「~として」などの意味が辞書で出てきますよね。

 

to不定詞も「~すること」「~するための」「~すべき」みたいに意味をいくつも覚えていないと日本人にはうまくニュアンスが捉えられません。

 

つまり、日本人が「納豆が苦手」と「テニスが苦手」の「苦手」の意味の差をあまり意識していないのと同様に、ネイティヴの英語話者が as やto不定詞の持つ意味の差をあまり自覚していない可能性もあるわけです。

 

このようなストライクゾーンの違いによってうまくコミュニケーションができないような場面はGoogle翻訳などのAIの翻訳でもよく見られ、笑いのネタになることもしばしばですが、実は人間同士の間でも方言などでも結構頻繁に起こりがちです。例えば北海道で「こわい」というと「だるい」「しんどい」という意味になる場合もあるなんてケースですね。

 

自分のストライクゾーンが他人のストライクゾーンと違うということは、違いを体験しない限りわからないというのがさらに厄介なのですが、このようなトラブルを避けるためには少なくとも「より標準的な表現を使うことが大切である」ということが言えると思います。

 

さて、では「苦手だ」をより標準的に「嫌いだ」にして I don’t like natto. と言ったらそれはいつでも相手にきちんと伝わるのでしょうか?

次回はその点について考えてみようと思います。