我思う、ゆえに我あり。

デカルトの有名な一説らしいです。ソクラテスとか、ルソーとか、モンテスキューな哲学というか。私が高校時代、一番好きだった科目は倫理でした。ソクラテスとかルソーとか、モンテスキューとか(←それしか知らない。)世界史だったのかどうかも覚えていません。ただ、果たして哲学とは何なのか!そういう事を考えるのが好きな、変な子供でした。あ、今は年だけ大人になりましたが生と死を見つめるのは好きです(←え)

GW最終日、姉とお茶をしていた私のトーク内容は同○誌の通販のことでした。やば!通販いつまでだ!?とまぁオタトークを炸裂させていたわけです。(私の一方的ですがね!笑)そこへ姉が突然、図書館に行きたいと言い出したので何で?と尋ねると、哲学が△□◎※▲■●※……

何が言いたいのこの人!と思ったのです。が!!

そこで冒頭のデカルトの一説に戻ります。
我思う、ゆえに我あり。それはいっさいの知識を疑い、その結果、疑う我の存在は絶対に疑いえない。つまり疑うという思考を働かせている存在は、存在しているからこそ成り立つのだと。(←自分で何を言っているかわからなくなってきました;;)
ともかく私は19歳の頃、このデカルトのような哲学的な意見をくれた人に出会ったことがあります。
振り向いて欲しい人(仮にA君とします)がいたのに素直になれず、子供特有の要は愚痴です(笑)

『きっと私なんか、面倒臭い人間だって思われてる。構ってくれないからって拗ねてる、面倒臭い子供だって思われてるんだよ』

うわぁ~!誰これめんどくさっ!(爆)

そんなとっても大人の振りした子供の台詞(笑)を木っ端微塵に打ち砕いたのがH氏です。当時25歳くらいだったかな?

『どうして面倒臭いと思うの?』

と慰めてくれていたのかと思い、

『だってA君は絶対、そう思ってるもん!』

と私。

『それは、そう思ってると『思ってる』から、そう思うんでしょ?』

・・・はい?

ごめんなさい、よく意味がわからないです、と思ったのですが、え?と暫し長考。しかし頭のいい大人のお兄さんは私に考える間も与えずにこう言い切ったのです。

『面倒臭いと思うことは君の中の感情であって、彼が言った事じゃないのなら、そもそもそんな感情が彼の中に浮かぶことはまず有り得ない。つまりそう思ってるのは君であり、彼じゃない。だから彼に不満をぶつけるのは筋違いであって、君がそう『思っている』と思っていることがそもそも間違いなんだよ』

と。

多分、こんな意味だった。もうね、哲学ですよね。デカルトは存在しましたよ(笑)

『つまりね、君が彼にそう思われていると思うこと自体、彼が思うより先に君が思っていることだから、彼が君を面倒臭いと思う事は、絶対に有り得ない』

そして私は、再びの長考。やっぱり哲学だ・・・!!
前に、世の中は未来に向かって進化していくけれど、現実問題として、これだけは進化しても叶わないものがあると聞いたことがあります。それは『タイムマシン』です。『過去に戻る』という行いだけは、未来永劫ファンタジーの世界なのだと。何故なら、もし、タイムマシンという乗り物があったとして、過去に戻るためのボタンを押したとする。けれどここで問題があるのだと。どんなに頑張っても、『ボタンを押すより前』には戻れないのだそうです。過去へ戻りたくても、『タイムマシン』に乗った時に行った一番初めの動作が『過去』なのだと。つまりそれが過去へ戻るために行った、『ボタンを押す行為』なのだそうです。
私はH君の言ったことが、何だかこのタイムマシンの話に似ていると思いました。
確かに面倒臭いとか、子供だとか、拗ねているとか、恰もそれはA君が思った感情のように私は言っているのです。でも実際はA君からはそんなことは言われていません。つまりH君の言うように、『私がそう思われていると思っていただけ』なのです。つまりその感情は、A君の中には存在しない。そう思われていると思う行為は疑いであり、そう思われていると断言してはいけなかったのです。だから面倒臭いと思われているという感情は、私が一番初めに感じた感情であり、A君が私より先に感じていたわけがない。つまり有り得ない感情だとH君は言ったのです。タイムマシンの話に絡めると、つまりこの「感情」は私が真っ先に感じた感情であるゆえ、A君が私よりも先に感じることは一生ないのです。感情の過去も、きっと戻れないのだと感じました。
そして話が逸れているようで逸れていない(笑)デカルトの一説に戻るわけです。人間の存在を疑う=存在していないのではないかと『思うこと』が既に存在しているのだと。

私にとって哲学とは、H君のあの恋愛?相談であり、デカルトではありませんでした。