無理しない、飾らない、誰かにならない。ということは、鎧をつけない「ただの自分」でいることになります。

はじめは少し怖い??→けれど、その自然体な姿がじつはとても美しいのです。
わたしは、幸せベースを提唱していますが、そこには「飾らなくなってくる」という変化もあるなと感じています。

わたしの言う飾る、とは
→つくり笑い、愛想笑い、余計な共感、
ということです。
着飾ることやメイクが飾ることだとは思いませんが、自分を隠すように装うのだとすれば、それも「飾る」ということに入るでしょう。

また、飾らないからといって、「むやみに感情のまま言いたいことを言う」→これも違ってきます。
ここらへんは微妙なニュアンスがあります。

わたしは長年、人の前でそして「母親の前で」無理をしてきました。幸せベースが整ってきたころ、笑う、共感する、そんなフリができなくなって、テンションを上げるわけでもなく、誰の前でも、ただのそのままの自分でいるようになりました。

顔つきも柔らかく自然になり、顔色がよくなりました。自分で言うのもなんなんですが美しくなったと感じています。美醜が整うわけではありませんが、内面が変わると容姿も変わっていくのです。

そんな話でした。
また更新します。