※ちょっと悲しい話しかもしれないので、苦手な人はこの日記読まないでね(^^)
私が小さかった頃から、母はよく歌を歌っていた。
家は金物屋&工具・修理屋で、父も仕事をしながら歌ったり口笛を吹いていた。
母が好きだったのが越路吹雪で、喉自慢でもシャンソンをよく歌っていた。
中学の時に見たイタリア映画「刑事」の主人公に惚れたらしく、その主題歌「Amore mio死ぬほど愛して」は私の子守唄みたいなもの。
そんな私は、保育園時代なぜか殿様キングスの「涙の操」を歌っていたり、初めて小遣いで買ったドーナツ盤は「舟歌」だったり(汗。
中学3年で幼馴染からバンドに誘われ高校卒業まで地元で歌ってた。
そんな私の一番の理解者であり協力者でありファンクラブ会長と主張!していたのは、まぎれもない母だった。
学生の時は倉庫代わりの古い家をそのまま練習場にさせてくれたし、学校でもめ事があれば校長と直談判したし、コンテストに出場すれば必ずビデオを回してくれた。父も反対したことはなく、自由にさせてくれてた。
元々子供のやることには協力的というか自分も楽しむタイプ。
私よりもピュアでミーハーでいつも一生懸命でぴょんぴょんしてる(笑)。
私にとっては、母親でもあるけど妹みたいな存在だったんだ。
大人になってからも、お盆に地元の祭りがあるとカラオケ歌ってこい~家まで聞こえるようになぁ~とか、電話口で「SYOW-YAのあれを歌ってよ~」とか。私はお前の歌が聞きたい~って(笑)
まぁ、その頃彼女はリウマチであまり動けなくなってたのでほとんど行けなかったけど、それでも何度か行ったな~。
岐阜と東京は400K離れてたけど、10年以上ほぼ毎日電話で話してたし、その距離感が却って心地よくとても良い関係だった♪
私が去年から音楽を再開して、一番エキサイトしたのも彼女。
そして、その少し前から母も合唱やオペラを歌うことにはまっていた。
お互い楽しくて集中することができて、だから電話の回数は激減したけどそれは二人とも日々充実してる証拠だというのは分かり切ってた♪
電話口で練習中の歌を揚々と歌ってくれたこともあったし、今私の手元にある彼女の楽譜には、ものすごく書き込みがたくさんあってね。そうやってベッドの上で楽しく一生懸命練習してたんだなって思う。
もっとも、全然動けないわけじゃなくって(笑)、よちよち歩きながらも車を運転してオペラの練習にでかけたりしてたよ。とにかく、明るくてバイタリティありすぎで周りが振り回されるのだ(^^)
歌う声は低かったのに、最後はオペラの「ラルゴ」をソプラノで歌いあげてて驚いちまった!
そして私は、そんな母に自分が歌うステージを見てほしくて、今年の年末までには地元のホールでコンサートしてやるぅ~なぁんて漠然と思ってた。でもそれがいつの間にかすり替わり、これでもかってほど毎月LIVEを入れていた。かなり無謀ね(笑)
でも、Greasyのライブ動画は5月のGWの時に大画面で見てもらったょ!事前に母のためだけに録音した曲も聴いてもらえたし、彼女のベッドの横で大音量でギターと歌の練習をした。いやはや、どんだけやっても喜んでくれるんだよな。
手のリハビリをしたいからと、小さなキーボードを設置してきた。子供のころ弾いてたバイオリンやお琴もリハビリになるかなぁ~~なんて言って(^^)
そして6月11日早朝。
私は彼女の手を握っておでこをさすりながら、バラードチックな「限界LOVERS」とか「刑事の主題歌」とか越路吹雪の「落ち葉」とかを耳元で何曲も歌った。
その数時間後、彼女は大好きなオペラの先生の「アベマリア」が流れるなかゆっくり静かに息を引きとった。
彼女が私に与えてくれたものは限りなくたくさんあって、これからは私の記憶の中にずっと生きていく。きっと私はこれからもパワー全開で過ごすし、歌を歌うんだろうな。彼女の分までどうこうってことは思わない。だって、私が楽しんでいることが一番の幸せだろうから。
私は彼女のことがとてもよく分かるし、私も母だからよく分かる。
さあ、これから先、彼女を見習っていつまでも前向きに楽しんでいこうじゃないか!
こんなとても個人的な話しだけど、母の自慢話をどうしてもしたくなって日記に書いてしまいました(^^) ごめんね。
最期まで読んでくださったみなさま、ありがとっ♪
そして、これからもよろしくぅっ!
私が小さかった頃から、母はよく歌を歌っていた。
家は金物屋&工具・修理屋で、父も仕事をしながら歌ったり口笛を吹いていた。
母が好きだったのが越路吹雪で、喉自慢でもシャンソンをよく歌っていた。
中学の時に見たイタリア映画「刑事」の主人公に惚れたらしく、その主題歌「Amore mio死ぬほど愛して」は私の子守唄みたいなもの。
そんな私は、保育園時代なぜか殿様キングスの「涙の操」を歌っていたり、初めて小遣いで買ったドーナツ盤は「舟歌」だったり(汗。
中学3年で幼馴染からバンドに誘われ高校卒業まで地元で歌ってた。
そんな私の一番の理解者であり協力者でありファンクラブ会長と主張!していたのは、まぎれもない母だった。
学生の時は倉庫代わりの古い家をそのまま練習場にさせてくれたし、学校でもめ事があれば校長と直談判したし、コンテストに出場すれば必ずビデオを回してくれた。父も反対したことはなく、自由にさせてくれてた。
元々子供のやることには協力的というか自分も楽しむタイプ。
私よりもピュアでミーハーでいつも一生懸命でぴょんぴょんしてる(笑)。
私にとっては、母親でもあるけど妹みたいな存在だったんだ。
大人になってからも、お盆に地元の祭りがあるとカラオケ歌ってこい~家まで聞こえるようになぁ~とか、電話口で「SYOW-YAのあれを歌ってよ~」とか。私はお前の歌が聞きたい~って(笑)
まぁ、その頃彼女はリウマチであまり動けなくなってたのでほとんど行けなかったけど、それでも何度か行ったな~。
岐阜と東京は400K離れてたけど、10年以上ほぼ毎日電話で話してたし、その距離感が却って心地よくとても良い関係だった♪
私が去年から音楽を再開して、一番エキサイトしたのも彼女。
そして、その少し前から母も合唱やオペラを歌うことにはまっていた。
お互い楽しくて集中することができて、だから電話の回数は激減したけどそれは二人とも日々充実してる証拠だというのは分かり切ってた♪
電話口で練習中の歌を揚々と歌ってくれたこともあったし、今私の手元にある彼女の楽譜には、ものすごく書き込みがたくさんあってね。そうやってベッドの上で楽しく一生懸命練習してたんだなって思う。
もっとも、全然動けないわけじゃなくって(笑)、よちよち歩きながらも車を運転してオペラの練習にでかけたりしてたよ。とにかく、明るくてバイタリティありすぎで周りが振り回されるのだ(^^)
歌う声は低かったのに、最後はオペラの「ラルゴ」をソプラノで歌いあげてて驚いちまった!
そして私は、そんな母に自分が歌うステージを見てほしくて、今年の年末までには地元のホールでコンサートしてやるぅ~なぁんて漠然と思ってた。でもそれがいつの間にかすり替わり、これでもかってほど毎月LIVEを入れていた。かなり無謀ね(笑)
でも、Greasyのライブ動画は5月のGWの時に大画面で見てもらったょ!事前に母のためだけに録音した曲も聴いてもらえたし、彼女のベッドの横で大音量でギターと歌の練習をした。いやはや、どんだけやっても喜んでくれるんだよな。
手のリハビリをしたいからと、小さなキーボードを設置してきた。子供のころ弾いてたバイオリンやお琴もリハビリになるかなぁ~~なんて言って(^^)
そして6月11日早朝。
私は彼女の手を握っておでこをさすりながら、バラードチックな「限界LOVERS」とか「刑事の主題歌」とか越路吹雪の「落ち葉」とかを耳元で何曲も歌った。
その数時間後、彼女は大好きなオペラの先生の「アベマリア」が流れるなかゆっくり静かに息を引きとった。
彼女が私に与えてくれたものは限りなくたくさんあって、これからは私の記憶の中にずっと生きていく。きっと私はこれからもパワー全開で過ごすし、歌を歌うんだろうな。彼女の分までどうこうってことは思わない。だって、私が楽しんでいることが一番の幸せだろうから。
私は彼女のことがとてもよく分かるし、私も母だからよく分かる。
さあ、これから先、彼女を見習っていつまでも前向きに楽しんでいこうじゃないか!
こんなとても個人的な話しだけど、母の自慢話をどうしてもしたくなって日記に書いてしまいました(^^) ごめんね。
最期まで読んでくださったみなさま、ありがとっ♪
そして、これからもよろしくぅっ!