・硫黄島から届いた家族への手紙 ~我々日本人は彼らを蔑ろにしていないか~ | アジアの真実

・硫黄島から届いた家族への手紙 ~我々日本人は彼らを蔑ろにしていないか~

ヒトニマケナイツヨイコニナリナサイ、硫黄島からの手紙:朝日
 太平洋戦争中、父は硫黄島から子どもたちに手紙を送り続けた。「学校の成績はどうだ」「兄弟仲良く家をまもってくれ」――。島根県出雲市の周藤(すとう)征一さん(71)が、硫黄島で戦死した父金一さん(当時39歳)から届いた37通の手紙を「戦場ヨリ父ノ便リ」にまとめた。「戦争で引き裂かれた家族の姿を伝えたい」と、地元の図書館や学校にも贈られた。(高橋健次郎)

 戦時中、地元の学校で軍事教練に携わっていた父に2度目の召集令状が届いたのは1944年2月だった。征一さんは5人きょうだいの末っ子で6歳。母の繁子さんは38歳の若さで1月に病死したばかりだった。父は、ぶかぶかの学生帽を買ってくれた。父に渡した日の丸の寄せ書きには「バンザイ セイイチ」と書いた。

 3月、父は東京・芝浦港を出港し、硫黄島に向かった。

 決して無理をせず兄弟仲良くしっかり勉強をして人に笑はれない様家を護(まも)って呉(く)れ(中略)帰らざるとも兄弟でしっかりやる事(こと)

 出発の日 三月十一日 父より

 ほとんどの手紙は長姉のサダ子さん(82)あてだった。10年ほど前、「一番若いあなたが持っていて」と託され、初めて手紙の存在を知る。征一さんは、地元の食品卸会社に就職。3人の息子の父親になっていた。

 征一君ゲンキデ、マイニチ、ガクコウニ、ユクトノコト、オメデトウ。(中略)ケツシテ、ヒトニマケナイ、ツヨイコニナリナサイ(44年7月1日着)

 幼かった征一さんあての手紙は、読みやすいように片仮名書きでしたためられていた。涙で最後まで読めず、しまいこんだ。

 昨春、父が友人に送った別の手紙を読んだことがきっかけで、はがき29通、封書8通に目を通した。家族を思う父の思いがあふれていた。

 皆なの進学の成績を知らせて呉(く)れ又(また)出来れば征一、皆な揃(そろ)ったのなればなほ良いが冩眞(しゃしん)を摂(と)って送って呉れ(44年7月1日着)

征一は再々歯が痛むとか、虫歯なれば早めに手當(てあて)をせよ(44年末ごろ着)

 「軍事郵便」「検閲済」とスタンプされたほとんどの手紙に日付はなく、所属部隊も秘されていた。遺骨収集に携わる硫黄島の研究者を頼って所属部隊名を「独立歩兵第310大隊」と特定、手紙の表現から書かれた時期を推定したという。

 最後の手紙は45年1月。

 決戦も愈々(いよいよ)烈(はげ)しく(中略)元気にて留守を護って呉れ

 硫黄島に米軍が上陸して10日目の45年2月28日。壕(ごう)づくりを指揮しているときに、機関銃で撃たれて亡くなった――。生還した元兵士が戦後間もなく、手紙で伝えた父の最期だ。日本軍は3月に玉砕、2万人超が命を落とした。家族のもとには、小さな位牌(いはい)だけが入った遺骨箱が届いた。

 「戦場ヨリ父ノ便リ」はA4判で138ページ。家族あての37通と友人あてなどの8通のコピーに、文面を打ち直して印字したものや征一さんの解説、家族写真や硫黄島の地図がとじられている。今春、100冊をつくり、きょうだいや3人の息子に渡し、県立図書館など県内の4図書館と出雲市立第二中学校など3校に計9冊を寄贈した。

 征一さんは、あとがきにこう記している。「国家と云(い)う美名のもとに行われる戦争が、いかに市民の為(ため)にはならない愚行である事かを、必ず次世代に語り継いでほしい」


 本日は終戦記念日です。朝日新聞に硫黄島から届いた手紙を扱った記事がありましたので紹介します。硫黄島へ出征し、亡くなったある兵士から届いた手紙は、全て家族への想いで満ち溢れています。遠い戦地で想うのは日本で待つ家族のこと。彼が戦ったのは、何よりも家族を守るためであったのは間違いありません。2年ほど前、「硫黄島からの手紙」という映画が話題になりましたが、その映画でもまさしく家族のために必死で命をかけて戦う日本兵たちの姿が生々しく描かれていました。

 渡辺謙が演じた、自らも東京に家族を残して硫黄島へ赴任し、兵士たちを最後まで指揮した名将・栗林中将の言葉が思い出されます。

「この島でアメリカ軍を一日でも多く足止めできれば、本土に住む自分の家族達を守ることができる。我々がこの島を守る一日には意味があるんだ。」

上記の記事に書かれたお父さんも同じ気持ちだったのでしょう。私は、「できれば皆が写った写真を撮って送ってくれないか」という一文に強く心を打たれました。このお父さんは遠く離れた、過酷な環境の戦地でとても苦しかったでしょう。そんなときに何よりも欲しかったのは家族の写真だったのです。


 そして、映画の中で栗林中将が最後の突撃の前に部下たちに叫んだ言葉が私の頭の中を離れません。

「我等が例え死のうとも、後の日本人達がこの島を守った我々に対して頭を下げ、黙祷を捧げてくれる日が必ずや来るはずだ。予は常に諸子の先頭に在り・・・」


 今の日本があり、我々があるのは、彼らが必死で日本を守ってくれたからです。国を愛し、家族を守るために死んでいった彼らを、今の日本人はあまりにも蔑ろにしていないでしょうか。

 彼らは全員靖国神社にいます。彼らに守られた我々日本人が靖国に行き、頭を下げることに何の罪があるのでしょうか。何も間違っていることはありません。

 

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参考書籍:
硫黄島からの手紙 (特製BOX付 初回限定版)
クリント・イーストウッド スティーブン・スピルバーグ アイリス・ヤマシタ
B000K4WO8C


硫黄島戦記―玉砕の島から生還した一兵士の回想
川相 昌一
4769813287