・書評:「トオサンの桜 ~散りゆく台湾の中の日本~」 | アジアの真実

・書評:「トオサンの桜 ~散りゆく台湾の中の日本~」

トオサンの桜 散りゆく台湾の中の日本
平野 久美子
4093797463



 「トオサン」とは、台湾で「多桑」と書き、日本語の「父さん」に漢字を当てはめたものです。「日本語族」とも言われ、戦前・戦中に日本と触れ、今でも日本語を話し、日本精神を理解し、日本を愛する世代の人々のことを言う台湾語です。

 この書籍は彼らに焦点をあてたノンフィクションです。


 かつて日本人であり、今尚日本への愛情を持ち続けるトオサン達を気にもかけない今の日本。また彼らが大事にしている日本精神とは何なのかさえも消えかけている今の日本。彼らの声を聞くと、我々は取り返しのつかない物を忘れてきてしまったような感情に襲われます。


以下はメルマガ「台湾の声」 に掲載された、「日本精神」の象徴である桜を台湾に植え続けるトオサンの1人の話です。


「台湾の声」【ルポ】台湾の「花咲爺さん」 『生命の光』四月号(発行・キリスト聖書塾)より転載 


▼人物訪問
台湾の「花咲爺さん」王 海清               
(取材・河盛尚哉)


 台湾の内陸部に位置する南投県埔里の町。この埔里から霧社まで、約二十数キロの山道に、いまも桜の木を植えつづけている方がおられます。今年、八十三歳をむかえた王海清さんです。お訪ねしたのは、一月末でしたが、沿道には王さんが植えられた、うす紅の山桜の花が満開でした。


高雄に花咲く同期の桜

 王海清さんは、日本の統治時代に国民学校で六年間、日本の教育をうけました。そのとき、いちばん心に残ったのが、国語の教科書にのっていた「サイタ サイタ サクラガ サイタ」でした。子供心にも、まだ見たこともない桜へのあこがれが、このころに芽生えたといいます。そして昭和十七年、王さんは志願兵として、高雄の海軍陸戦隊に入隊。「徴兵じゃないよ、志願兵だよ」と、王さんは何度もほこらしげに話されます。そして、そのときにうたった『同期の桜』を、うたってくださいました。

「貴様と俺とは 同期の桜
 同じ高雄の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 見事散りましょ 国のため

 これ、日本時代の兵隊の歌。パッと咲いて、パッと散る。サッと散るのは、お国のために死にましょうという心。歌って、思って、考えてみたよ。これが桜にこめた日本人の心だよ」


黙って、ひとりで始めること
 
 沖縄での激戦に参戦するために、高雄で待機していた王さんの部隊でしたが、輸送船がつぎつぎと撃沈されたために、そのまま終戦を迎えました。 戦後まもなく、王さんが移り住んだのが霧社でした。そこには、日本人が植えた桜が、数百本も残っていたのです。それが、王さんが生まれてはじめて目にした桜でした。
「桜を見た、うれしかった。ああ、これが桜だ、と思った」
ところが、その桜が、道路拡張工事のために、一本残らず切り倒されたのです。王さんはそれが残念でたまらず、村の役場や有力者の人々をあつめて、桜を植える相談をしました。だれが何本、だれが何本と、桜再生の相談はまとまりましたが、いつまでたっても、だれひとりとして、桜を植えようとはしません。
 そこで王さんはひとり、だれにも告げず、日本人が植えた桜の種から育てた苗を、霧社から埔里への沿道に植えはじめました。その数はなんと、一年間で三千二百本。


「これが日本精神だよ」
 
やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜。その桜のうつくしさにひかれて、根こそぎ桜の木を持ってゆく人が、跡をたたなくなりました。
 抜かれては植え、抜かれては植え、この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、千八百本にもなります。
あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、そのあとを尾行して王さんに、「盗んだ人の家をつきとめたから、警察に突き出しなさい」と言いました。でも王さんは、その人をとがめようともしません。
「いいんだよ、その人が取って帰って植えても、人が見て、きれいだなと思ってくれたらいいよ。個人じゃない、みんなが見てくれたらいいんだよ」
 道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。
「いくらで雇われてるんだね?」 村から雇われて桜を植えていると思うからです。「月に二万元だよ」 自分でお金を出して桜を植えていることなど、だれも信じてくれないので、そう言いつづけてきたのです。
「黙って植えて、桜が咲く。それが私の成功」
 あるとき、自動車事故で、王さんの植えた桜の木があったために、命が助かった人がありました。その事故がきっかけとなって、王さんが二十年間、無償で桜を植えつづけたことが、はじめてわかったのです。
 そして、台湾では個人としてははじめて、台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)から、最高の栄誉である「金路賞」を受賞したのです。

 インタビューにうかがった翌朝、王さんはいつものように五時に起きて、霧社から歩きはじめます。脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、左手に剪定鋏をさげて……。
「王さんは、死ぬまで桜を植えつづけるんですか?」
「桜を植えると決めたら、植えつづける。これが日本精神だよ」
 そのひとことが、台湾の心地よい風と、桜の彩りともに、いまもわたしの心の奥にひびいています。 ■


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