本日は、
辛丑🐮の年、
甲午🐴の月、
己酉🐔の日。
己酉🐔の日に強い変化を意識しておきたい干支は、
16番己卯🐰(納音)
1番甲子🐭(干合)、31番甲午🐴(干合)
積み上げ強化を意識したい干支は、
6番己巳🐍(大半会)、26番己丑🐮(大半会)
本日は己酉🐔の日。
私が星を陰転させてしまってから4年。
そして、そこから1年以上かけて自分の宿命を洗い出し、算命学を使って日運を観察して、自分を立て直してきて丸3年が経つ。
10干と12支の不可思議な組み合わせの中で、
どうしても実感が得られにくいものがある、と気付いていった。
干支で言えば酉🐔。
子🐭×酉🐔は、「破」の位相法。
「破」は、明確に定義されていない。
「自分がやったことが美にならない、コップが欠けるようなもの、ひび割れ、不完全になりやすい」とある。
現実ではどういうことなのだ?
この説明だけは頭にいれておいて、
酉の日を検証していった。
すると、「怒り」にたどり着いた。
闘争心が煽られる、そんなことが多かった。
「美にならない」ってなんやねん?
怒ってしまうことなのか?
酉については、
後に闘争心の強い干支だと知って納得した。
また、リアルに酉の人々と対面して、
内に秘める闘争心を感じる事があってからは、
酉と「闘争心」というキーワードを意識下でつ
なげている。
10干でいえば、
私には己は実感が得られない干のひとつだ。
私にとっては牽牛星。
宿命には1つもない。
この、「宿命にない干」というのを、「宿命にある干」とで分けて考えてみたところ、やっぱり「宿命にない干」というのは実感が涌かない…。
日運ではめぐってくるものの、
この3年間、ずっと見てて、
自分の宿命にない、乙、己、辛は、
ただの1度もまともに使えた実感も試しもない。
なので、最近はそれらの干を「借りもの干」と勝手に名付けていた。
意識下では、それらの干が巡ると、
「使えない干の日」、「天に返さねばならない干」という位置付けで過ごしていた。
そんな中で師匠の今日の日記に、
〇〇なしは自分では使えないという定義はどうでしょう。天中殺と同じ。
とあって、脳内回路に電流が走る感覚があった。
ここ3年間、「自分では使えてない」実感しかないので、違和感がない。
そもそもの臨み方「自分が使う」から変える必要があったのかもしれない。
「自分では使えなかった」とするなら、
違う使い方が見えてくる。
「他者ベースなら使える」かもしれない?!
こういうのは、即断即決だ。
使えない干とする3年間は無駄ではなかった。
それを活かすための決断が必要だ。
子🐭は回路があれば、
そこからショートカットをつくるのが得意だ。
そして、即断するのは宿命にあるスピード重視の車騎星だ。牽牛星とは仲間の星だ。
と、まぁ、こんな具合に、
日運体制内改革として、
問題点は見えたし、「破」の既存を変えて「乗って」美とすることに繋げられるようにした。
些細な日運だが、
こういう細かい意識調整をして、
日運の種を毎日埋め込んでみてはどうだろうか。