本日は、
私が揺るぎなく算命学の力を信じている根拠の1つに大三合会局という位相法がある。
冒頭の領域図では黄緑の正三角形△のことだ。
20番差のこの大三合会局の威力は凄まじいものがある。
私はかつて、職場で大三合会局を上司と同僚の3名で経験した。
しかも、年支同士の組み合わせでだ。
私と上司は40歳差、同僚は20歳差だった。
当時の算命学ではそこまで意識していなかったが、「普通では出逢えない人に出会って、2度と味わえないかもしれない貴重な経験をさせていただいている」という感覚はあった。
まだ60歳定年が当たり前の時代だったので、普通の職場ではまず出逢えないはずの組み合わせだった。
上司と同僚は二人とも日干が庚で、
壬の私に自然に入力しやすく、
三者はそれぞれの社会の干支、
丁丑、丁酉、丁巳を、
職場で最大燃焼していた。
この結界のような大三合会局は、
難局の仕事内容でも、
解決出来ない仕事はなかった。
無敵ではなく、不敵の感覚だ。
天干同士の不可思議な結びつきがあったのだ。
20歳ごとの組み合わせで、
日干はそれぞれが遠慮無しに、
好きなことをとことんまで言い合っていた。
職場は丁で繋がり、
干支でそれぞれの職域を護っていた。
仕事の打ち合わせはツーといえばカー。
古き良き、以心伝心の世界が展開していた。
何で聞いてもいないのに、
相手の望んでいることが分かるのか?
不思議だけどもそれが共通天干の優れた作用だ。
大三合会局とは、
天干の共通干の繋がりを感じながら、
均一な距離感でグルグルと宇宙盤の上を回転するのだ。
互いに背中と肩を預けながら
まるで阿修羅像のような一体感があった。
算命学の中で、
最もシンプルでバランスの取れた、
一つの完璧な世界を表すのが、
大三合会局、というものだろう。
この組み合わせで他者が引き合うのは
奇跡的な偶然だ。
しかし、
ひとたび巡り会ったなら、
既視感のように、
昔からずっと知っていた懐かしさを覚えるような感覚が自然に芽生えることだろう。
老若男女、関係なく、
それは「運命の相手」だと言えるだろう。
そして、実は懐かしさを覚える感覚は、
自分の中の「もうひとりの自分」であるからこそであり、
自己の内側で探していた、足りないミッシングピース(MISSING PIECE)であると、お互いが気付くだろう。
少なくとも、
私が15年前に体験した大三合会局とは、
そういうものだったように感じられた。
大三合会局とは、
他人の中で究極の自分に出会う位相法だと、
私は思う。