8月の終わり、主人はいつもとちがう職場に出向していました。
入院する少し前から胸の違和感を訴えていましたが、
子どもが保育園に通い始めて数ヶ月、心配をかけまいと辛い時に気づかれないようにしていました。
「ゆうべ、胸が痛くて本当に死ぬかと思った」
そんなことを聞いて、すぐ病院に行きなよと言ったのを覚えています。
なぜか膝の痛みもあったようで、膝がずっと痛むと言うので近くの病院へ。
検査入院ということで入院しましたが、特に悪いところが見つからない。
でも、本人としては普通ではない。
数日して、大学病院に転院することになりました。
たくさんの検査をしましたが、それでも膝の痛みの原因は分からず。
その後、40度近く熱が出て解熱剤を服用しましたが、
すぐに効かなくなり、辛いと口に出すようになりました。
原因も分からず、熱は下がらず、入院から半月程経った9月のある日、主治医から話がありました。
検査をしてみないと分からないが、癌の可能性も捨てきれない。
そういった話でしたが、信じられない気持ちで頭の中が真っ白になったことしか覚えていません。
とにかく恐怖でした。
もし癌だったなら、今後の治療はどうなりますか。
そう聞かないといけないのに言葉が出なくて、その場で泣いてしまいました。
自分を責めました。どうしよう、どうしたら、生きれるの。
癌かもしれないけれど、調べようにも熱が高すぎて生検が体力的にできず、PETを受けに行くことになりました。
少しの移動で車に乗るのも辛そうで、大きなからだが初めて弱々しく見えました。
検査の結果は、少しの反応はあれど確定するものではなかったようです。
それと同時に、毎日の血液検査からひとつの病名が分かりました。
血球貪食症候群という、免疫をつかさどる細胞が活性化され、血球や血小板を食べてしまう異常な免疫反応を起こす病気、だそうです。
つまり、主人の血液は異常な反応をしていて、血小板が減るから怪我をしたらなかなか止血されないし、からだのなかで出血しようものならすぐさま命を落とす可能性もあるというようなものでした。
髭剃りも即やめました。
年間報告数もそんなにない、まれな難病だそうです。
そんな病気になぜ主人がかかったのか、今でもなぜ?と思ってしまいます。
病名が分かったからと言って何も安心できず、毎日辛そうに食事をとる姿を見て励まし、点滴だらけの腕をなで、抱きしめ、2人で泣くこともありました。
子どもが病室に入れないので窓の外に見える駐車場に連れていき、遠くからよたよたと走り回る姿を見せたこともあります。
1歳児の半月の成長は大きくて、「あんなに走れるようになったんだね」と驚いていました。
毎日でも見せてあげられれば良かったと後悔しています。
亡くなってから知りましたが、主人は主治医から余命を聞いていたそうです。
私にはなにも言いませんでした。
だからなのか、自分が死んだら子どもと幸せになってねと言われました。
そんな弱気にならないで、そんなこと言わないで、
私はあなたの奥さんで、あの子は私たちの子どもだよ。
言いたいことはたくさんあったけれど、泣いて怒るしかできませんでした。
その頃までの治療は、血中の細胞を普通に近づけるために透析をしたり、口から食事をとって栄養をつけることだったり、点滴を四六時中入れていたりといったものでした。
透析は直後は大分楽になったようでしたが、若さもあってか、貪食のスピードが早すぎたみたいですぐに元通り。安らぐ隙はほとんどありませんでした。
余命宣告されていた主人は、それでも私たちのために頑張ろうとしてくれていたと思います。
でも、主人の母が来てくれる前日に意識が混濁しました。
病院に駆けつけましたが処置中で、私は外で何時間か待っていましたが、何をしていたか覚えていません。
私が呼ばれた時には主人は集中治療室にいました。
意識がないから自傷しないよう、手をベットに固定され、目には眼帯のようなガーゼがあてられていました。
正直、怖かったです。
主人のそんな姿を見て、はじめて怖いと思いました。
主治医からは、2日持ちこたえれば大丈夫と言われました。
持ちこたえれば大丈夫ってなに?どういうこと?
私は帰るの?ここにいられないの?
結局、集中治療室にいることができず帰宅するしかありませんでした。
主人の姿が浮かんでは涙が出て、どきどきして、パニックでした。
怖い、いやだ、こわい
鳴らないで欲しいと願った携帯が鳴ったのは、帰宅して間もなくの朝4時頃でした。
容態が急変したので来てくださいという、看護師さんからの電話でした。
集中治療室の中に入ると、心臓マッサージをしている男性医師と主治医。
私が着いた頃には心拍は停止していて、横線でした。
今もあの音は覚えています。
心臓マッサージでベットが軋む音と、ピーーという鳴らない心音。
初めて声をあげて泣きました。
嫌いな父親にしがみついて泣きました。
私は支えなきゃいけなかったのに何もできませんでした。
ただ、毎日病室に行くだけ。
子どもの話をするだけ。
食事が辛いと聞いたから買ったゼリー、ひとつも口にしないままでした。
どれだけ涙が出たか分からない。
あの人を幸せにできたかも分からない。
私と結婚したばっかりにとか卑屈になったりもした。
子どもが父親を知らないことに絶望した。
あなたはいまの私を見てどう思いますか。