生き方の哲学ー13 浦蘭 「みおつくし」1月号より
生き方の哲学ー13 浦蘭 嶋多朗「みおつくし」 1月号より
精神科医の調査によると、鬱病またはその予備軍が大変増えているようです。
原因はそれぞれ複雑な事情が複数からみ合っているのでしょう。
社会全体が錯覚と思い込みで流されている現状では、わかる様な気もします。
しばしば正常と思われる考えが異常と見なされ、異常と思える考えが正常と扱われる時代ですから、思考がパニックを起こすこともうなずけます。
そして、急速な時代の変化に追い付けない人たちも多くいるのでしょう。
また、物事に対する拝金主義的な価値観も人間の思考を混乱させ、迷走させています。
真理を見据える判断力が混迷していては、社会を改善しようにも、流れにまかせていては到底無理な話です。
社会の潮流を変える為には大きなエネルギーが必要ですが、出る杭はうたれるというのが世の常ですから、そうした方向転換を促そうとする少数派は多数派によって打ち消されるわけです。
間違った潮流に流されてしまうということは、常に自分自身を見据える心と精神力が不足しているのでしょう。
多くの人間が自分自身と真理を常に見つめる覚醒の努力をしていれば、間違った社会の濁流に流されないで済むわけです。
自分自身を知らずして他人を批評したり、動かそうとすることほど愚かなことはありません。
自分自身の能力を過大評価し、過信して身の程知らずに振る舞えば、必ず周囲の反感によって争いが起こり、発展すれば暴力事件や殺人事件、挙げ句の果てには戦争になります。
自然災害をくい止めるのは人間の力では困難ですが、社会現象によるパニック災害は人為的なものですから、くい止めることは可能なはずです。
もしかしたら、自然界による災いよりも、人間によって起こされる災いの方が、はるかに恐いのかも知れません。
見栄の張りあいの為の取り繕った幸せや見せ掛けの幸せ、錯覚の幸せや思い込みの幸せを追い求めて人生を漠然と過ごしてしまうことが果たして本当に幸せなのでしょうか。
本当の幸せはもっと違うところにある様な気がします。
表面的には見えない幸せ、心の底から満足し、納得できる満たされた充実感、心休まる至福のひととき、本当の自分を実感する生活、そんな幸せ感を大切にしたいものです。
自分自身の中にある一番大切な小さな幸せを見つけようとせず、他人ばかり見て、他人を羨ましがり、他人に嫉妬しながら人生を終わらせてしまうことは寂しいものです。
そして、自分の人生を否定的に考えてしまっていては、他人を幸せにする余力も持てないし、他人を思いやる心も持てません。
人間は我侭な生き物かも知れません。
安心のできる生活を求め、それらを手にすると、今度は平凡でマンネリだと言って緊張感とスリル、冒険を求めたりします。
浮き沈みの激しい波乱に満ちた生活をしていると、今度は安心のできる生活を求めます。
恋愛関係においても、男性は女性に対して全てを捧げることを望みますが、それに応えて女性が男性に過剰に尽くすと、男性はプレッシャーを感じて、たまには解放してほしいとか、重荷だとか負担だとか言います。
女性は男性に対して、いつまでも永遠の情熱的な愛情を求めますが、マンネリ化してくると亭主元気で留守がいいとか言います。
いずれにしても、人間はわがままな生き物だということは確かなようです。